(2)
文字数 2,441文字
クオンはあっという間にイリヤを縛り上げ布で口を塞ぐ。そしてイリヤをどこか乱暴にベッドに放り、あたしに視線を向けた。掴まれていた手首を擦りながらあたしは、どこか茫然とその様子を見ていた。
「怪我は」
「だ、大丈夫……」
やはりクオンは有能なんだなと再認識する。魔法なんか使わなくてもこれなら、魔法を使った実戦は一体どうなるんだろう。あまり想像したくなかった。
「来てくれて、ありがとう……近くに居たの?」
「ずっと扉の外に居ました」
「え、ならもっとはやく来てくれても良かったんじゃ……」
言ったあたしをクオンはじろりと睨んだ。それに思わず体が固まる。なにやら墓穴を掘ったことがイヤでも分かった。
「……やはり無自覚なのようなので言っておきますが、この部屋には結界がありました。おそらくマオが部屋の鍵をかけると同時に発動したのでしょう。気配を感じたので来てみたのですが、その様子だと外からの呼びかけも届いていなかったようですね。術者が許可した者以外すべて拒否する仕組みになっているんでしょう」
「え、それあたしがやったってこと?」
「貴女以外に誰がやるというんです。現に貴女が私を呼んだので漸く中に入れました」
「……そ、そんなこと言われても……」
クオンが開口一番に「遅い」と言ったのはそういう意味だったのか。
自分の意思以外の所でそんな風に勝手にやられても困る。現状結果的に自分を守るしかできてないのもなんだか情けない。しかも今回は逆効果になってしまったなんて。
「何にせよ説明して下さい。これは一体どういう状況ですか」
音も無く剣を鞘に収めながら、その視線を今度はイリヤに向けた。不本意そうに睨むイリヤの視線などものともせず。
それからここまでの状況やイリヤとの会話の内容をクオンに話す。もはや自分ひとりではいろいろ処理しきれなくなっていた。
話を聞き終えたクオンは表情を変えることなく先ほど収めた剣を再び引き抜く。そしてそれをイリヤの眼前に突き付けた。
「クオン?!」
「彼女の力が我々にとって必要であり、そして今ここで彼女を逃がすわけにはいかないという状況は分かりました。それならここで足を切り落としてしまうのが一番の解決策です」
いたって平静に言うクオンの目は本気で、その内容に一瞬思考が停止する。クオンは冗談は言わない。自分の使命や主の為に、それを平然とやってのける人だ。
「そんなわけないでしょうやめて!」
「何故です。ついでに舌を切り落とすか喉を潰すかした方が良い。いざという時貴女の力を封じられたりまた盾にとられては困ります」
クオンのその憮然とした物言いに思わず眩暈がした。平静には見えるけれど、なんだかクオンらしくない気がする。
もしかしたら冗談なのだろうか。だってそんなことしたら本末転倒だ。あたし達にはイリヤの力が必要なのに。
「なんにせよこちらを害する可能性があるのであれば、もう自由を与えるべきではありません。もともと彼女には破格の金額を出しているのです。所有物の管理と躾は怠るべきではありません」
「……やめて」
クオンのその物言いに。心臓が、手が、震えていた。
それがどういう感情からくるものなのか自分でもよく分からない。
ただ、哀しい。それだけははっきりと分かった。
「イリヤは物じゃない。そういう言い方は、やめて」
「……ですから、厄介なのです。人間には感情があります。打算や裏切りや人を陥れる心が。何に代えても自分の命を守ろうとする本能が。貴女もそれを身を以て知ったでしょう」
クオンの言うことは、きっと正論なのだろう。多分あたしが知らな過ぎるのだ。幼すぎるのだ。
そんなことは分かってる。でも。
「だけど、やめて。イリヤのことはあたしが全部責任を持つって約束した。代償ならあたしが払う」
「……これはもう、貴女ひとりの問題では無いのですよ」
「だったらあたしの意見も聞いてくれていいでしょう。とにかくやめて。剣を下ろして。イリヤを傷つけないで……!」
人が人を侵すのは、間違っている。奪うばかりだと神の力を嫌悪しておいて、結局やっていることは同じだ。
ここは戦場じゃない。イリヤは物じゃない。
その尊厳は、守られるべきだ。
「全部力で押し切ってねじ伏せてたら、言葉すら無意味なものになる。イリヤはあたしが説得する。クオンは出て行って……!」
その言葉と同時に、クオンが一瞬で視界から消えた。
だけど驚きはしなかった。それを解っていて、“やった”のだ。今度は自分の意思で。
感情の波が揺れている。自分でも上手く抑えられない。
あたしが拒絶したからクオンはこの部屋からも拒絶されてしまったのだろう。そしてまたあたしが呼ぶまでは、きっと入ってこれない。
あたしも大概身勝手に力を利用しているなと思う。振り回されているのは一体どっちだろう。
それから顔を上げてイリヤの元へと近づく。口を塞いでいた布と拘束していた縄を解き床に捨てた。
解放されてもイリヤは逃げ出そうとはしなかった。おそらく外にはクオンが居るので逃げても無駄だと分かっているのかもしれない。
イリヤはその琥珀色の瞳にあたしを映して、口を開く。もう笑ってはいない。まっすぐ対峙する。
「……あの人の言っていることは、正しい」
「分かってる。だけどあたしの心がそれを許さないんだから、仕方ない」
「……あなたがあの人を呼ぶよりはやく、ボクはあなたの命を奪うこともできるかもしれないよ?」
「しないよ、イリヤは。奪われてきた人間は、決してそっち側に行ったりしない」
「……あなたのこと、利用しようとしてるのに? こっちの目的が済んだらあなたは用済みでジャマなだけだよ」
「だって一緒にって、言ってたもん。いいよ、一緒に行く。どこにだって行く。だけどその前に、あたしに力を貸してほしい」