(2)

文字数 2,480文字


「5日……!?」

 まさか、そんなはずない。だけどシアがそんな嘘をつく理由なんてない。
 つまり、シェルスフィアともとの世界では、時差があるということになる。約5日分もの――

『それよりマオ、どうしてそんな船の上に居る? 帆を見たがもしや海賊船か……?』
「あ、えっと……あたしがまたこっちに来たのは昨日なんだけど、何故だか海の真ん中に落ちちゃって……そこをこの船の船長に助けられたの。今は港まで置いてもらってる身」
『……そうか。いろいろと気にかかるが、今ここで議論してもしょうがない。距離も遠く交信魔法は長くはもたないんだ。マオ、このカラスはリシュカの魔法で作られていて、魔力の無い者には視えない。その船にはどれくらい魔導師が居る?』
「あ、えっと……魔導師は今、居ないって。あたしがその、咄嗟についた嘘で、今この船の魔導師ってことになってる」

 言いながらなんとなく情けなくなって、自然と視線が下がる。シアの前でそれを名乗るのは烏滸がましい気がした。
 白いカラスは、予想に反して穏やかな声音で続けた。

『賢明な判断だ。まずは命を大事にしてくれ。それにあながち嘘でもないさ』
「……そう、かな……」
『お前の中に何かが居るかどうかは別として、お前自体に素質はあるはずだ。このカラスが視えているのだから』

 そうなのだろうか。あたしに、魔力が?
 少しくらいの力なら、あるの?
 あたしに。

 もしかしてシアには、あたしの姿が見えているのかもしれない。励ますような優しい声音でそう言われて、少し胸が軽くなった。この船での役割を、少しは果たせるかもしれない。

『そのカラスに、ある物を持たせた。あるか?』
「え、待って」

 言われてカラスの居る窓枠に目を凝らす。カラスは近づいても逃げなかった。その、足元に――

「あった、布にくるまれた……何? これ」
『開いてみろ』

 言わるがままに、布を開く。次第にその姿が顕わになる。
 無意識に鞘から抜いたそれに、月の光が反射する。

「……短剣……?」
『一応防護の魔法をかけてあるが、一回きりしか発動しない。それに時間が経つにつれ効力はなくなる。剣だけでも無いよりはマシなはずだ。護身用に持っておけ』

 片手の平に収まる柄。同じくらいの真っ直ぐな刀身。果物ナイフほどの、細身の短剣。
 だけど果物ナイフなんかとは違う。柄には装飾の石が嵌めこまれ、月明かりに煌めく。思わずため息が零れるくらい、綺麗な短剣だった。

『裏を見てみろ。紋章があるはずだ』
「……うん、ある」

 くるりと裏返すと、金属の柄に深く刻まれた紋様があった。どこかで、見たことがある気がする。

『シェルスフィア王家の紋章だ。いざとなったらそれを翳せ。おれの名を使っても構わない。身を護れ』

 きっぱりと言い放ったその声音に、胸が疼いた。
 シアがここまで自分の身を案じてくれていること。一国の国王である自分の名を…容易に貸せるものであるはずがないその名前を、はたから見たら一介の小娘に過ぎないあたしに、預けてくれた。
 その心にじわりと涙が滲む。
 刃を鞘にしまい短剣を強く胸に抱いた。
 シアの心に報いたい。それが心の内に浮かぶ。

「……約束する。死なないよう、努力する」
『……ああ、信じている。港へはいつ着く予定だ?』
「2日後、イベルグ港って言ってた」
『わかった、迎えの者を出す。船と船長の名は?』
「船は、アクアマリー号。船長は……フルネームじゃなくていい? 覚えることたくさんあって忘れちゃったの。船長の名はレイズ」
『はは、マオらしいな』

 それからふと不安になって口に出す。レイズは海賊で、シアは国王だ。

「シア、この世界での海賊の扱いって、どうなってるの……? やっぱり犯罪者なの? あたしこの船には助けてもらった恩があるの」
『……そうだな。現状の国内での海賊たちの立ち位置は、少し複雑だ。いま説明してやれる時間もない。ただ、安心しろ。マオの恩人ということは気に留めておく』

 シアの返事にほっと胸を撫で下ろす。
 良かった、映画や小説みたいに、捕まってひどいことをされたらどうしようと思った。
 それからはっと無意識に握っていた胸元の違和感に、漸くこの世界に再び来た目的を思い出した。

「そうだ、シア! ネックレスを見なかった? 石が付いている……ここで失くしたとしか思えない。死んだお母さんのお守りなの、それを見つけたくて、あたしはここに来たの……!」

 あたしの目的。それだけはどうしても、取り戻したいもの。
 白いカラスは沈黙している。失くしたと気付いたあの絶望的な気持ちが、胸に蘇る。
 ここになかったらもう、二度とこの手に戻ってこない。
 それからシアの落ち着いた声が、ようやく返ってくる。

『それならおれが持っている。バルコニーに落ちていた。青い石だろう?』
「……! そう、それだと思う、良かったやっぱりここにあったんだ……!」

 シアの答えにあたしは思わず力が抜けて、そのまま床にお尻を着く。いろいろと張りつめていた気持ちがゆっくり解けていく。

「……それ、シアに預けておく。持っていて、シア。あたしは別のお守りをもらったから、だからあたしがこの剣を返すまで、代わりにして」
『……わかった。そうする。お前の大事なものは、おれが預かる。必ず無事で会おう、マオ』

 シアの言葉にあたしは微笑む。それからその言葉を最後に、白いカラスは何もしゃべらなくなった。
 だけどカラス自体はまだ、ここに居る。まるで本当に生きているみたいに、その透明な瞳にあたしを映して。
 もしかしたらそういう魔法なのかもしれない。このカラスが居てくれれば、またシアと連絡がとれる。話ができる。
 それはシアが見守ってくれているということだ。遠く、離れていても。
 そう思うと、涙が出るくらいに安心した。
 潜り込んだベッドで夢も見ずに、あたしはあっという間に眠りに落ちていった。

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