(9)
文字数 1,532文字
置いてきたものなんて、あった?
あの世界に。
あたしが帰りたいと、思った理由は?
ここに居たくないと、思った本当の理由は――?
何も返せない。上手く言葉が出てこない。
リュウの瞳があたしを見据える。それからどこか呆れたように、笑うのがわかった。
「お前は選ぶことすらしていないな。心を半分、あっちに置いているのか。そういうヤツが真っ先に死ぬんだ、この世界では」
見透かされたようなその瞳。
思わず逸らしたその先で、リュウの手元から先ほどまで握られていた剣が消えていた。
くるりと背を向けたリュウが、レイズと剣を打ち合っていた男の方に向かって歩き出す。
「アール、いったん退こう。状況が変わった」
「マジかよせっかくのお楽しみだったのに! いいのかよエル!」
すたすたとその横を通り抜けるリュウに返しながら、アールと呼ばれた男は後方で様子を見守っていた青年に首だけで振り返る。
エルと呼ばれた男は、自分の隣りに戻ってきたリュウに視線を向けた。
「いいのかい、リュウ」
「今あれとやり合うのは厄介だと判断したんだ。海神を受け入れたばかりのあの未熟な器では、力を安定して使えない。想定外の力に巻き込まれでもしたら本末転倒だろう。トリティアの情報も不足しているし、とりあえず出直した方が得策だ」
「いいだろう。アール! 戻ろう」
「ちっ、勝負は持越しだな、海賊船の船長殿。名を聞いておこうか、オレはアール」
言って剣を払い、レイズと距離を置いて対峙する。
レイズは払われた剣先を男に向けたまま、警戒と敵意の目で睨み返す。
「なぜ俺が船長だと分かる」
「周りの連中を見てれば分かるさ。いい船だな、壊すのが惜しい」
「させるかよ。俺はこの海賊船アクアマリー号船長、レイズ・ウォルスターだ」
「覚えたぞ、その名。次はその首をとる」
フードの下でにやりと笑い、アールと名乗った男はリュウ達の元へと踵を返す。
この場の撤退が伺えた、その時だった。
白いカラスがふわりとあたしの肩に舞い降りた。シアの声は聞こえないけれど、未だその体は淡い光を放ったまま。その存在をすっかり忘れていた。
茫然としたまま見つめるあたしに、カラスは何も返さない。その視線はまっすぐエルと呼ばれた男だけに注がれている。
白いカラスの視線を受けて、その男はこちらに向き直った。思わずびくりと身構えるも、あたしのことなど眼中に無いことに気付く。
「――リシュカの使い魔だね。交信魔法が発動している」
「気付いていただろう、エル。始末して行かなくていいのかあれは」
「もう遅い。それに、好都合だ」
白いカラスの向こうには、おそらくシアが居るはず。そこでずっと、見ていたのだろう。
エルと呼ばれていた男が、おもむろに自らのフードを外した。顕わになる、その相貌。
「――……!」
その顔を見たレイズと、それから船員たちの息を呑む気配が聞こえた気がした。
口元に笑みを浮かべたその顔。
誰だろう。どこかで見たことがある気がする。誰かに似ている気が――
「ジョナス殿下……!」
零れ落ちるように口にしたのは、エルの顔を真正面から見ていたレピドだった。その顔が、蒼くなる。
その名前は、ついさっき聞いた名前だ。そう、〝ここに居るはずのない″人の名。
この国を追放されたはずの、シアの義理のお兄さん――
「シアン。そこに居るんだろう、リシュカも。きみがアズールフェルのシルビアとの婚約を断ったことで、その座が僕にも巡ってきた。僕はアズールの王になる。そして次は、シェルスフィアだ。
この海を統べる為、僕は戻ってきた。この国に――」