(8)

文字数 1,745文字


 それでも。
 どんなに勝手で卑怯で理不尽でも、ここで死ぬわけには、いかない。
 死んだら帰れなくなる。全部まだ、置いてきたまま。
 約束した。必ずまた、会おうて。

「――――……ッ、トリティア……!」

 目の前でかざしたままの短剣の、鞘を抜く。
 それは無意識のことで、本能的な行動に近かった。

「だったらどうにかしてみせてよ!」

 現れた刀身が、光を帯びる。
 どうして、短剣のはずなのに。
 鞘から抜いたその刀身は、既に鞘の倍以上。
 銀色の鞘がカランと床に転がる音が遠くで聞こえた。

 ――それは、マオ。きみの役目だ

 引き抜いたその勢いのまま、剣を払う。薄く長い刀身は透明で、まるで重さなど感じなかった。

「!」

 だけど目の前に居た黒いマントの男は完全に不意を突かれ、突如現れたその刃に咄嗟に身をひく。
 僅かばかり間に合わなかったその胸元に切っ先が走り、マントの下が顕わになった。
 肌には届いていない。白いシャツと、翻る青。

「成立したか」

 ぼそりと落とした声は、まだ若い。自分と同じくらいに思える。
 自分から数歩離れてこちらの様子を伺うその男の胸元に、思わず目を瞠る。そこに見覚えのあるものがあった。

「……うそ」

 カタチだけでなんとか剣を構えるも、意識が集中できない。
 だって、それは。

「……! お前、その制服……まさか……」

 混乱するあたしを見ていたその目が、ようやくあたしの全身を捉える。
 あたしもそこでようやく相手の顔を見ることができた。 
 はじめて見る顔。当たり前だ、この世界に知り合いなど居るわけない。
だってここは、違う世界なのだから――

「……碧永沢(とがさわ)の生徒か?」

 黒いマントの下に覗くその服装は、私立 碧永沢(とがさわ)学院の男子生徒の制服。
 白いシャツの胸元に縫い付けられた校章が、その証。
 あたしが着ているセーラー服の胸元にも着いている。全く同じ、校章が。
 つまり、彼は――

「どうやら同じ場所から来たみたいだな。だけどオレはもう、あの世界は捨てた。オレは今、アズールに属してる。アズールフェルの魔導師・リュウだ。お前は?」

 今、目の前でリュウと名乗ったその人物は
 あたしと同じ世界の、しかも同じ学校の生徒で
 そして今、あたしの目の前で異世界の人間として、あたしに刃を向けている。

「……名乗れないのか?」
「……待って、頭が、追い付かない……」

 混乱する頭をなんとか落ちつけようと試みるけれど、余計に思考回路はこじれる。

 リュウは、どうしてここに?
 あたしみたいに、誰かによばれて?
 アズールの魔導師だと言った。それはつまり、シェルスフィアの隣国で、今最も関係が注視されている国だ。
 そのリュウ達が、この船を襲った。
 それってとっても、マズイ状況だよね…?
 そして、そしてリュウは――

「……戻る気が、無いってこと……? もとの、世界に」

 ようやく口にしたその言葉に、リュウは向けていた刃を下ろした。ひかれるようにあたしも形だけで構えていた剣を下ろす。

「ああ。戻る価値などない。オレはあの世界には何の未練もない。お前は、戻りたいのか?」
「だって、あそこは……っ、生まれ育った場所じゃない……!」
「随分狭い価値観で語るんだな。それだけだ」
「ここには誰も居ないじゃない! 家族も、友達も……、誰ひとり……!」
「生憎もとから居なかった。あっちはとても、くだらない世界だったよ」

 見下ろすリュウの、その瞳。メガネのレンズ越し、なんて冷たい色。
 じわりと焦がれる。何かがひかれる。

「ひとりで生きていくのに、生きる場所など自分で選べる」

 ――あたしも。
 ひとりで生きていけるのなら、どこでも良いと思ってた。
 あの世界にはもうあたしの居場所など、どこにも無いと、そういつも感じていた。

 あたしが居なくても足りる〝家族"
 上辺だけの希薄な〝友達″
 いつもどこか、何かが欠けたように埋まらなくて。

 はやく大人になれたらと……
 誰とも関わらず、干渉せず、ひとりで生きていけたらと
 ずっとそう、思っていた。

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