第2話 出会い

文字数 1,684文字

 大学を卒業してから、山の中の小さな学校に赴任した。
 アパートを引き払い、赴任先へと向かった。まだ、春とは言えないような暗い雪雲の下、電車に揺られて車窓から見る風景は見渡す限り畑と田んぼであった。電車を乗り継いで、最後に乗ったローカル線には高校生が数人乗っていたが、当時流行っていたのか太いダボダボのズボンと丈の長い学生服を着崩して大声で喋っている様子は田舎そのものだった。
 私の最初の赴任地は小さな学校であった。全校児童が100人にも満たない山間地の学校であった。子どもたちは方言丸出しで、なんの屈託もなく、純朴であった。
 そこから私の教師人生が始まった。
 私の夢であった教師になることができ、田舎に来たことも苦にはならなかった。純朴な子どもたちとの毎日が楽しく、心を和ませてくれていた。
 現在の私の姿は全く想像がつかない。希望に満ちた青年教師であった。
 教師になったばかりの頃、自分たちより若輩者の私にも、保護者は丁寧に向き合ってくれた。私の至らないところも「それは子ども本人がいけない」と、保護者が私を擁護してくれた時代であった。
 ところが時代とともに学校に対する考え方は変わってしまった。
 マスコミが公権力に対して批判をすることで、世間の不満を煽った。公務員、教師は恰好の批判対象となり、いつの間にか、学校はサービス業であるかのような風潮が一般的になった。
 今の時代、子どものいけない行為を叱る時も細心の注意が必要である。叱責の言葉を間違えると、そこから保護者の猛攻撃がつっこんでくるのである。
 私自身も、子どもを叱る時に思い浮かぶのはその子の親がどんな親だったか、しかっても大丈夫な親だっただろうか、なんてことを考えてしまう。
 子どももそんな教師の弱みを知っているから始末に負えない。
 私の教師人生の中で教師の社会的立場は低くなっていった。
 山間地の小さな学校を皮切りに、その後何校か異動をした。その中には正直な話、大変な学校もあった。だが、私を助けてくれるのも子どもたちであった。
 私が暗い顔をしていれば心配して声をかけてくれる子もいた。直接私に何かをしてくれたわけではないが、その純朴で優しい姿で私を救ってくれる子もいた。
 私は随分恵まれていたのかもしれない。
 子ども、その子の保護者に気を遣う時代になってしまったが、世に言う「モンスターペアレント」には幸い出会うことはなかった。
 
 40代になり、教師として歳を重ねて来たころ、管理職への昇進を打診された。
 私も自分の力を信じてきた。その力を試してみたいと決めて、挑戦してみたが、残念ながら、それは打ち砕かれた。私の力は評価されなかった。
 管理職になることは純粋にその人の力を評価してのことだと思っていた。
 だが、そうではなかった。私は昇任の選考がある年に、あることでその時の校長と揉めた。
 昇進には校長の推薦が必要だった。校長と揉めたことは私個人の問題ではないことをお断りしておく。学校運営に関わっての私からすれば義憤に駆られた行動だったと思う。だが、それが校長の心情にとげをさしたようだ。
 今までの私の教師生活がここで無になった。そして、ここから私の今の姿への変容が始まったのだ。
 昇任が認められず、私は失意の中、今の学校に異動してきた。
 異動してきた今の学校では、ただ年齢を重ねて来た年配者というだけで、私は学年の中で問題のある子どもが多くいる学級を持つことになった。
 正直な話、私はすでに、教員としての夢も熱意も持ってはいなかった。私は残りの教員生活をどうすごそうか、だけを考えて異動してきたのだ。 
 そんな私に問題のある学級を受け持たせることは、ひどい拷問であった。
 その学級は、私の経験にはなかった学級であった。
 
 目を離せば、けんかをしている。
 授業を勝手に抜け出す。
 給食当番をいっさいやらない。
 学校で起きたことに苦情を言いに来る保護者。
 保健室にばかりいく集団。

 もう、教師をやめようと思った。本当に。
 その学級である児童と家族に出会ったのである。
 久保未亜という子とその母親である。
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