(6)

文字数 2,185文字


 クオンはブレスレットを見つめたまま何も言わない。何か反応を期待しているわけでは無いけれど、それはそれで気まずい。
 それからクオンが漸くこちらに視線を向けた。あたしを見下ろすような形で。

「これは航海が終わったら返さなければいけないのですか」
「え、いいよ、たいしたものじゃないし、お金がかかってるわけでもないし……」

 あたしがジャスパーからもらったブレスレットは、すべて終わったら返すつもりでいる。ジャスパーは返さなくていいと言ってくれたけれど、やはりそれは申し訳なかった。

「……では有難く頂戴します。海の神の加護がある貴石を身に付けることができるのは、大変貴重でしょうから」
「だから貴石じゃないってば、ただの海水とあたしの涙の結晶だよ」
「海で採れる石はすべて等しく貴石と言われます。それと同様に我々魔導師にとっては魔力を糧とする石は貴石に値しますから」

 そういうものなのだろうか。
 今更だけれど、港町で見かけたりジャスパーに見せてもらった“貴石”と呼ばれるものは、あたしの世界だと海で採れるものじゃない。多くは鉱物……鉱山で採れるものだ。やはり世界の造りが少し違うのだろう。

「それより、彼女のことは私にとってはまだ警戒に値します。同じ部屋で過ごすというのは大丈夫なのですか」
「イリヤのこと? たぶん、大丈夫だと思うけど……どうにかする気ならもうしてるだろうし」
「そもそもひとつ疑問なのですが、彼女……と一応呼んでますが彼女は性別はどちらなのですか?」
「え、どっちって……女の子でしょ? 確かに一人称は、アレだったけど……」
「見たところ成人前です。特殊な環境下で俗世から距離を置く種族や民族は、成人するまで自身を偽り他者を欺くということがよくあります。特別な種族であればあるほど、偽るというのは自衛の手段です。できるだけはやめにはっきりさせた方が良いでしょう」

 クオンはいたって真面目にそう助言する。イリヤが性別を偽っている可能性なんて考えてもみなかったので、なんとなく大げさに思えてしまうけれど。
 確かにイリヤの裸を見たわけではないし、肌の露出も多くないイリヤの服装からは判別しにくいかもしれない。だけど自分より数倍可愛らしいイリヤは、どこから見ても美少女にしか見えなかった。

「警戒するに越したことはありません。船の見張りももうすぐ交代ですし、今晩は念のため私が部屋で見張ります」
「え、クオンも同じ部屋で寝るってこと?」
「私は寝ません。数日寝ずとも動けるよう鍛錬してますから」

 それもそれで気を遣う。どうせ同じ部屋に居るなら寝てもらった方が気が楽だ。
 だけどクオンもクオンで心配してくれているのだ。とりあえずイリヤ自身に改めて確認ぐらいはしておこうと思った。

 ――と、その時。視界を白い影が掠めた。

 夜の闇に線をひくような、白い影。ひかれるように視線を夜空に巡らせる。船の上空で旋回するそれは、やがてマストの先端へと降り立った。

「――シアだ!」

 それはシアの白いカラス。正式にはリシュカさんの使い魔なのだが、自分の中ではその認識の方が強かった。
 だけど同時に、あたしの視界には別の光が掠めた。視線が白いカラスから自然と手前に引き寄せられる。
 夜空の星のように淡く白い光。見覚えがある、それは――

「……! うそ……っ」

 自分の体から発する光。以前も同じようなことがあった。
 一番はじめこの世界に来た時。シアと居た、お城のバルコニー。同じような淡い光に包まれて、あたしは――

「マオ……?!」
「クオン、どうしようこれ、もとの世界に戻っちゃう光なの……!」
「……! 今戻られては困ります、どうすれば……っ」

 隣りに居たクオンがあたしの姿に驚いて目を瞠る。だけどあたしにもどうすれば良いのか分からない。
 前回もあたしの意思を置いて、一方的に戻されていた。引きがねが分からないのだ。止めることもできない。

 咄嗟にクオンがあたしの手をとった。クオンの戸惑う瞳が揺れている。
 このままもとの世界に戻ったら、どうなるんだろう。今もしここで、クオンまで巻き添えにしてしまったら――
 船は明日出航する。北の海へ、シアの力を少しでも得る為――
 ここでふたり共居なくなるわけにはいかない。あたし達には、シアに頼まれてやるべきことがある。

 あたしの手首を掴んだクオンの手に、もう片方の自分の手を重ねる。瞬間ぐっと力の入るクオンの手をあたしもぎゅっと握り返した。
 少しだけ緩んだその隙に、掴まれていた手首からクオンの手をゆっくり剥がす。

「クオン、あたしは必ず戻ってくる。北の海に着くまでには戻ってこれるようやってみる。だけどもし、戻ってこれなかったら……イリヤのこと、この船のこと……シアのこと、お願い。守って、あたしの代わりに」

 光が視界に眩む。目の前に居るはずのクオンの顔さえもよく見えなくなる。
 手の温もりだけは確かで、あたしは必死にクオンの手を握りしめた。僅かに覗く、クオンの歪んだ顔。
 だからあたしはできるだけ言葉を強くした。そしてその温もりをそっと解く。届くかはわからない、だけど精一杯微笑んで。

「信じて、あたしのこと――」


―――――――……

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