十六夜の十六歳と十六茶

文字数 2,000文字



「今夜の月は、いざよいって呼ばれる」

 塾の帰り道。幼なじみの(あおい)が自販機にスマホを当てる。
 僕は夜空を見上げる。丸い月が浮かんでいた。

「満月のことかな?」
「その翌日だって。十五夜プラス一夜で十六夜」

 たしかに右がちょっとすり減っている。なんだかアンバランスで僕たちみたい。大きくなるほどきれいで利口になっていく葵。保育園の頃からモブのままな僕。

悠斗(ゆうと)はどれ? おごるよ」
「自分で買う。……なんで、いざよいって呼ばれるの?」

 今夜の月はどうして? 僕は財布から小銭をだしてボタンを押す。

「またそのお茶? 進歩なし……。いざようはためらう。満月のあとのじれったい月の意味」
 葵がペットボトルの蓋を開けながら僕を見つめる。
「ためらいがちに昇る月だから。既望とも呼ばれる。既に望月は過ぎたってさ」

「望月?」
「満月の別名! こんなのも知らないなら、ポケモンを全部言えても意味ない」
「いつの話だよ。そもそも受験に必要なレベル?」

「悠斗の志望校なら不要かもね。ていうか、もっと上をチャレンジしてよ。悠斗は勉強も部活も努力が足りない」

 どんなに勉強したところで、彼女が目指す大学は間違いなく無理だ。

「葵は努力してないのに頭いい。僕が一番知っている」
「そんなことない」
「高一にしてバスケ部のレギュラー。僕は中三でもサッカー部の控えだった」
「背が高いだけ。悠斗に十四歳で越されたけどね」

 いびつな月が僕たちを見おろしている。今年も奇跡的に同じクラスだった。なんと小一から十年連続だ。でも来年は違うクラスになる。今のままだと間違いなく。

「部活やめようかな」
 そして勉強に専念する。そしたらまた葵と同じクラス。さらに頑張って、葵と一緒に東京へ進学する。

「もったいない。私はグラウンドの悠斗を応援するのが趣味だし。だから頑張ってレギュラーになってよ」
「じゃあ勉強を捨てる」
「両立しろって、私みたいに」

 言い過ぎたかも、って感じに葵が黙りこむ。僕は歩きだす。
 葵はすぐに隣へ来る。

「いろんな悠斗を見てきたから、私はどんな悠斗でも問題なきかな。でも離れ離れが待っている」
「みんなが僕たちを恋人みたいに見る。すこし離れるのもありかも」
「……恋人じゃないの?」

 僕は返事できない。幼なじみなんて関係で済ませないのは分かっている。

「今日のコーラ、甘すぎる。悠斗ので口直しする」

 いきなり葵は僕のペットボトルを奪いとる。ゆがんだ月が見ている。彼女は僕の飲みかけに口をつけてごくごく飲む。
 僕は呆気にとられるだけ。
 
「私と悠斗はこんなで照れる関係でないよね」
 幼なじみの女の子が僕へ挑戦的に微笑む……。

 そろって十六歳の二人。ずっとずっと一緒だったのに、葵の望みにようやく気づいた。

「……離れ離れが嫌なら、妖精にお願いしようか?」

 子ども時代から慣れ親しんだ魔法の言葉を告げてみる。
 予想どおり彼女はうつむく。ちなみに妖精とは二人の隠語みたいなもので、僕の一物(いちもつ)のことだ。
 葵の返事を、僕は十六茶を飲みながら待つ。

「どっちで?」やがて彼女が口にする。

「葵の部屋にしようか」
 今夜の月と違って僕にためらいはない。僕たちは幼なじみ以上恋人未満の、セックスフレンドなのだから。

「シャワー浴びるから先に帰る。悠斗はそのままでいい。だって悠斗の汗の匂い好きだから。子どものときから」
 葵が走りだす。「探偵ごっこから始めてね」そんな言葉を言い残して。

 探偵ごっことは、昭和の時代のお医者さんごっこみたいなもので、それぞれの体をじっくり探るお遊戯だ。僕と葵の幼少時からの定番で、お互いが大人の体になってからは、それこそ舌や妖精も用いるようになった。

 僕は月を見ながらゆっくり歩く。……実はもう一人セフレができた。昼休みに妖精は探偵となり、その子の奥深くまで調査している。それを葵に言えるはずないけども……。

不健全性的行為(三人プレイ)したいな。十六歳のうちに」

 つぶやいてしまう。いざよいの月だけが聞いていた。


 *****


「ブラボー! 優秀賞も狙える」

 朗読を終えた私へ、支部長が握手を求めてきた。気づけば葛飾区民と江戸川区民に囲まれている。限界団地の独居老人も不法滞在の方々も、誰もが感涙にむせぶっている。

「録音させてもらいました」
 院長はスマホを手にしていた。「これを総帥に聞いてもらいます。あの方は、あなたの存在を知るでしょう」

 R16.5推進協議会の創始者……。八十を過ぎた老人と聞く。後継者を探しているとも。
 私のなかで野望めいたものが蠢きだす。十六歳のリピドーを凌駕するほどに。

「総帥の私邸へ向かうのでここで失礼します」

 酔った院長が駆けだす。その足もとには、日中の嵐の仕業で濡れた桜の花びらが敷きつめられていた。
 彼は仰向けに転倒する。まさにそのとき、パチンコ店から老夫婦がしょぼしょぼと退場してきた。

「踏んだ踏んだ!」

 院長の悲鳴が新小岩駅前を震わせた。
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