1-2. 信仰したいクズの顛末
文字数 1,847文字
刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし〟
――――アーノルダス・モンタヌス『日本誌』
「――あっ。死んだ。殺してしまった」
1620年。セラム海洋上。
「うそだ、そんな……ねえ、大丈夫ですか!
慌てて助け起こそうとするも、既に事切れている。すぐに別の白人が
「うわ、ちょっと」
言いながら、小太刀の切っ先を向ける。突き込んで来る相手の刃を払って、面に叩き込む。身体に染み付いた習慣は、この土壇場でも、訓練どおりに刀を振るわせる。
額を割られた白人は絶叫しながらふらふらと後ずさり、船縁に倒れて、そのまま海面へと落下した。
「ちょっと待って下さいよぉ!」
舞台は狭い帆船上。敵は名も知らぬ西欧人。なりはでかいが、剣術の面では素人ばかりだ。
襲い掛かってくる刃に対応するだけで、ばたばたと敵が死んでいく。
――怖い。僕はこんなことをしに、海に出た訳じゃないのに。
しかし同時に、別の自分が浮かび上がる。
――これでいい。ようやく僕は、自分の価値を証明する。
相反する叫びが己の中で反響する。定まらない自分の気持ちに反して、身体は火の粉を払うのに完璧に動作した。
敵船に斬り込んだ、いや、斬り込まされた日本人は、伊織介だけではなかった。
大きく帆を広げた西欧船、その船縁に、小舟から日本人たちが殺到する。褌一丁の汚い身なりの者もいれば、簡素な筒袖を身に纏う者もいる。しかし皆共通して、目玉をぎらぎら輝かせて、刃物――殆どが日本刀――を構えている。
伊織介に続いて、日本人たちが斬り込んで行く。西欧人たちは短銃と
彼らは、奴隷だった。
鎖国の時代。キリスト教の宣教師は、神の教えを説くその裏で、多くの日本人を〝輸出〟した。
仕官先を失った浪人。戦に味を占めた農民。長い戦国の世に鍛え上げられた敗残者たち。幕府によって公式に、あるいは非公式に〝輸出〟される日本人奴隷は、外国人にとっては魅力的な〝商品〟でもあった。
伊織介も、そんな日本人奴隷の一人である。
雇い主のオランダ人の一人が、小舟から日本人奴隷たちを急き立てている。敵船の英国人たちが、何か喚きながら銃を振り回している。
伊織介には、オランダ人も英国人も見分けながつかない。同じような白人にしか見えない。
だが、問題は無かった。敵船に切り込んだ以上――
「……周りは、ぜんぶ敵、か」
舌なめずり。
恐怖はあった。しかし高揚が上回る。
逡巡はあった。しかし愉悦が塗り潰す。
否定したかった。しかし身体は訓練通りに動いてしまう。
「僕は、」
三人目。大振りに切り下ろしてくる。その刃を擦り上げて手首を切り落とす。二人目。隙を突いて真横から突きこんでくる。刀の腹で流して、引きながら胴を払う。
「こんなことがしたい訳じゃない」
その言葉は誰に届くこともなく、ただ刃が鮮やかに朱に染まる。
四人目。構えた剣を打ち落として、肩口に突きこむ。人を〝刺し〟たのは初めてだった。思っていた通り、ぶよぶよしていて気持ち悪かった。そして四人目。五人目。六人目……。首を獲るまではしなかったが、数えることは止めなかった。
「十五人! 十五人だ!」
返り血に染まった顔を綻ばせて、伊織介は歓喜の声を上げる。
「僕には価値がある! あはは、ざまあみろ、僕には価値があった!」
その時、
伊織介の身体から力が抜けた。
――世界がゆっくりに見える。
膝から崩れ落ちるように倒れこむその最中、伊織介は胸を撃たれたのだと理解した。激しい剣戟の喧騒で、銃声に気付かなかった。流れ弾だった。
(……なるほど)
これで死ぬのか、と思った。
(僕の価値は、十五人か)
伊織介の身体はちょうど床の穴に倒れこんで、手足を変な方向に曲げながら、階段を転がり落ちていった。
――神様。僕の働きを、見ていてくれましたか?