(2)

文字数 2,076文字


 またその話?
 まだ選べと言うの?

 薄く目を開けるとそこは海の底だった。光の粒が海底から水面へと上っていく。
 そしてあたしの目の前には、ぼんやりと人の形だけを持つ何かが居た。輪郭はひどく揺らいでいて、表情も無い。
 だけどそれが誰なのかはイヤでも分かってしまう。
 直接文句を言ってやりたかったので、ある意味好都合と言えば好都合だ。

『きみがぼくの力を手にするということは、今までの契約とは少し違う』
「何が違うのよ、どうしてあたしなの。あんたはずっと、シェルスフィアに……シアの一族と契約してきたんでしょう?」
『そうだ、ぼくはこのシェルスフィア建国時からずっと、約束の証として契約を繋いできた。だけど、きみは違う。きみはぼくが見つけた』
「だから、なんであたしなのよ……! あんたの力を一番望んでいたのは、シアなのに……あたしはこんなこと、望んでなかった!」
『シェルスフィアから放たれた神たちは、もはや人に仕えることはしない。自分たちの世界に帰る。誰もがそれを、望んでいる』
「……でも、リュウの中にも、あんたと同じような神さまが居るって……」
『あの者の中に居るのは、先の5人の神々ではないよ。おそらくこの海に残る他の神と、契約を結んだようだ』

 ――海には12の神が居るといわれ、シェルスフィアはその内6人の神々と契約を交わしてきた。

 この海には、シェルスフィアの干渉の及ばない他の神さまが居る。

「どうして……?」
『ぼくにはなんとも。あちらの力をすべて見たわけじゃないから、彼の中に何者が居るのかまでは、分からない』

 どうしてシェルスフィアとは契約をしなかった神さまが、アズールと…リュウと契約する気になったのか。それは、分からない。でも。アズールがその力を求める理由はひとつだけだ。

「このままじゃ、戦争になる……」

 シアはそれを避けようとしていた。その為にトリティアの力を必要としていた。
 だけどそれは、アズールのように戦争に使う為じゃない。国を、シェルスフィアを守る為だ。
 かつてのシェルスフィアのように神の加護を知らしめ、他国からの侵略を回避する為。あの海にそれを、再び示す為。それができればきっと、戦争は回避できたはずだ。永くそうしてきたように。シアもきっと、そう思ってた。
 だけど、もう。何もかもが遅かったんだ。

 アズールが神の力を手にした今――戦争は回避できない。アズール側がそう、宣告したのだから。

『この国を、救いたい?』

 トリティアがひどく優しい声音で訊いた。
 やっぱり、卑怯だ。あたしに何を選べというの、これ以上。

「あたしに戦えって言いたいの?」
『そうは言わない。それがすべてだとぼくは思わない。ただきみにはその可能性のひとつがあるということだけを、覚えていてほしい』
「……意味が、分からない……」
『北の海、深層の祠に行ってごらん。あそこは異世界と通じている』

 トリティアのその言葉に、あたしは思わず目を瞠る。
 異世界と通じる場所?
 つまり、そこに行けば……

「帰れるってこと……?」
『“異世界”がきみの世界ひとつだというのは間違いだ。そこはぼくらの世界へと繋がる道でもある』

 “異世界”が、ひとつじゃない。
 “ボクらの世界”……?

「……神さま達の、世界ってこと……?」

 呟いた言葉に揺らいでいたその輪郭が、少しだけ笑ったように見えた。やっぱりその表情は見えないのだけれど。

『あの海の向こうには、ぼくらの生まれた海がある。きっと誰もが焦がれる世界だ』
「……じゃあ、あんたも……帰りたいってこと? その世界に……だから、あたしを選んだの?」

 もしもシアと契約していたら……きっとそれは、叶わなかったかもしれない。シアには……シェルスフィアには、神さまの加護が必要だ。

『あの場所からなら、たぶん声が届く。あとはきみが、どうしたいかだ』
「それってつまり……トリティアじゃなく、他の神さまの力を、借りれないかってこと……?」

 シアが望んだトリティアはもう、あたしと契約を交わしてしまった。シアがこの力を求める限り、否が応でもあたしはきっと戦争に巻き込まれる。この世界に居る限り、きっと――
 トリティアは肯定も否定もしなかった。そして沫の向こうにゆっくりと、その輪郭が溶けていく。

 そうして目が覚めた時、あたしはまだベッドの上だった。
 大分慣れた船の揺れ。まだ目的地には着いていないみたいだ。窓の外は明るく、あれから一体どれくらい経ったのだろう。ゆっくりと体に力を入れてみる。まだ少しだけ重たいけれど、大分楽になった気がする。
 こめかみを滴が伝う。だけどそれを拭う気力はなかった。

 あたしはずっと、自分が逃げて楽になることしか考えていない。もとの世界でも、この世界でも。
 でもあたしにはそういう生き方しか選べない。今までそれ以外の生き方をしてこなかったから。
 それが何故だか今はひどく、情けなかった。

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