趣味の延長線上

文字数 2,000文字


 世の中には小説のネット公開などという七面倒な趣味もあるようだが、私の道楽は写真撮影と公開だ。同じだなんて思わないで欲しい。独りよがりな彼らよりは世のためになっている。無料でダウンロードできるサイトに登録してあるので、『いいね』もファンもコメントもじわじわ増えている。物書きからも『挿絵に使わせてもらった』とお礼をいただいたりする。典型的な人の褌だが、変に加工されない限りは使ってもらえるのは気分いい。
 撮影したいもので行き先を決める小旅行は、定年後に始まった月一回の贅沢だ。今回のテーマは『葡萄畑』。お盆明けの平日、朝早い各駅停車で近県に向かう。

 丘から見下ろす盆地をデジカメのSDカードに収める。一帯の畑はすでに収穫を終えている。私は実った葡萄を求めてあてもなく歩く。農家の方に会えたなら尋ねればいいし、道すがら面白い被写体に出会えるかもしれない。朝八時に登る坂道。ほどよい運動にもなる素晴らしい趣味だ。
 気温はじわじわ上昇して背中に汗を感じる。赤トンボの群れや真上の雲をアスファルトから気ままに撮影する。朝食時だからか農作業の人は見当たらない。遠くで犬が吠えている。
 収穫前の畑が現れた。紫色の実に白い紙をかぶせたままだ。了承を得ずに撮影しても問題ないだろう。紫と白のコントラストがきれいだけど、道から葡萄棚の下を写すと暗い――別の畑に黄緑色の大粒葡萄が見えた。私は粗雑な舗装のコンクリートの小道を行く。
 その葡萄たちは見るからに瑞々しく口腔に唾液を感じるほどで、素人目でも出荷目前に思えた。ストロボを光らせて撮影する。品種は不明なので、帰ったらネットで調べよう……。葡萄に紙をかぶせていない一角が奥にある。無論こんな畑でも私有地だ。人がいないと立ち入りの許可をもらえない。仕方ない。
 私は葡萄棚の下に入る。それだけでひんやりした空気。腐葉土を踏む感触。地面に落ちた実が発酵した匂いはワインのようでもある。羽虫の音。五感を一枚の写真で表現してやる。カメラを構えたまま奥へ向かう。
「何をしている」
 背後の声に振り返ると、私より年配の女性がいた。手ぬぐいを頭に巻いて腰を屈めている。モンペに長袖シャツにエプロン……最高の被写体だ。
「こちらの畑の方ですか。勝手にお邪魔させていただきました。ご免なさい」
 私は笑みを浮かべお婆さんへと歩む。営業職で培ったトークでモデルになってもらおう。
 お婆さんは後ずさりする。
「ここは村松さんの畑だ。明かりが見えたから来ただけだ」
 私に怯えている? まさか。
「私は趣味で写真を投稿しています。電車で来ました。よろしければ奥さんをぜひ写さ――」
 すぐそこで犬が吠えた。私を凝視するだけだったお婆さんに安堵が浮かんだ。
「ひろみさん、そいつは誰だ?」
 男性が黒い中型犬をリードで連れてきた。地味な野球帽と作業着。私と同年代だが余分な脂肪のない体躯だ。
「この人は、おたくのシャインを写していた」
 お婆さんが私を指さす。
「なんだと!」
 男がにらみながらやってくる。「つまりお前は斥候か? ベトナム人の手先か?」
 その脇で犬が低くうなる。
 高級葡萄の盗難が相次いでいる――スマホのニュース見出しを思いだす。
「ふざけないでください。私は東京から来た一般人です。無断で畑に入ったことは思慮に欠けていました」
 こちらに非があろうと外国人犯罪グループの子分扱いは許せない。会釈程度に頭を下げて、男の脇をすり抜けようとする。
「待て」
 肩を強く引っ張られた。私は腐った葡萄に足を滑らせて尻餅をつく。
「な、何をするのですか?」地面から二人を見上げる。
「それはこっちのセリフだ。無断侵入しやがって、今夜狙う畑を探していたのだろ?」
 葡萄棚の底からだと、男の顔が暗くて見えない。
「はるかさん? 村松さんが怪しいのをつかめえたから、男()を畑に来させてくりょうし」
 お婆さんがスマホで連絡する。
「立ちあがるなよ、リキをけしかけるぞ」
 村松の横で、犬が異常なまでに興奮している。

「警察を呼んでくれ」
 男たちに囲まれて、私は地面から訴える。
「連絡してあるが、まず俺らが取り調べる」
 息子ほどに若い男が私の前にしゃがむ。「カメラ、スマホ、免許証、財布。すべて出せ」
「警察が来てからだ」
「不法侵入者がえばるな!」
 ……頬を叩かれた。
「ぼ、暴力はやめなさい」口でしか抵抗できない。
「ならば従え」
 この子は真剣だ。居合わせる人の誰もが怖い眼差しだ。
 私の住所や電話番号が控えられる。勤めていた会社や家族の名前さえ答えてしまう。

「農家にとって死活問題ですからね。今後は軽率な行動はやめなさい」
 ようやく来た警察はそれだけだった。殴られたことを訴えても受け付けてくれなかった。
「お前は丸裸だからな。この辺りの畑が狙われたら、俺らは真っ先にお前を疑う」
 尻に泥がこびりついたスラックスで丘を下る私の背に、村松が告げる。
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