1-2. 信仰したいクズの顛末

文字数 1,847文字

〝戦いは日本人の頗る喜ぶ所なり。彼等の武器は鉄砲弓矢の外に刀あり。
 刀は非常に能く鍛えられあればヨーロッパ流の刀身などは容易にこれにて切断せらるべし〟
                  ――――アーノルダス・モンタヌス『日本誌』

「――あっ。死んだ。殺してしまった」

 1620年。セラム海洋上。
 伊織介(いおりのすけ)、17歳にして初陣。初めて人を斬った、その感想だった。

「うそだ、そんな……ねえ、大丈夫ですか! 毛唐(ヨーロッパ)の人!」
 慌てて助け起こそうとするも、既に事切れている。すぐに別の白人が舶刀(カトラス)を手に襲い掛かってくる。
「うわ、ちょっと」
 言いながら、小太刀の切っ先を向ける。突き込んで来る相手の刃を払って、面に叩き込む。身体に染み付いた習慣は、この土壇場でも、訓練どおりに刀を振るわせる。
 額を割られた白人は絶叫しながらふらふらと後ずさり、船縁に倒れて、そのまま海面へと落下した。
「ちょっと待って下さいよぉ!」
 舞台は狭い帆船上。敵は名も知らぬ西欧人。なりはでかいが、剣術の面では素人ばかりだ。

 襲い掛かってくる刃に対応するだけで、ばたばたと敵が死んでいく。
 ――怖い。僕はこんなことをしに、海に出た訳じゃないのに。
 しかし同時に、別の自分が浮かび上がる。
 ――これでいい。ようやく僕は、自分の価値を証明する。
 相反する叫びが己の中で反響する。定まらない自分の気持ちに反して、身体は火の粉を払うのに完璧に動作した。

 敵船に斬り込んだ、いや、斬り込まされた日本人は、伊織介だけではなかった。
 大きく帆を広げた西欧船、その船縁に、小舟から日本人たちが殺到する。褌一丁の汚い身なりの者もいれば、簡素な筒袖を身に纏う者もいる。しかし皆共通して、目玉をぎらぎら輝かせて、刃物――殆どが日本刀――を構えている。
 伊織介に続いて、日本人たちが斬り込んで行く。西欧人たちは短銃と舶刀(カトラス)で応戦する。何人かの日本人は、胸や頭を真っ赤に染める。何人かは倒れ、何人かは海に落ちる。だが止まらない。目を血走らせて、斬りかかっていく。一心不乱に斬りかかっていく。

 彼らは、奴隷だった。

 鎖国の時代。キリスト教の宣教師は、神の教えを説くその裏で、多くの日本人を〝輸出〟した。
 仕官先を失った浪人。戦に味を占めた農民。長い戦国の世に鍛え上げられた敗残者たち。幕府によって公式に、あるいは非公式に〝輸出〟される日本人奴隷は、外国人にとっては魅力的な〝商品〟でもあった。

 伊織介も、そんな日本人奴隷の一人である。
 雇い主のオランダ人の一人が、小舟から日本人奴隷たちを急き立てている。敵船の英国人たちが、何か喚きながら銃を振り回している。

 伊織介には、オランダ人も英国人も見分けながつかない。同じような白人にしか見えない。
 だが、問題は無かった。敵船に切り込んだ以上――

「……周りは、ぜんぶ敵、か」
 舌なめずり。
 恐怖はあった。しかし高揚が上回る。
 逡巡はあった。しかし愉悦が塗り潰す。
 否定したかった。しかし身体は訓練通りに動いてしまう。

「僕は、」
 三人目。大振りに切り下ろしてくる。その刃を擦り上げて手首を切り落とす。二人目。隙を突いて真横から突きこんでくる。刀の腹で流して、引きながら胴を払う。
「こんなことがしたい訳じゃない」
 その言葉は誰に届くこともなく、ただ刃が鮮やかに朱に染まる。
 四人目。構えた剣を打ち落として、肩口に突きこむ。人を〝刺し〟たのは初めてだった。思っていた通り、ぶよぶよしていて気持ち悪かった。そして四人目。五人目。六人目……。首を獲るまではしなかったが、数えることは止めなかった。
「十五人! 十五人だ!」
 返り血に染まった顔を綻ばせて、伊織介は歓喜の声を上げる。
「僕には価値がある! あはは、ざまあみろ、僕には価値があった!」

 その時、
 伊織介の身体から力が抜けた。
 ――世界がゆっくりに見える。
 膝から崩れ落ちるように倒れこむその最中、伊織介は胸を撃たれたのだと理解した。激しい剣戟の喧騒で、銃声に気付かなかった。流れ弾だった。

(……なるほど)
 これで死ぬのか、と思った。
(僕の価値は、十五人か)
 伊織介の身体はちょうど床の穴に倒れこんで、手足を変な方向に曲げながら、階段を転がり落ちていった。

 ――神様。僕の働きを、見ていてくれましたか?
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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