第5話 宿題
文字数 1,665文字
小早川は学校の近くに部屋を借りて一人暮らしをしている。
学校からも近いから、仕事で遅くなっても通うのが楽だ。
仕事が終わって、部屋に帰って、部屋着に着替える。
簡単な夕飯を済ませてから、小早川はもうひと頑張りする。
明日の準備がまだ終わっていない。教える内容は小さな学年だから大したことはないと思ってはいけない。小さい子たちにどうすればわかってもらえて、さらに、楽しいと思ってもらえるか、それを考えることは難しい。
ベテランの先生たちはどうやって教えているんだろう?
先輩の話を聞いたり、本を参考にしたりするが、自分の授業でうまくできたという実感を持てたことはほとんどない。
今は算数の九九が課題だ。ひたすら覚えるしかないのだろうが、となりのベテランの先生も、子どもたちのやる気を高めるためにあの手この手を用意しているみたいだ。それを真似させてもらっているが、どうしてもついて来れない子どももいる。
−どうしたら覚えてくれるかな?
須藤のことを思った。大学時代につるんでいた。須藤はどう教えているんだろう?
−元気でやってるかな。
須藤も教員になり同じ県内に赴任している。たしか、小さな学校だと聞いた。
疲れてはいたが、須藤のことを思い出したら、自分も頑張ろうと思った。
大学時代には、二人して生意気にも「今の学校は」「私だったら」など語り合っていた。
つくづく思う。
−何にもわかってなかったな。
子どもたち、九九の宿題頑張ってるよね。私だって頑張らないとね。明日の準備、それが私の宿題なんだから。
算数の時間になった。授業の始まりは、昨日までにやった七の段までの復習だ。宿題にも出して、覚えてくるようにと伝えた。
一人ずつ順番に暗唱をさせた。みんなよく頑張って覚えてきている。小早川は子どもたちを改めて、愛おしく思った。
−こんな私の拙い教え方にも一生懸命についてきてくれている。
あけみの順番に回った。教室の空気が変わるのを感じた。
いつもあけみのところに回ると、それまでの流れが止まってしまうからだ。子どもたちもそれを知っている。
−ちゃんと言えるかな。
子どもたちの肩に僅かに力が入るのがわかった。小早川も、そういう子どもたちを見て、緊張させてはいけない、と他の子と同じようにあけみに次の段を当てた。
あけみは立ち上がると、聞こえないような小さな声で九九を言い始めた。みんな耳をそばだてて聞いている。
あけみの唱えている九九は間違っている。どれも似たような数字を言っているが、ほとんどが間違えている。
小早川は椅子に座り込んであけみが言い終わるのを聞いていた。
−どうして覚えて来ないんだろう?あれほど、九九はこれからの勉強にとっても大事だよって言ったのに。
「宿題で覚えてきてって言ったよね」
思わず感情的に言ってしまった。小早川は昨日の夜のことを思っていた。
−先生だって疲れてたけど頑張った。他の子たちだって、何もしないで覚えているわけではない。それなりに時間をとって頑張って覚えてるんだ。
あけみは下を向いている。
「先生宿題で覚えてきてって言ってたよ」
元気のいい男子が大声であけみに言った。
いつもは優しいさやさんも「あけみさんの九九は間違ってる」と責めた。
みんな自分は昨日覚えるために頑張ったから、いつも覚えできてないあけみが許せないのだ。
その日の夕方、ベテランの先生にあけみのような子はどうすればいいか聞いてみた。
「そりゃあさ、子どもだけで覚えるのは無理だわなあ。お家の人が見てやらなきゃ」
小早川はあの母親にお願いしても無理だとは思ったが、これから先のあけみのことを思うと、やはり、お願いするしかないだろうと、電話を手にした。
「ああ、わかった、わかった。あけみには言っておく」
どこまでわかってくれているのか。さとみの態度は予想通りだった。受話器を乱暴に置く音がして、あの家庭訪問の時のように、小早川はまた木堂家から締め出された感覚を覚えた。
−もういい。知らない。
小早川は割り切りのいい正直な性格であった。
学校からも近いから、仕事で遅くなっても通うのが楽だ。
仕事が終わって、部屋に帰って、部屋着に着替える。
簡単な夕飯を済ませてから、小早川はもうひと頑張りする。
明日の準備がまだ終わっていない。教える内容は小さな学年だから大したことはないと思ってはいけない。小さい子たちにどうすればわかってもらえて、さらに、楽しいと思ってもらえるか、それを考えることは難しい。
ベテランの先生たちはどうやって教えているんだろう?
先輩の話を聞いたり、本を参考にしたりするが、自分の授業でうまくできたという実感を持てたことはほとんどない。
今は算数の九九が課題だ。ひたすら覚えるしかないのだろうが、となりのベテランの先生も、子どもたちのやる気を高めるためにあの手この手を用意しているみたいだ。それを真似させてもらっているが、どうしてもついて来れない子どももいる。
−どうしたら覚えてくれるかな?
須藤のことを思った。大学時代につるんでいた。須藤はどう教えているんだろう?
−元気でやってるかな。
須藤も教員になり同じ県内に赴任している。たしか、小さな学校だと聞いた。
疲れてはいたが、須藤のことを思い出したら、自分も頑張ろうと思った。
大学時代には、二人して生意気にも「今の学校は」「私だったら」など語り合っていた。
つくづく思う。
−何にもわかってなかったな。
子どもたち、九九の宿題頑張ってるよね。私だって頑張らないとね。明日の準備、それが私の宿題なんだから。
算数の時間になった。授業の始まりは、昨日までにやった七の段までの復習だ。宿題にも出して、覚えてくるようにと伝えた。
一人ずつ順番に暗唱をさせた。みんなよく頑張って覚えてきている。小早川は子どもたちを改めて、愛おしく思った。
−こんな私の拙い教え方にも一生懸命についてきてくれている。
あけみの順番に回った。教室の空気が変わるのを感じた。
いつもあけみのところに回ると、それまでの流れが止まってしまうからだ。子どもたちもそれを知っている。
−ちゃんと言えるかな。
子どもたちの肩に僅かに力が入るのがわかった。小早川も、そういう子どもたちを見て、緊張させてはいけない、と他の子と同じようにあけみに次の段を当てた。
あけみは立ち上がると、聞こえないような小さな声で九九を言い始めた。みんな耳をそばだてて聞いている。
あけみの唱えている九九は間違っている。どれも似たような数字を言っているが、ほとんどが間違えている。
小早川は椅子に座り込んであけみが言い終わるのを聞いていた。
−どうして覚えて来ないんだろう?あれほど、九九はこれからの勉強にとっても大事だよって言ったのに。
「宿題で覚えてきてって言ったよね」
思わず感情的に言ってしまった。小早川は昨日の夜のことを思っていた。
−先生だって疲れてたけど頑張った。他の子たちだって、何もしないで覚えているわけではない。それなりに時間をとって頑張って覚えてるんだ。
あけみは下を向いている。
「先生宿題で覚えてきてって言ってたよ」
元気のいい男子が大声であけみに言った。
いつもは優しいさやさんも「あけみさんの九九は間違ってる」と責めた。
みんな自分は昨日覚えるために頑張ったから、いつも覚えできてないあけみが許せないのだ。
その日の夕方、ベテランの先生にあけみのような子はどうすればいいか聞いてみた。
「そりゃあさ、子どもだけで覚えるのは無理だわなあ。お家の人が見てやらなきゃ」
小早川はあの母親にお願いしても無理だとは思ったが、これから先のあけみのことを思うと、やはり、お願いするしかないだろうと、電話を手にした。
「ああ、わかった、わかった。あけみには言っておく」
どこまでわかってくれているのか。さとみの態度は予想通りだった。受話器を乱暴に置く音がして、あの家庭訪問の時のように、小早川はまた木堂家から締め出された感覚を覚えた。
−もういい。知らない。
小早川は割り切りのいい正直な性格であった。