(10)
文字数 2,093文字
無意識にあたしはつい先ほど来た道をまた歩いていた。
長い廊下に響く靴音はふたつなので、おそらくクオンがあたしから目を離すまいと追いかけているのだろう。
背中で聞こえる歓声はまだ止まない。シアにもちゃんと、届いているだろうか。
いつの間にか早足になって、息が上がっている。どくどくと脈打つ心臓。もう揺るぎはしない。
勢いよく開けた扉の向こうには、くたりと椅子にもたれたシアと、その傍にはフードをとったリシュカさんが居た。
シアは初めて会った時のように子どもの姿。
どうしてだろう、何故だかこっちの姿の方があたしには馴染んでしまった。そう思ったら少しだけ口元が緩んだ。
「……マオ……?」
ひどく頼りない子どもの声。最初はすっかり騙されてしまった。
だけどシアがついた嘘などひとつもない。あたしが勝手に勘違いしただけなのだ。
椅子にもたれるシアへと歩み寄るあたしの前に、リシュカさんがその身で阻む。その目には敵意が揺れていた。だけどあたしも逸らさなかった。
「良い、リシュカ。退け」
「……ですが」
「マオはおれの敵ではない」
きっぱりと言ったシアの言葉に、少しばかりの躊躇を置いてリシュカさんがその身を退いた。その視線が今度は扉の方へ向く。おそらく追い付いてきたクオンがそこに居るのだろう。
シアの目の前まで歩み寄り、あたしを見上げるその瞳を見つめ返す。
まだどこか青い顔色。動こうとしない体。よほど余裕が無いのだろう。今度はもう笑っていなかった。
「……どうした。何故、戻ってきた」
「聞きたいことがあって」
「……おれに?」
不思議そうに訊くシアに、こくりと頷く。
膝を折って視線を合わせようかと思ったけれど止めた。シアはそんなこと望んでないし、あたしはあたしとして、向き合いたかった。
「あたし達がこの世界で……この国で出会えたことに、何か意味は、あると思う?」
この国に起こった現状を、シアは意味のあることだと言った。その先の未来を見据えて、国民に問う。覚悟を決めろと、自分の意志で。
あたしの問いにシアは口元をぎゅっと結び、それから開く。
「……わからん。その意味を返せるのかも、今のおれには断言できん。……だが。少なくともおれは、それを望む。おれはお前のことを、死んでも忘れないだろう。きっと、永遠に」
あたしもきっと、忘れられない。だから。
死ぬ、なんて。言わないでそんなこと。
「……あたしは……自分が死ぬよりも、誰かに死なれることの方が、こわい。目の前で大事なひとを失うことの方が、何十倍もこわいの。だから、シア。約束して、死なないって。そしたらあたしも、少しくらいならガンバってみる。シアの気持ちに応えられるよう。……こわいし、逃げ出したい気持ちだってまだあるけど、約束してくれるなら」
「……マオ……」
「あたしにこの国は守れない。この国を守れるのはシアだけだから。でも……それ以外のことなら、できるかもしれない。自信は、ないけど……あたしに、できると思う……?」
「……それは、おれが答えていいことなのかわからない、だが。……お前が傍に居てくれるなら……おれは今より少しだけ、強くなれる気がする。強くありたいと、そう思える。だから約束しよう、マオ。おれは決して、死んだりはしない」
シアの言葉にあたしは、多分笑えていたと思う。シアも少しだけ、笑ってくれたから。
「なら、その約束の為に。あたしはシアを守る」
胸に一粒の淡い光が灯る。
これが何の感情なのか……良いことなのか悪いことなのか、今のあたしには分からない。
「……戻ってきた人間は、お前が初めてだ」
少し目線の下がったその瞳は、やっぱり優しく揺れる綺麗な青。
小さく呟いたその言葉をあたしは上手く聞き取れなくて、だけどそれでも良いと思えた。
もう殆ど動けないシアは、体を起こしているだけでやっとなのだろう。
「……しまったな。もう少しもとの姿で居れば良かった」
「どうして? 呪いが進んだらどうするのよ、もう」
今さっき死なないと約束したばかりなのに。
思わず憤慨するあたしに、シアは心底可笑しそうに笑った。
「それよりも今はお前を抱き締められないことの方がつらい。それにこの姿ではサマにならん」
シアの言葉に面食らって、思わず顔に熱が走る。
だけどまだ額に汗の滲むその姿に心が揺れた。
抱き締めたい衝動はあたしにもあった。
「じゃああたしから、触れてもいい?」
「……ずるいな。そう言われて断る男はいない」
シアの返事にあたしは笑って身を屈め、それからその小さな体を抱き締めた。振り絞るように震えるその手があたしの腰を抱き寄せる。あたしもその背をそっと撫でた。
「……言い忘れてた。誕生日おめでとう、シア」
この温もりをあたしは、守れるのだろうか。
分からない、だけど。
どうしたってやっぱり、胸が疼く。
心がその青に惹かれる。
この感情の行き着く先が、まだ見えなくとも。