第3話 転校生

文字数 2,208文字

 今日から転校生が来る。こんな時期に転校してくるというのは何かしら訳がありそうだ。新年度や新学期という切れ目に転校してくるのはよくあるが、学期の途中で転校してくるのは珍しい。今までの例だと、大概は親の離婚、家庭内暴力からの逃避なんかが多い。
 担任になる須藤樹朗(みきお)が入って行くとお母さんと転校してきた子はさっと立ちあがって樹朗に頭を下げた。
 その子は校長室にお母さんと二人で来ていた。姿勢良くまっすぐ前を向いてあいさつをした姿は育ちの良さを感じさせる。
 小早川校長が一同に着席を促した。
 樹朗が入ってくるまでの話の続きがあったようだ。
「ちょうど、前から帰ってこようと思っていて」
 お母さんも白のブラウスに黒のスラックスできちんとした服装をしていた。
 
 小早川校長が母親からのその話題を切り上げ、樹朗にその親子を紹介した。
「先生のクラスに入る松井つばきさんです」
 つばきと母親が改めて須藤に頭を下げた。
「松井です。よろしくお願いいたします」
 母親が続けてあいさつをした。
「担任の須藤です。よろしくお願いします」 
 須藤が丁寧に挨拶をしたのを見て、小早川校長は笑い出した。
「須藤君」
 校長から君付けで呼ばれることは、この場ではふさわしくない。驚いて須藤が校長を見ると、小早川はにっこり笑って続けた。
「松井さんは私の教え子なんです。しばらくこの地元から離れていたんですけど、久しぶりに帰ってくることになって」
 須藤はまだ、小早川が笑っているのを見て合点がいかないまま聞いていた。
「須藤君、わからないかなあ。松井さんは副島君の娘さんです」
−−副島って、あの副島?大学時代に小早川と須藤の三人でよく飲み歩いてつるんでいた、あの副島の娘さん。
「父がお世話になりました」
 母親が頭を下げた。
「小早川先生もお若かったですよね。何年ぶりになりますか」
「もう三十年くらいかな? 私がまだ2校目の頃だったから」
 小早川が副島の娘さんの担任をしたということは聞いていた。不思議な縁というものがあるとその時は3人で話して笑ったものだ。副島も「小早川が担任なんて、困ったことになった」と冗談で言っていた。
 副島の娘は結婚して「松井」になっていた。
 今度は自分が副島の孫の担任になった。これも不思議な縁だ。
 副島が導いているのかもしれない。

 チャイムが鳴った。
「では、須藤君、教室にお連れして。松井さん、またゆっくり話しましょう」

 須藤は松井親子を教室に案内した。つばきは黙ってついてくる。まだ緊張しているみたいである。ランドセルと手提げを持って一緒に階段を上って教室へと向かった。
 教室では「転校生が来る」と子どもたちが廊下まで出てきて待っていた。
「はい、教室に入って」
 須藤が子どもたちに教室に入るよう促し席に着かせた。みんな興味しんしんの目でつばきを見ている。須藤はつばきに自己紹介をするように伝えた。自分で言える子だと感じたからだ。
「松井つばきです。よろしくお願いします」
 予想したとおりつばきははきはきした声で自己紹介とあいさつをした。教室の後ろで母親はそれを見届けると、「それでは」と須藤に告げ、つばきに軽く手を振ってから帰っていった。

 須藤は放課後、つばきの母親が持ってきた書類を手に取って中身を見た。
 家族構成が書いてある書類をまず見た。
 その書類によると、父親は一人で前の住所に残っているらしい。仕事は電機メーカーであった。日本で有数の大手企業であった。
 母親は松井さやという。職業欄は無職とあった。まだこちらに来たばかりだから当たり前だろう。以前は何をしていたのかはわからなかったが、それなりの職業に就いていたような気配を感じさせる人であった。
 姉が一人、松井もみじというらしい。現在中学二年生で同じ通学区の中学校に転入していた。
 もう一人、祖母が同居人として書かれていた。副島(そえじま)美智子という。副島の妻である。市役所市民生活支援課勤務とあった。
 副島の葬儀で会ったのが最後。それからは会っていないが、元気で働いているようで安心した。
 この一家はこの副島の家に引っ越してきた。つまり、母親の実家に戻ってきたと言うことだ。
 もう一通、緘封をされた書類があった。前の学校から持って行くように渡された松井つばきの指導要録である。どこの学校でも法令によって作成することになっている。学校の在籍を示す文書と、児童の学業、生活の様子が端的に書かれている文書の二通からなる書類である。
 須藤が封を開け、中身を確認した。予想通り、つばきの成績は抜群であった。そして、生活面での担任のコメントには
「どんなことにも正義感を強く発揮し、自分の意見をしっかりと持っている。周囲の人たちのことを自分のことのように考え、誰からも信頼され、慕われている」
とあった。

 今日一日を須藤はふり返って、松井つばきの様子を思い出した。
 最初のうちは緊張していた様子もあったが、授業の中で既に何回も手を挙げ、自分の意見をみんなの前で言う姿があった。転校の初日から発言をしていて他の子たちも少し驚いていたようだった。
 容姿も洗練された都会風で、すぐに女子に囲まれて笑い合ったり、一緒に遊んだりして人気者になっていた。
 家族構成、指導要録から予想されるままの児童であった。なんの問題も起きないだろう。そして、自分の学級にもプラスになる存在になるだろうという予感を持った。
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