2-6. 身体の相性が最高とか言うヤツはだいたい信用できない

文字数 4,129文字

 ××してはいけません。

 ××するのは禁止です。

 人がそう名指したとき、その言葉には既に「××する」という地平が含意(・・・・・)されている。

 ルールを破ってはいけません。禁忌(タブー)に触れてはいけません。命を粗末にしてはいけません。その裏に含まれているのは、ルールを破る、禁忌(タブー)に触れる、命を粗末にするという、至高の享楽(・・)
 
 ――なるほど、魔女という存在(もの)は、欲望のままにそれら全てを併せ呑む。
 ならば魔女の下僕として、己の命を投げ捨てるという行為は――然るに、最高の享楽に違いない。

 だから伊織介の刃は、恐怖に鈍る筈もなかった。
 その原動力は忠誠ではない。義務ではない。強制でもなければ、功名心でもない。
 軽率に命を賭ける享楽(・・)。そこに理由はなく、ただ快楽に身を任せる本能(さいのう)があるだけだ。なればこそ、伊織介は確かに、魔女が選ぶに値する――堕落の資質の持ち主だった。


     * * *


「――ごぁぁぁぁぁぁ!!」

 子宮を切り開くと、中に()たのは、女の首。憎悪に瞳を赤く染めて、おぞましくも悲しい表情が張り付いている。

『間違いない。そいつが本体――本当の〝頭〟だ!』

 言われずとも、既に伊織介は止まれない。馬來鬼(ペナンガラン)の内臓は、斬り捨てられる傍から再生して、伊織介を取り囲みつつあった。もはや退くことはなど出来ない。此処で仕留めるか、あるいはこのまま内臓の内側に取り込まれるか――その瀬戸際に、伊織介は奮い立つ。
「退く……ものかぁ!!」
 小太刀を脇に握り直し、全体重を乗せ、子宮の〝頭〟に向けて身体ごとぶつかっていく。

 しかし――届かない。

 その刃は、女の首元に僅かに届かない。馬來鬼(ペナンガラン)は、子宮周りに残った細い小腸をかき集め、苦し紛れに細い触手を形成。その触手を使って、伊織介の身体を絡め取っていた。
「あと一歩……! あと一歩なのに……ッ!」
 全力で踏ん張っても、僅かに刃は前に進まない。伊織介の刀、腕、足、胴、首にまとわりついた触手が徐々に力を増して、伊織介を絞め殺しにかかる。
 さらに――未だ右側に残っていた二本の太い触手が、絡め取られた伊織介を狙って鎌首をもたげていた。殆ど内臓鬼(ペナンガラン)の身体の内側にめり込む形となった伊織介には、もはやどこにも退路が無い。
 
 太い触手が伸びる。今の伊織介に叩きつければ、それは内臓鬼(ペナンガラン)にとって自分自身を殴るようなもの。それでも、自身の最大の弱点に刃を向けられている内臓鬼にとって、他の選択肢など無かった。
「こわルルル……」
 女の首が、にやりと笑う。死闘の果てに、お前を喰らうのは自分の方だと。自分自身こそが捕食者であることを証明するかのような笑み。
 これほど手こずった獲物だ。その肉はさぞかし旨かろう。身体を構成する内臓の大部分を失ってしまったが、獲物の内臓を取り込めば良い。身体の内側に取り込んで、じっくりと捻り潰し悲鳴を聞きながら消化するのも良い。内臓鬼は舌なめずりして、獲物(いおりのすけ)に終わりを告げる。触手が、振るわれる――。
 
「世話が……焼けますわね!」

 その太い触手を食い止めたのは、巨大な十字。いつの間に立ち上がったのか、それは解呪師(カニングフォーク)フランセットの十字架だった。既に彼女も満身創痍だ。額から流れる血は端正な顔面を真っ赤に染めて、もはや鼻血と大して区別がつかない。しかしそれでも、彼女は両の足を踏ん張って、身体より大きな十字架を支えていた。
 一本の触手は叩き潰し、そのまま地面に押さえ込む。二本目はその体勢のまま十字架で受けて止める。
「報酬分は働きましてよ! さぁ、そろそろお鉢(・・)ではなくって? 〝船喰らいの魔女(メハシェファ)〟さん!」
 片足で触手を踏みつけながら、フランはル=ウの異名を叫んだ。

『無論だ』

 ――空気が変わった。

 熱帯に分類されるマスリパトナムの夜は、湿気を含んだ風が吹き気怠い暑さに悩まされる。その筈が、今街路に吹き込む風は不自然なほどに冷たかった。その風は、皮膚というよりも身体の芯から底冷えさせるようで、寒いというよりか、凍みる(・・・)といった方が正しい。 

『わたしは魔女だ。卑怯で、狡猾。悪逆にして(よこしま)な魔女である。だが――』

 こつ、こつとブーツが地を蹴る音。風上からゆったりとしたテンポで聴こえてくるその音は、馬來鬼(ペナンガラン)の背後に一歩一歩近付いていく。

「臆病を理由に逃げ隠れしていた訳ではない」

 その言葉は、既に伊織介の口内の舌から出たものではない。直接、本人の口から響いた声だ。

ルウ(・・)……!」
 思わず、伊織介は主人の名を叫ぶ。
 そこに立っていたのは、ラサリナ=ユーフロシン(メハシェファ)本人であった。

「イオリ、よく頑張ったな。初陣(はじめて)にしては上々だ」
 ざわざわと、ル=ウの黒いマントがはためいている。そのマントの下に垣間見えるのは、美しくも怪しい魔女の肉体ではない(・・・・)。マントの下には、闇より暗い漆黒が、ル=ウの身体を蝕むようにして泡立っている。
「この馬來鬼の狙いはわたしだ。こいつはそのように(・・・・・)作られている。だから身を隠し、イオリを囮にした。全ては――このときのために」

 同時に――伊織介は、己の身体の表面が沸き立っていることに気付く。上衣(ダブレット)の下で、己の表皮がぼこぼこと波打っている。
「な――何だ、これ!?」
 困惑の声を上げたのは、伊織介だけではなかった。伊織介を捕まえていた馬來鬼(ペナンガラン)も、その場に磔にされたように動けず、戸惑いの叫びを上げている。
「イオリ、お前は一人ではない。そう言ったのは、比喩じゃないんだ」

 やがて、伊織介の腹から、シャツ(ダブレット)を突き破って、黒い何かが飛び出す。

「うわぁぁぁぁぁ!」
 悲鳴を上げるが、伊織介は動けない。触手に縛られているだけでなく、身体の自由が利かない。魔女(ル=ウ)の仕業であることは既に明らかだった。
 伊織介の腹から生えた(・・・)それは、真っ黒な色をした人間の腕だった。表皮は赤黒くぬめり、細く長い指を持つそれは、形状こそヒトのものであっても寧ろ悪魔の腕にすら見える。そんな黒い腕が、一本、二本、三本、四本五本六本――次々に伊織介の胴体から飛び出して、馬來鬼(ペナンガラン)の子宮に、その中にある首に掴みかかる。

「タネあかしをしよう。イオリ、お前の身体はわたしの肉で作られている」

 馬來鬼(ペナンガラン)が絶叫した。それは悲鳴だった。伊織介の身体から飛び出した腕という腕が、馬來鬼の髪を、目を、鼻を、皮膚を、引きちぎり引き裂き引っ掻き回している。

「ヒトとしてのイオリは、三年前に死んだ。わたしは死にかけのイオリに出会い――その肉がひどく美味いことに気付いた。つまりな、イオリ。わたし達は、身体の相性が最高に良い(・・・・・・・・・・・)んだ」
 こつ、こつと足音を立ててル=ウは歩く。暴れまわる馬來鬼(ペナンガラン)の触手を器用に躱して、ゆっくりと伊織介の背後に回り込んだ。ル=ウが伊織介に近付く度に、伊織介の身体から伸びる腕の数が増えていく。

「だからわたしは、死んだイオリの魂を回収して、その身体をわたしの肉で再構築した。魂の定着に三年もかかってしまったがね」
 ル=ウとの距離が縮まるほどに、身体の中が熱くなるのを伊織介は自覚した。ル=ウが近くに寄るほどに、伊織介の身体に生えた黒腕の力が増していく。
「イオリの身体は、全てがわたしの肉で出来ている。その目も、耳も、内臓も、手も足も、元はといえば全部がわたしのものだ。イオリの身体はわたしの身体の延長にある――すなわち、お前はわたしだ(・・・・・・)

 俄には信じられない話ではあった。否定したい話ではあった。だが、魔女の言葉は思いの外すんなりと伊織介の心に響く。
 ――そもそもだ。少々(がく)があるとはいえ、日本(ヒノモト)を遠く離れた異国の地で、ル=ウやフランを始め、西欧人と会話できていたのが妙なのだ。少なくとも、日本を出た当時、伊織介は片言(カタコト)程度にしか英語を話せなかったし、そのせいで宣教師に騙されて、気付けば奴隷としてオランダに売られていた。
 だが、この身体が――頭が、口が、舌が――言葉を憶えていたとするならば、学んでいない筈の言語を流暢に話せることにも説明がつく。

 伊織介は思い出す。オランダの奴隷として戦ったこと。脇腹に流れ弾を受けたこと。そして、喋る死体に出会ったこと。では、あの死体が……今の主人(ル=ウ)であったのか。
 まるで昨日のことのようにすら思えるが、それも全て、三年前の出来事だったのだ。

「イオリ――わたしの最高傑作。わたしの下僕(めしつかい)使い魔(どれい)(ぶき)……そしてわたしそのもの(・・・・)。さぁ、ご飯の時間(ディナータイム)だ」

 殖肉の魔女(メハシェファ)が己の肉で作り上げた、肉人形。
 そしてだからこそ、己の肉体の延長として使える、魔法の杖。
 自律して己の意志で動くことのできる、統合運用型魔術兵装(プラットフォーム)

 それが伊織介の正体だった。

「術式――〝聖女の触腕(キルデア・キラル)〟。喰らい尽くせ」
 
 とん、と軽く。背後に回ったル=ウが、伊織介の背中に触れた。

 滅茶苦茶に馬來鬼(ペナンガラン)を引き裂いていた黒腕が、一つの塊に寄り集まる。伊織介の身体から伸びた太い幹のようなそれ(・・)は、巨大な口吻(マズル)のように上下に裂けて――鋭い牙を備えた、巨大な顎に結実する。

「父と子と、聖霊の御名によりて――Amen(いただきます).」

 ばくん、と一口で。
 黒い顎は、馬來鬼(ペナンガラン)の頭部を丸呑みにした。
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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