6-8. 炸裂! フランス忍術
文字数 4,354文字
「ひょう! ひょうひょうひょう!」
奇妙な叫びを上げながら、鬼と化したフザが大太刀を振り回していた。
リズはその重い打撃を両手剣でいなしながら、合間に器用にも
がぎん、がぎん、ばん、がぎん、がぎん――金属音と銃声が交錯して、リズミカルな響きを奏でた。
「いひひひィ、見える見える見えるぞう! 切っ先の在り処から鉛の弾道から肌着の中の下の毛までェ!」
腰関節を無茶苦茶な方向に折り曲げながら銃弾を躱すフザが、楽しげに吠える。対するリズは、まるで余裕がない。攻め続けなければ攻め込まれる、防御のための攻撃に手一杯だ。
「なっ、ボクは生えてなっ」
「冗談だよお」
軽口とは裏腹に、ぞろりと生えた牙が大きく開いた顎から覗く。
が、開いたのは頭にある口ではない。フザの肩口に、腹に、掌に口が開き、それぞれに言葉を発している。当然、そのおぞましく開いた全ての口を使って隙あらば噛み付いてくる。
「くそ、めちゃくちゃな身体だ」
リズが両手剣を突き込む。身体を捻ってフザが躱す。
「カッコイイだろうがあ」
身体を反転させたまま、大太刀を持った両腕が身体の背面に移動して、そのまま袈裟に斬りつけてくる――さらに脚の一本を頭に移動させて、頭の上から蹴りが飛んで来る。当然、その踵もまた牙を生やしてリズの肉を抉らんと涎を垂らして襲ってくる。
「なんて、出鱈目な……!」
大太刀を磨り上げ、頭上の踵は撃ち落として喉元に刃が届く。しかし、その切っ先は喉元に生えた牙によって阻まれる。
頭から脚の一本を生やし、背中から腕を生やし、一本脚で立っているフザ。ル=ウのように手足を生やすものでこそないが、自在に身体の部位が切り替わるその様は、巨大な魔眼も相まって尚一層おぞましい。
「つかまえたあ」
フザが、頭と肩と腹と拳と踵の口を、それぞれにやりと歪ませる。
リズの剣は、フザの喉元に生えた牙に絡め取られて動けない。
「あっ……」
限界だった。
普段のリズであれば、すぐにでも剣を諦めて離脱していたかもしれない。だが、弱りきったリズは僅かに判断が遅れた。剣を引き抜こうと体重を後ろにかけた瞬間だった。
捕まえた、という言葉は欺瞞。とん、と、ほんの軽い力で、フザがリズの剣を押した。ただそれだけで、ほんの僅かな力だけで、リズの体勢が大きく崩れる。
異形に身を窶しても尚冴え渡る剣戟の駆け引き――フザの本質は、何一つ変わっていない。リズがそのことに思い至ったのは、眼の前に巨大な刃が迫る瞬間のことだった。
フザの剣閃は鮮やかだ。ド派手な怪力も、不気味な異形も、未来視の魔眼さえも全ては添え物。
この一瞬を掴む剣筋こそが、フザの本質だ。
リズの首が、きれいに断たれて、宙を舞う。
――筈だった。
(死んだ)
己の首がぽーんと間抜けに飛ぶのを知覚した、筈だった。
「ちょっと。いつまで自分の首を撫でてますの。それとも、そこが性感帯でして?」
飛んでいったのは、フザの方だった。
「な、なんで……」
肉の壁に半ばめり込んだフザが、驚愕に目を見開く。
「腹ン中、蟲どもに食い破られてんじゃねぇのかよお!」
「
ふう、と息を吐いて答えるのは、深く腰を落として拳を突き出した体勢のフラン。
その表情に苦悶の色は無い。言葉通り、腹の中で孵化した虫にフランの胃が勝ったのだ。
「教えてあげますわ。
「フランは、ニンジャだ」
「なんだと」
フランの言葉をリズが遮り、フザが律儀に驚いて見せる。
「いやニンジャではありませんわ。わたしは〝
「ニンジャでいいじゃん」
「ニンジャではありませんわ」
「おめえニンジャだったのかあ!!」
「ちがいます!」
「ニンジャはずりぃじゃねえかあ!!」
「ちがいます!!」
胡乱な会話は、その実双方にとっての時間稼ぎ。リズは抜け目なく弾込めを済ませ、フザはゆっくりと身体を人型に戻して立ち上がる。フランだけは、本気で忍者ではないと主張していたが。
「とにかく! 戦列復帰ですわ。〝シェオルの十字〟が無くとも、
フランは両の脚を斜めに開き、腰を落とした体勢を取る。敵に掌を向けた見慣れない構えは、
「いいねえ! フランスにも忍術があったのか、ロマンじゃねえかよう。これだからこの仕事はやめられねえな!」
体勢を立て直したフザが、長大な野太刀を垂直に構え直す。
「だからこれは伝統あるプロヴァンス式……」
「おれのはタイ捨仕込みのスペイン剣術。――ひひ、勝負だあ」
むきになるフランの言葉を遮って、フザは口と肩と腹の牙を剥き出しにして笑う。
「ちぇぇぇぇぇぇぇぇい!!」
一叫、真正面からの打突。振りかぶる動作すら無い。人間であったフザが得意としていた、ノーモーションからの神速の打ち込み。
鬼と化したフザのそれは、確実にかつての業を超えていた。奇妙に長い手足に、人外の剛力。受けることすら不可能な、必殺の一撃だった。
「――『神が私たちに与えてくださったものは、おくびょうの霊ではなく』」
フランは、それを真正面から立ち向かった。
フザの神域の剣技、その間合い、その剣筋に、祈りの言葉を誰にともなく囁きながら、そっと足を踏み入れる。頭蓋骨から叩き割らんとするフザの剛剣を、まるで撫でるかのようにふわりと片手で受け流し、ダンスに誘うかのようにフザの胸元に入り込んだ。
「しぃああああああっ!」
手品のように間合いを詰められたフザだが、しかしその程度のことは視えている。未来視の魔眼は、フザに次の手を教えていた。奇怪な長さの足を折り畳むように、至近距離から膝蹴りが飛ぶ。もちろん、膝小僧にはおまけのように牙が数本。
「『力と、愛と、』」
がちがちと牙を鳴らして襲いかかる膝を、フランが両手で包みこむように受け止める。
まるでそうすることが分かっていたかのように、妙にゆったりとした動作で。
「な……!?」
めりめりと、肉と骨が千切れる音。
「『慎みとの霊です』」
呟く聖句とは裏腹に、フランは足でフザを蹴飛ばした。そのまま、両手がフザの片足を引き千切る。鮮血が舞い、フランの衣装が赤く染まる。
「なんで……ッ!?」
「その目に頼ったのが間違いです」
右脚を腿から失い、バランスを崩してフザが転がる。
返り血を浴びながら、フランが千切った足を手元でさらにへし折る。フザも人外だが、フランの方も人間離れした怪力だった。
「もとより、その〝お眼め〟は
「くそぉぉッ!」
両手を長く伸ばし、三足歩行で這うように後退るフザにフランがつかつかと歩み寄っていく。
フザは腕と脚で跳躍するが、それもフランにとってはとうに視えていること。
「魔を祓うのは〝
鎚のように重い掌打が、フザの顔面を打ち据えた。
* * *
「がは、げは、いひ、いひひひ」
顔の半分がひしゃげたフザが、歪んだ口角を吊り上げる。顔の左側を覆うほどの巨大な魔眼は半ば潰れ果て、無様な血涙に濁っていた。
「フザ・アルフォンソ……残念だよ。人の身のままのキミのほうが、恐ろしかったね」
肩で息をしながら、フザを見下ろして銃を突き付けるリズ。血まみれの酷い有様だった。
「ひひ……いやあ、打ち合いで読み負けるたあなァ。恐れ入ったぜ……」
仰向けに転がされたフザは、諦めたように嘆息する。
祈りで握られたフランの拳は、異形と化したフザの肉体を内部から焼いていた。今もフザの身体は、内側から爛れるように崩れかけている。
「占い合いでは、年季が違いますわ」
返り血に塗れたフランが、疲れ果てた顔で腰を落とした。衣服も殆ど切り裂かれて、まるで太古の剣闘士のように上体は裸だった。
「生兵法は怪我の、ってことかねえ。こいつぁ一本取られたぜい」
「ああ、全く、口の減らない男だ……ボクはもう動けない。限界だ」
言葉通りだった。油断なく構えられた長銃が震えている。
〝神父〟に握られた妖精名、それは呪いとなってリズの身体を蝕んでいた。気を張っていなければ、意識を保つのも難しい。だが、まだリズにはやることが残されている。異形を祓うに最も肝要なのは、確と止めを指すことだ。
「最後に言い残すことは?」
リズの指が、冷徹に撃鉄に力を込める。
「名前だ」
ぐしゃぐしゃになった顔面で、しかし思いの外はっきりとフザは答えた。
「なあ、嬢ちゃんよ。最後に……名前を教えてくれよ。この俺を、破った者の、名を……」
「ボクは
ああ、ああ、と噛み締めるようにフザが唸った。
「おまえさんは?
穏やかにフザが右目を瞑る。
「
「ひひ、良い名だァ!」
聞くなり、フザの首が千切れ飛んだ。
自ら自切したのだ。首だけとなったフザの首が跳ねて、ぞろりと牙を剥いてフランに襲いかかる。
だが、
「
フランは身じろぎ一つしなかった。
「ひはは……お見事だ」
フランの喉元に噛み付く筈だったフザの首は、てんで違う方向に落ちて、無様に転がった。
リズの
「二度目だなァ、してやられるのは」
フザの首、その側頭部に、大穴が開いていた。
「良い名前……ってのは……マジだぜ……」
それだけ言うと、フザの生首は今度こそ動かなくなった。