4-8. 性器も内臓の一種なんだから内臓は実質えろい
文字数 6,979文字
頬を上気させたル=ウが、伊織介に覆いかぶさる。
「そうであれば、この際だから訊いておきます、ルウ」
今も伊織介の身体の自由は奪われている。抵抗など出来ようはずもない。
「なんだ」
「……普通の服、着ていただけません……?」
* * *
オランダのピンネースを制圧し、追いすがる重ガレオンを振り切ったメリメント号は、今や海上の宴会場と化していた。
もちろん、2直6交代制は変わらない。月明かりに照らされた海を、帆をいっぱいに広げたメリメント号は今も静かに滑っている。それでも、当直を終えた者から飲めよ歌えよの大騒ぎの輪に入っていく。
「はいはい、どんどん運んじゃって下さいなー! 次は塩漬け魚の下処理に入りましてよ!」
意外なことに、肴作りの音頭を取っているのはフランだった。
「
フランの宣言に、甲板の水夫たちが歓声を上げる。船上では貴重な飲料を兼ねる
「ブハハハッハ! どんどん飲むのである! 良い、我輩が許そう!」
リチャードソンも上機嫌で杯を振り回している。艦長がこうであっては、もはや酒宴を止める者はいない。寧ろ水夫たちの方が生真面目に艦長を諌めるほどだった。
「んなんな」
ついでにきっちり、猫のグリフィズ卿も宴の末席に並んでいる。皿には魚骨が山のように盛られ、訳知り顔で水夫たちの会話に相槌を打っていた。
昼間戦ったピンネースは、兵士たちへの給料のためか、相当な量の金貨と
そんな
「治療だ」
それがル=ウの言い分だった。
「イオリの身体から生やした触手は、質量としては臓器を原材料としている。つまりだ――触手が損傷すれば、内臓にも傷がつくことになる」
「えっ、そんな」
伊織介は思い出す。身体から生えた黒腕や触手を、フザに斬り落とされたこと。
「ふふ、そう焦るな。触腕の魔法は、原料を魔術的な処置を挟んで変換している。即座に肉体的な損傷として顕れる訳ではない」
慌てて自分の腹や背中をさすったが、ル=ウの言葉通りか、確かに特に異常は感じられない。
「……まぁ簡単に言えば、放っとくと身体の内部から腐る」
「なにそれ怖いです」
「だから――これは必要なことなんだ、イオリ」
こうしていつものように――伊織介はル=ウのベッドに押し倒される。
「そうであれば、この際だから訊いておきます、ルウ」
「なんだ」
「……普通の服、着ていただけません……?」
今日もル=ウは変わらず
「ばっかだなあイオリ。これが魔女の正統な装いだろうに」
――予想通り、ル=ウの返答はすげない。
「いや
「何言ってるんだ。わたしの魔法は身体から生やすものだろう。これが最も効率的な格好なんだよ」
言われてみれば、その通りだった。昼間の接舷戦でも、ル=ウは着地のために身体から四本の腕を生やしていた。
「た、確かに……!」
思わず納得してしまう伊織介。
「本当は伊織介も同じ格好をするべきだと思うんだが」
「それは勘弁して下さい……」
「だろう? そこがわたしの優しさだ。敬っていいぞ」
「はい……敬います……」
伊織介は、戦いの度にル=ウが支給してくれる真っ白な
「――ちょろいなっ」
ル=ウが悪辣な表情で笑う。
「何か言いました?」
「いいや。さあ、始めるぞ……」
言って、ル=ウは金装飾のボタンを外して外套を開いた。外套の下は本人の言葉通り何も着けてはいない、生まれたままの姿だ。白く眩い素肌が覗く。ル=ウは少しだけ頬を染めて前をはだけながら、馬乗りの形で伊織介に覆いかぶさった。
少女の面影を残したル=ウの顔立ちにはやや不釣り合いな豊かな胸の膨らみも、薄っすらと萌える微かな茂みも――しかし、今に限っては伊織介の劣情を催すことはない。これから何が起こるか、何をされるかを思えば、とてもそんな気分にはなれなかった。
「……んっ! ん、んんっ!」
固く結ばれた唇から、声が漏れる。伊織介の真上で、ル=ウは左手で自身の身体を支え、右手で彼女自身の下腹部を弄り始めていた。
探るように幾度か撫でると、次に彼女は――そのまま自身の
「ん……あぁぁぁぁぁッ!」
鮮血が伊織介に振りかかる。ル=ウは、自身の手で自身の腹部を
ル=ウの深青色の瞳の中、海面に映った月のように瞳孔が金色に輝き出す。艶のある黒髪が、風に吹かれたように蠢き始める。
「んんんんんっ!」
痛みか、あるいは他の感覚か――判然としない熱情に喘ぎながら、ル=ウはその手で自身の臓物を
彼女が手に持つ内臓は、ヒトのモノとしては在り得ない程にびくびくと痙攣していた。腸にも似るが、それにしては短い。強いて言うならば、ぬらぬらと粘液にぬめるその姿は
「
ル=ウの瞳が爛々と輝いている。その金色に映る感情は、微かな嫉妬だった。
「……あんな野郎にやられた傷など、残してやるものか。だから、わたしの内臓を、――
まるで陸に打ち上げられた魚のように手の内で跳ねるそれを、ル=ウは――伊織介の腹に
「――ぎぃぃぃぃぃぃいいぃッ!」
声を上げるのは、今度は伊織介の方だった。痛みがある訳ではない。しかし、腹の内側を、ル=ウの臓物が、ぐねぐねと踊るように暴れているのだ。身体の内側を好き勝手に犯される感覚、呼吸が困難になるほどの圧迫、凄まじい生理的嫌悪感と得も言われぬ恐怖が、伊織介の意識を塗り潰していく。
――〝船喰らいの魔女〟という魔性の起源そのものと云える魔術。
〝
「それと、こいつは今回のご褒美だ。がんばったからな、イオリ。返してやろう」
そっとル=ウが伊織介の
「イオリ……大丈夫だ、何も心配することはない。わたしの肉は、イオリの肉。わたし達の身体は、他の誰よりも、世界でいちばん、相性が良いのだから――」
下腹部から血と肉塊を吹きこぼしながら、頬を上気させたル=ウが耳元で優しく囁く。
魔女の睦言を聞いたのを最後に、伊織介の意識は暗闇の中へと落ちていった。
* * *
「……ふう」
一仕事終えたル=ウが、私室の外に出て扉を閉じた。
「やあ」
「リズ……盗み聞きか? 趣味が悪いぞ」
「フランじゃないんだ、ボクはそんなことしないよ。待ってたんだ。イオリノスケくんは眠ったのかい?」
壁に背を預けたリズが、肩を落としてみせる。
ル=ウの私室は、
「ああ。眠ったよ。何かイオリに用があったのか?」
「イオリノスケくんに用というか……
「……何をする気だよ」
ル=ウが露骨に胡乱な目でリズを睨む。その瞳はいつの間にか、普段の深い青色に戻っていた。
「
リズは自身の腹をさすった。そこには、確かにフザに刺された生々しい傷跡があった筈だ。
「なるほど、そうか――ご苦労だったな。リズでなければ、死んでいるような傷だ」
「そういうことー」
リズがあっけらかんと笑う。
彼女の〝
存在そのものが、妖精側に
「リズは今回の功労者だ。精気ならば好きなだけ提供しよう。だがなぁ……」
ル=ウは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「
「なんで? ボクはフランみたいに、お尻に挿れたりはしないよ!?」
「分かってるよ! 違うんだ、リズ。……
「えええええええ!? イオリノスケくんに!? 返しちゃったの!?」
リズが飛び上がる。
「返しちゃったんだよ」
そう、ル=ウが先程〝ご褒美〟と称して渡したものは、伊織介の男性器だったのだ。伊織介は治療のために体力を消耗し、今は気付いていないが――男性器はしっかりと、元の通りに股間にくっついたのだ。……厳密に言えば、一本目の男性器は爆発したので、今くっついているモノは二本目に当たるが。
「返しちゃったって……どうするのさ! イオリノスケくん、逃げちゃうんじゃないの?」
「流石にそれは無い、
リズの疑問はもっともだ。しかしル=ウは言葉を区切って、私室に目線を遣る。
「それに、たぶんイオリは、逃げない」
「たぶんって何さ……イオリノスケくんの
頭の痛い指摘だった。確かにル=ウは、伊織介を現在の形に作り上げるのに莫大な
「うん。いい。大丈夫だ――と、思う」
しかし、ル=ウの決意は頑なだった。妙に自信なさげではあるが、伊織介に男性器を返したことに後悔はないようだ。
「へえ……人嫌いのル=ウが、そこまで言うとはねえ」
「な、なんだよ!?」
リズの表情が、にやにやとしたいやらしいものに変わる。大抵はフランに向けられるその意地悪な笑みが、珍しくル=ウに向いている。
「じゃあさ――売ってよ。童貞。イオリノスケくんの」
「んなッ!?」
飛び上がったのは、今度はル=ウの方だった。
「戻したんでしょ?
「ななななななな……」
ル=ウは目を白黒させて震えている。
「キミも知ってるよね。妖精の
鮮やかな桃色の舌が、艶かしく唇を濡らす。月夜を背景に、リズが魔性の気配を帯び始める。
「まっ――待て待て! 落ち着け! イオリが童貞じゃなくなったら、ほらその、
「ぷっ」
リズが破顔した。
「――あははははは! ル=ウってば必死すぎ! 冗談だってば、あはははははは……」
腹を抱えて、目に涙すら浮かべてころころと笑うリズ。すぐにル=ウの顔が真っ赤に染まる。
「な、なんだよ! イオリはわたしの所有物だぞ! 自分の所有物を守って何が悪い!」
憤然としてリズに詰め寄るル=ウだったが――
「――そう。大事だよね、イオリノスケくん」
どん。と凄まじい疾さで。
「え……リズ……?」
一瞬にして壁に押し付けられるル=ウ。彼女よりも頭一つ分は背の低い筈のリズが、冷たい瞳でル=ウを抑えつけていた。
「リズ、どういう……?」
「ボクもそう。フランもそう。あの
事態を飲み込めないル=ウに、リズが淡々と語りかける。
「ヒトから離れた者たち――皆がそうだ。肉欲。食欲――イオリノスケくんは、そういう欲望を喚起する。ル=ウだってそうなんだろう?」
「……」
ル=ウは黙って顔を逸らした。
「イオリノスケくんはいい子だよ。素直なようで、妙に浮世離れしてる。だからか、
「昼間は誤魔化されちゃったからね。改めて訊くよ――ル=ウ、イオリノスケくんに、何を混ぜたのさ?」
リズの瞳が、真っ直ぐにル=ウを見詰めていた。
「……言えない。言いたくない。今は、まだ」
「ル=ウとボクの仲だろう? ボクにも言えないのかい?」
「……」
ル=ウは黙って俯いた。
「はぁぁぁっ」
リズが大きく息を吐いて、ぴょこん、と一歩下がった。
「分かったよ。まだ内緒なんだね。嫉妬しちゃうな、二人だけの秘密ってやつかい?」
リズの表情が、普段の意地の悪そうな微笑みに戻る。
「……すまない」
楽しそうに肘で突付くリズに、ル=ウは俯いたままで声をひねり出した。
「なんだよぅ、つれないなぁ! じゃ、イオリノスケくんの
再び、リズの顔がぐっとル=ウに近付く。
「キミから頂くことにしよう」
言って――リズが強引に、ル=ウの唇を奪う。
「んん――!」
一瞬面食らったル=ウだったが、即座にリズの肩を押して引き剥がした。
「ちょ、ちょ、リズ、こんなところで……!」
耳まで赤く染まるル=ウ。伊織介を責め立てる時とは、まるで違う――押しに弱い性分が、露呈する。
「どうせ誰も見てないさ。
抵抗を押し切って、再度ル=ウの唇が塞がれた。
今度こそ、ル=ウは抵抗を諦めて――恍惚として、妖精の舌使いに身を任せるのだった。
* * *
――
それは所謂、〝いのち〟そのもの。
世界中の伝承に、花や樹木から
妖精の血を引くリズも、例外ではない。