#4 海峡の十二分なユートピア

文字数 2,000文字

 八時から二十三時まで工場巡りや食事会で拘束される。金を一切使わない視察だから仕方ないが、観光もちょっとは含まれる。たとえば二十一時に訪れたコロンス島。過去に昼間来ていたからいいけど、真っ暗な世界遺産の島より現代的な厦門(アモイ)の夜景のが綺麗だったな。心に残る。
 厦門の不動産価格は中国国内四位らしい(彼らは市や省のGDPなどをすぐに比較する)。俺が訪れた片寄った地域のなかで、この海峡の町は明らかに他所(よそ)と違う。人の気配が少なくて上品。クラクションも控え目。外見は東京ぐらい清潔。日本の地方都市ぐらい緑が馴染む。
 内外の土地を漁る方々が、国内での別邸の名目で投機しだした街だとよく分かる。厦門島はいまの世にできた租界かも。一部の同国人のための租界。なんて不謹慎ぽいことを考える。そんで今夜は初見の方々と食事会。白酒(パイチュー)だ。

 三度目の朝。厦門での用事が済み、泉州から更に奥地へ向かう。
 片側平均四車線の高速道路へ、黒いBMWが合流する。ドライバーは現地会社ボスであるビル。右へとウインカーをだす過積載ぽい大型トラックを、最低速レーンから追い越すのはスリルあった。時速120キロメートルを大幅に越える車はほぼいない。制限速度内でのカーバトル。きっと運転手は楽しいだろう。
 とかしていたらハイウェイを降りる。右折フリーの赤信号。赤までがカウントダウンされる青信号。青までがカウントダウンされる赤信号。バイクが目立ちだす。老若男女誰もがバイク。電動バイク、ガソリンバイク、二人乗り電動バイク、三人乗り電動バイク、たまにオート三輪、電動バイク電動バイク電動……数年前より更に増えてね?
「電動バイクは免許がいらないので中学生でも乗れます」
 通訳の陳さん情報は信ぴょう性が不明だけど、全土で電動バイクが異常繁殖しているみたい。足で漕ぐ自転車はほぼ絶滅した様相。
 草食獣の群れと並走の如き壮観。車とは共存ぽいけど、交通法規無視のオヤジ運転バイクがどの交差点にもいる。『3,2,1,ゴー!』で青になる信号だろうと、みんな急発進しないわけだ。
 海のシルクロードの港であり古刹名刹の町である泉州。街並みは綺麗なのに、一社に挨拶を済ますなり郊外の工場へ向かうではないか。
「祝世界遺産で寺院を観たいかも」と言ったら、視察終了は二十一時を過ぎた。待っていてくれた工場の人たちに感謝。夕食はビルと「本場のガチ中華です」との陳さんの三人で済ます。

 中国の田舎は超田舎なだけでない。厳しい環境政策で町を追われた工場が建っていたりする。労働環境は視察する者がマスクしだすほど良くなく、周辺の環境にも影響がなんて思うけど俺は関わらない。
 工場の汚れた窓から、ナショジオに出てきそうな歴史的建造物が覗ける。その潰れそうな民家にお爺さんが運転するバイクがとまるのが見えた。
 今回の視察で最奥部からの帰り道。フルーツを積んだオート三輪や木材を横に張りだしまくった中型トラックを追い越す。やがて子どもを乗せた電動バイクが現れだす。下校時刻かな? 六十代ぐらい女性の運転が目立つ。孫のために、働く息子夫婦のために、がんばれ、お婆ちゃん!
 夜はビルの兄の歓待を授かる。さすがに割り勘したくなってきた。

 *

 最後の夜は泉州市内の気取らない店で、いつもより早い時間にいつもの三人だけの食事。一週間近く同じメンバーだと会話も無理しないと弾まない。仕事の話を挟みながら淡々と食べ終わる。
 日中ずっと隣にいてくれた陳さんが泉州の自宅のそばで降りる。お約束のクラクションに煽られて「また会いましょう」と呆気なく別れる。……専属通訳なんて初体験だった。快適すぎて寄りかかりすぎたかも。でも彼女もどんどんなつこくなったし……父娘に見えた瞬間もあったかな。
 運転するビルとの車内。通訳か機器がないと意思疎通できない異国の二人。車は静かに静かな厦門の道を進む。最初に泊まった宿へたどり着く。
 ウイチャットの翻訳を使って儀礼的に挨拶。彼の笑みは初日よりぎこちなくない。おそらく俺も。『六時二十分』と念押しされて握手する。いつもよりちょっとだけ早く一人きりになる。

 蛙の鳴き声。遠くで若者の笑い声。
 俺がこの国にいるのはビジネスのため。帰る前夜に安堵する自分がいつもいた。なのに今夜は感傷的だ。ここを離れるのを惜しむ俺がいる。
 久しぶりだから? 至れり尽くせりだったから? 隣に若い女の子がいつもいたから?
 すべて正解だけど(なお)も微かな焦燥感。翌朝、俺はフロントに荷物を預けて海岸へ歩く。
 海峡の手前に浮かぶ島影。感情の原因をカメラにおさめる。そろそろビルが来るから戻らないとな。
 この租界もどきが楽園なんて誰も思わないだろう。でも、これから何度も普通に出会えて握手して笑いあえるなら、十分すぎるユートピア。鈍感な振りした誰もが思っていたりして。

 ビルへと「请一定来日本(チンイーディンライリーベン)!」
 さあ帰国だ。
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み