第1話 崩壊

文字数 1,319文字

 山崎千夏は息子の寝顔を見ながら、昔のことを思い出していた。
 夫と息子と三人で動物園に行ったことを主追い出していた。
こんな時間がずっと続けばいい。たしか、歩きながらそう思ったことを覚えている。
 幼い我が子をだっこして、春の動物園に夫と来ていた。周りには桜の花の下で千夏たちと同じように小さな子どもを連れて、お昼を食べている家族がいくつかあった。
 何を話しているのか、どの家族も何か言っては笑い合い、子どもたちはおいしそうにお弁当を食べていた。

 夫とは就職したときに配属された部署で出会った。自動車の部品をつくる工場で、千夏が配属された部署に夫の和明がいた。千夏の上司にあたる班長という役に就いていたが、和明は威張ることもなく、新人の千夏たちに丁寧に仕事の手順を教えてくれる人だった。
 いつしか千夏は和明と二人で会うことが増え、そして結婚した。結婚してまもなく、自分の隣で眠っている創一が生まれ、三人の慎ましい生活をしていた。
 和明には夢があって、よくデートのときに千夏は聞かされた。
「いつか自分の工場を持つ」
 千夏はこの人の夢を叶えたい、一緒について行きたい、と真剣に聞いていた。

 夫とは四年前に離婚した。

 動物園に行ったあと、和明は本当に自分の工場を立ち上げた。小さな小さな工場だったが、和明と千夏にとっては大切な夢の詰まった工場だった。
 近くにある部品工場からの下請けをして、自動車に組み込まれる小さな部品を組み立てていく仕事をしていた。従業員はいない。夫婦二人でこつこつと引き受けた仕事をこなしていた。
 ある日、和明が外回りから帰ってくると、何も言わず、工場の一角にあるテーブルに座って黙り込んで目を閉じている。
「どうしたの?」
 千夏は訊いてみたが、和明は何も言わない。
「何かあった?」
 和明は目を開けてゆっくり話し出した。
「木藤工業が倒産した」
 木藤工業は和明が下請けをしている親会社だ。その会社が倒産したら和明の仕事はなくなる。
「銀行に行ってくる」
 和明はバッグを持ってまた外へと出て行った。

 何もできなかった。和明と千夏の工場も仕事がなくなり、銀行の融資も断られて、廃業することになった。
「すまん」 
 和明はそう言って、離婚の話を持ち出した。このまま一緒にいても家族を守れない。自分一人なら何とか生きていける。お前と創一は二人でいた方がいい。保護も受けられる。

 何回かの話し合いを夫婦でした。工場を売り払って借金の一部に当てたが、到底それでは真変えない借金だけが残っていた。ここでの生活は無理であるという結論になって、三人の暮らしは幕をとじた。
――なんて、はかない幸せだったんだろう。

「創一を頼む。創一が悲しむことがあったら、俺は全力で守る。その気持ちだけは忘れないでいてほしい」 
 和明は、一人東京へと出て行った。
――創一を守る。その気持ちは私も同じだ。離れて暮らしていても、我が子への思いは絶対に変わらない。

 千夏は創一の寝顔を見ながら、和明が今どうしているのだろうと考えた。
きっと、どこかでがんばっている。あの人はそういう人だ。いつかまた、三人の暮らしができるまで、私も負けない。
 千夏は創一に誓った。あなたを守る。
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