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文字数 2,196文字
最後まで笑って見送ってくれたシアを背に、部屋を出る。
シアの後方で控えていたリシュカさんとは、結局一言も言葉を交わさなかった。リシュカさんからしたらあたしみたいな身勝手な人間、軽蔑していることだろう。何ひとつ言葉をあたしに向けなかったのは、話すことすら嫌だったのかもれない。あの場で斬り殺されずに済んだのは、きっとシアが居たからだ。シアはそれを止めるからだ。
屋敷のようなその家の長い廊下をひとりで歩く。大きな窓が並ぶ長い廊下だった。
窓の外には変わらずお祭りのような喧噪が広がっている。この国の現状を憂いながら、それでも笑って生きる人々。シアは式典で国民たちに、何を語ったのだろう。もう広場では流れたのだろうか。
戦争が起こると。必ず誰かが死ぬと……それが今隣りに居る人かもしれないと。それを知っても尚、笑っていられるのだろうか。それでも尚、戦場に出向くのだろうか。何の力も持たないのに。
廊下の突き当たりに扉が見えた。両開きの大きな木の扉だ。おそらくあそこから外に出られるのだろう。その扉の前には長身の人影。それが誰なのかは想像がついた。
顔をしっかり見たわけではないけれど、先ほどシアにクオンと呼ばれていた人だ。細身の長身で、どこかで見た制服を着て腰には剣を下げている。
どこだろうと思い記憶を探ると、王国が統治する海上船団管理局でだと思い出した。局の出入り口や中にも、同じ制服を着た人達がたくさん居たのだ。おそらくこの国の軍人か、兵士か。
あたしの姿を確認したらしいクオンが、ゆっくりとこちらに歩を進める。そして流れるような動作で腰元から剣を引き抜き、それを躊躇なくあたしの首筋にあてた。音も無いその動作に、あたしは足を止めてただ相手を見上げた。
「部屋からひとりで出てきたということは、貴女は陛下の為に戦う意思が無いものと見なします」
切れ長の瞳が、あたしをまっすぐ見下ろしている。
真っ直ぐな長い黒髪を後頭部の高い位置でひとつに結び、前髪は左目を覆い斜めに切り揃えられていた。たぶん、見えないのだろう。前髪の隙間から覗く光の強弱が対照的だった。
「貴女は陛下の“武器”だと、そうリシュカ殿から聞いていましたが」
「……違ったから、殺すの?」
「武器も従者も主の為に消費されるものです。貴女もそれを全うする義務がある」
「ここで死ねってこと……? シアの為に?」
「それが、我々臣下の役目です」
――あたしの、お母さんは。
もともと体の弱いひとで、あたしを妊娠した時も、諦めろと言われていた。あたしのこと。
だけどお母さんはそれをしなかった。
出産後も体への負荷と影響が大き過ぎて、お母さんはあたしを生んで以来一度も家に帰ってきたことは無い。
そうしてあたしを生んで5年後に、この世から去ってしまった。
あたしを、生んでいなかったら?
あたしなんか、見捨ててくれて良かったのに。
あたしを生まなければその先の人生があったはずなのに。それを、奪ったのは――
引き換えに生かされても、重た過ぎる。お母さんの分も精一杯、なんて。押し付けないでよ、勝手なことばかり。
命をかけるって、なんだろう。どういうことだろう。それは相手がそれに値する価値を持つ時、報われるものだ。あたしはそう思う。あたしにそんな価値はきっとない。
でも、シアには――
『――――――おれがこの国の最後の王だ』
暗く重たい思考の中に、その声が響く。無意識に呼んでいた、その声が。
シアと初めて会った時……この国の現状を説明した時の、シアの言葉だ。
どうして今頃、そんな声が――
『――は、もう居ない。城にはおれひとりだ――』
あたしの頭の中の幻聴?
違う、これは。
「……これ……?」
俯いていた目線がひかれるように上がる。
不思議とその声を、あたしは聞き逃したりしないのだろう。
どこだろう。今も、聞こえている。
シアの声だ。
少し遠いのか上手く聞き取れない。
「――動かないで頂きたい」
目の前でクオンが警告のように呟いた。だけどあたしの耳にそれは届いていなかった。
頭だけ向けたそこは、窓の向こう。シアの声が聞こえるのは外からだった。
「……これ、シア……?」
「……本来貴女がその名で呼ぶことを許すわけにはいかないのですが……まぁ、そうです。式典の放映が始まったようですね。すぐそこが広場ですから」
無意識にすぐ傍にあった窓へと足が動いた。
クオンの向けていた切っ先が、僅かに掠って首筋に赤い線を作る。
「……っ」
クオンが僅かに目を瞠ったけれど、あたしはそれに気づかずに大きな窓に手の平を寄せた。
あたしの腰から天井近くまでの大きな窓の外には、祭りを堪能していた人々の背中が一様に広がっている。その視線の先に、きっとシアの姿があるのだろうと予測できた。
「シアは、なんて……? この窓、開かないの?」
窓越しの声はくぐもっていて、断片的にしか聞こえない。それがもどかしくてじれったい。
背後に立ったクオンが、少し思案した後窓の高い位置にあった鍵を開けてくれた。
「陛下は今日国民に、すべてを話すと仰っていました。この国の現状と、そして行く末。それから陛下ご自身の御心を」