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文字数 2,068文字
ふ、と吐息が落ちてくる。
それはどこか小馬鹿にしたような。
「仕方ねぇな、心臓だけでカンベンしてやる」
呆れるように言ったレイズの言葉が上手く理解できず、間を置いてゆっくりと目を開いた。自分を見下ろすその藍色の目に宿る光は真剣な色。
その手が一瞬、離れる。それから今度は同じ場所に指先が触れた。
心臓の真上。
「……っ」
肌をなぞるくすぐったさに、肩を竦める。
冷たい。だけど装飾品の冷たさじゃない。
「動くなっつってんだろ」
ぴしゃりと言われて、それからおそるおそるその指が触れている先に視線を向ける。
レイズの腕が自分の胸に伸び、その指先が心臓の上の肌をなぞっていた。ゆっくりと押し付けられる指の感触が、次第に熱を帯びる。
もう片方の手に何かを持っていることに今初めて気付いた。
何かの容器だ。レイズの手の平に収まるくらいの、お椀のような器。
そこに右手の指を入れ、また心臓の上に戻ってくる。ポタリと肌に落ちる液体の感触。
それはここに来るまでに幾度も見た色で、そして目の前のレイズの肌にも多く刻まれている色だった。
「本来は日に焼いた方がもつんだがな。まぁどうせ水ですぐ落ちちまうけど」
「……
「別に本当に彫るワケじゃねぇ。
言いながらレイズは真剣な目で、おそらくその肌にもあるような複雑な紋様を描いている。
あたしの心臓の、真上。
守るために。
『マオのは、きっとキャプテンがいれてくれますよ。乗船の最初の儀式みたいなものですから』
ジャスパーが言っていた言葉を思い出す。そうこれは、この船の船長であるレイズの、仕事なんだ。
「…………」
どっと力が抜けるのを感じる。それから自分の思い込みの激しさと、想像力の逞しさに言葉を失った。
一番最悪の想像をしていた。
だけどレイズが与えてくれたのは、それとは正反対のものだった。
「船でのおまえの役割は、魔力感知だ。魔導師なら見習いだろうと修行中だろうとできるだろ」
「……え……」
レイズが腕を止めずに言った言葉を、一瞬聞き逃す。思考が上手くまとまらなかった。
顔があつい。それからレイズに触れられている部分も。
「港まではまだ3日ある。この海域はまだ船属魔導師なしではキツいと思ってたところだ。何しろほとんどの船員が魔力を持ってないしな。無事港まで着けたら、そこでお前を解放してやってもいい。所属先や雇い先を探してるんならそのまま置いてやってもいい」
「……えっと……」
おそらくこれは、仕事の話なのだろう。混乱していた頭が少しずつ冷静になってくる。
だけどやっぱりこんな時、この世界の情報の疎さばかりが露見してしまう。
「……なんだその反応。おまえ、師はいねぇのか?」
「えっと、ちょっと辺境の地にいたもので……」
あたしの言葉にレイズはぴたりと指を止め、じろりとあたしを見据えた。
「……まさか他国のスパイとかじゃねぇだろうな……」
「え、あ、それは違う! ……えっと、国の情報には、疎くて……」
そうか、シェルスフィアは海に囲まれた国だと言っていた。いわば島国だ。海を挟んだ先は別の国の海域なんだ。確かにそうすると、自分は怪しいことこの上ないだろう。
「……まぁ、いい。地域によっちゃ閉鎖的な村や種族も居るしな。おまえ恰好も変わってたし。特に魔力を持って生まれる人間は、血統が多い。成人するまでは外界との接触を断つ村もあったしな。じゃあ教えてやる。この国の魔導師の所属は2種類だ。王国直属か、船乗り所属か。よっぽっど有能なヤツは大抵王族やら貴族に仕えちまうがな。だけどシェルスフィアは船乗りの国だ。船乗りの仕事は海にある。だが海には多くの神と精霊が居る。ヤツらは船を襲い指針を惑わせる。だから魔導師の力が必要だ。この国じゃ船には必ずひとりは、魔導師を乗せる義務がある」
言葉と共に、レイズの作業も再開する。あたしはただ黙ってそれを受け入れた。
「結界張れとかそこまでは求めねぇ。おまえがそこまで有能そうにも見えねぇし。だけど魔力を持つ者なら、ヤツらの力を感知できるだろ。そこまででいい。危険だと思ったら報せろ。後は俺がなんとかする」
……魔力感知。海にいるという精霊や、神々の気配を感じたら、報せる。
できるだろうか、あたしに。そんな、今までやったことがないようなこと。
「……、感知が遅れたり、できなかったりしたら……」
「船の全員が死ぬ。言ったろ、ほとんどの船員が魔力を持ってないし、ごくわずかに素質のあるヤツもいるが、途絶えた血統の隠れた生き残りか、ごく稀に居る天賦の才だ。魔導師の教えを受けていない。現状俺たちができるのは、危険回避のみだ。それが遅れたら全員死ぬだけだ」
「……!」