第2話 災禍
文字数 1,715文字
家庭訪問が終わると学校内は一時落ち着いた日々を送れる期間がある。だが、それは本当に一時で、小学校は行事に追われて一年が終わると言っていい。すぐにまた慌ただしい日が始まった。
新しい学校に着任しま小早川は何もかもが新鮮な出来事の連続であり、初任地での経験から、この仕事に就いたことを幸せであると感じていた。
校内で行われる音楽会が近づいてきていた。
一年生はまだ可愛らしさで勝負できる。何を発表しても、「一年生頑張ったね」という評価をもらえる。
だけど、小早川はどうせならいい発表したい、と考えた。
「みんなで気持ちを揃えて、表現力たっぷりの発表をしたい」
音楽会は学級単位の発表である。「まだ経験の浅い先生だから、あの程度の発表になった」などと思われるのは、自分の性格からは許せなかった。
朝の始業前に特別練習をしようと考えた。そのためには、保護者の理解と協力がないとできない。子どもたちをいつもより早く学校へ出さなければならないからだ。
「音楽会に向けて朝の練習をしたいと思います。子どもたちもいい発表をしたいと張り切っています。おうちの方にはご迷惑をおかけするかもしれませんが、ご理解とご協力をお願いします」
小早川は学級のお便りにそう書いて、朝の練習を始めた。
教室で待っていると、廊下の向こうから子どもたちの元気な声が聞こえてきた。
「おはようございます」
一年生のあいさつは一音一音ゆっくりだ。そのたどたどしさが可愛らしさをだしている。
みんながそろったところで歌の練習が始まった。
朝の学級会の始まる時間になって練習を切りあげようとCD を止めた時、教室のドアが開いた。
木堂あけみがそこに立っていた。全員が来ていると思っていた。
小早川は全員来ているか確認していなかった。
「おはよう、あけみさん」
小早川が声をかけても返事はない。黙ったまま入り口のところで立ったままだ。そのうちにあけみは泣き出した。クラスの子たちもじっとあけみを見ている。
「あけみさん、今日の練習は終わっちゃったから、明日は来ようね」
小早川はそれでこの件は終わると思っていた。
「朝、早く来れないうちだってあるよね」と。
夕方、学校に電話が来た。あけみの家からだった。
小早川は朝、練習に参加させられなかったことの話だろうと察して、電話に出た。
「練習に来れなくても気になさらなくていいです」
そんな言葉を用意していた。
「はい、小早川です」
「おい、お前それでも担任か?」
いきなりのその言葉に、小早川は戸惑った。
「あけみが泣いて帰って来たんだけど」
「はい、」
「みんなで歌の練習してたのに、私だけ行ってないことを先生が笑った、って言ってるんだけど」
小早川は朝のその時の事を思い出してみた。笑ってはいないと思う。ただ、あけみが心配そうな顔をしていたから、やさしく話しかけただけだ。
「朝の練習って、みんな出なきゃいけないの?」
あけみの母、木堂さとみがつっけんどんに聞いてきた。
「はい、できればそうしたいんですけど」
「それってさ、お前が勝手に決めた事だろ? うちはそんな事させられないし、第一、あけみがいないのに、来てる子だけで練習してるのも、ゆるせんわー」
さとみはわざとあきれたように言っている、小早川にはそう感じた。
「あけみが来てないの、知ってた?」
痛いところをついてきた。小早川は気づいてなかったのだ。
「すみません、みんな来ているものと思って、確かめていませんでした」
小早川はすでに涙声であった。その声に乗じて、さとみは続けた。
「担任失格だわ、そんなの、来てないの、知らないなんてありえんわ。教室の前で中に入れなくてずっと終わるまで待ってたって言ってるけど。とにかくうちは無理だし、朝練なんて許してないからな」
小早川は返す言葉もなく、電話を切られ、その場で泣き崩れた。
今までの人生の中で一番、悲しい出来事になった。
翌日からの朝練はやめた。
音楽会も普通に終わった。燃えるような思いもなく、淡々と発表をして。
「先生のクラスの発表、可愛かったあ」
同僚の先生が、そう言ってきた。その言葉を聞いて小早川の目からはまた涙が溢れてくるのだった。
新しい学校に着任しま小早川は何もかもが新鮮な出来事の連続であり、初任地での経験から、この仕事に就いたことを幸せであると感じていた。
校内で行われる音楽会が近づいてきていた。
一年生はまだ可愛らしさで勝負できる。何を発表しても、「一年生頑張ったね」という評価をもらえる。
だけど、小早川はどうせならいい発表したい、と考えた。
「みんなで気持ちを揃えて、表現力たっぷりの発表をしたい」
音楽会は学級単位の発表である。「まだ経験の浅い先生だから、あの程度の発表になった」などと思われるのは、自分の性格からは許せなかった。
朝の始業前に特別練習をしようと考えた。そのためには、保護者の理解と協力がないとできない。子どもたちをいつもより早く学校へ出さなければならないからだ。
「音楽会に向けて朝の練習をしたいと思います。子どもたちもいい発表をしたいと張り切っています。おうちの方にはご迷惑をおかけするかもしれませんが、ご理解とご協力をお願いします」
小早川は学級のお便りにそう書いて、朝の練習を始めた。
教室で待っていると、廊下の向こうから子どもたちの元気な声が聞こえてきた。
「おはようございます」
一年生のあいさつは一音一音ゆっくりだ。そのたどたどしさが可愛らしさをだしている。
みんながそろったところで歌の練習が始まった。
朝の学級会の始まる時間になって練習を切りあげようとCD を止めた時、教室のドアが開いた。
木堂あけみがそこに立っていた。全員が来ていると思っていた。
小早川は全員来ているか確認していなかった。
「おはよう、あけみさん」
小早川が声をかけても返事はない。黙ったまま入り口のところで立ったままだ。そのうちにあけみは泣き出した。クラスの子たちもじっとあけみを見ている。
「あけみさん、今日の練習は終わっちゃったから、明日は来ようね」
小早川はそれでこの件は終わると思っていた。
「朝、早く来れないうちだってあるよね」と。
夕方、学校に電話が来た。あけみの家からだった。
小早川は朝、練習に参加させられなかったことの話だろうと察して、電話に出た。
「練習に来れなくても気になさらなくていいです」
そんな言葉を用意していた。
「はい、小早川です」
「おい、お前それでも担任か?」
いきなりのその言葉に、小早川は戸惑った。
「あけみが泣いて帰って来たんだけど」
「はい、」
「みんなで歌の練習してたのに、私だけ行ってないことを先生が笑った、って言ってるんだけど」
小早川は朝のその時の事を思い出してみた。笑ってはいないと思う。ただ、あけみが心配そうな顔をしていたから、やさしく話しかけただけだ。
「朝の練習って、みんな出なきゃいけないの?」
あけみの母、木堂さとみがつっけんどんに聞いてきた。
「はい、できればそうしたいんですけど」
「それってさ、お前が勝手に決めた事だろ? うちはそんな事させられないし、第一、あけみがいないのに、来てる子だけで練習してるのも、ゆるせんわー」
さとみはわざとあきれたように言っている、小早川にはそう感じた。
「あけみが来てないの、知ってた?」
痛いところをついてきた。小早川は気づいてなかったのだ。
「すみません、みんな来ているものと思って、確かめていませんでした」
小早川はすでに涙声であった。その声に乗じて、さとみは続けた。
「担任失格だわ、そんなの、来てないの、知らないなんてありえんわ。教室の前で中に入れなくてずっと終わるまで待ってたって言ってるけど。とにかくうちは無理だし、朝練なんて許してないからな」
小早川は返す言葉もなく、電話を切られ、その場で泣き崩れた。
今までの人生の中で一番、悲しい出来事になった。
翌日からの朝練はやめた。
音楽会も普通に終わった。燃えるような思いもなく、淡々と発表をして。
「先生のクラスの発表、可愛かったあ」
同僚の先生が、そう言ってきた。その言葉を聞いて小早川の目からはまた涙が溢れてくるのだった。