6-4. 夜戦と放火は悪党の華
文字数 6,137文字
リチャードソンの声が響き渡り、甲板では水夫たちが一糸乱れぬ動きを見せる。
日が傾き始めた頃。メリメント号は、密かにバンタムを出港した。
敵の本拠地、バタヴィアは、バンタムの港から東へ半日ほどの距離にある。応急処置とはいえ、修復されたメリメント号の船足は速い。夜の帳が下りた頃には到着する計算だ。
「……お前のような強欲な男には似つかわしくない光景だな」
艦尾甲板で立つル=ウが、海風に髪を靡かせながら薄く笑った。
「なんであるか、藪から棒に」
同じく指揮をとるリチャードソンが、首飾りの十字架を握っていた。つい先程まで、瞑目して祈りの言葉を囁いていたところだ。
「我輩が祈るのが、そんなに珍しいかね」
「いや。ただ不思議なだけだ」
「こう見えて我輩、かつては神学を修めた身なのであるがなあ……」
「冗談だろ」
ル=ウが鼻を鳴らす。つまりリチャードソンは、かつてどこぞの大学で神学を学んだということだ。
真っ当に考えれば、人生の栄光を約束された人種ということになる。
「エリートじゃないか。いくらでも食い扶持はあったろうに、どうしてこんなところで阿漕な商売をしているんだお前は」
「まあ、半端者であるからに。それに、毛色が合わなかったというのが本音であるな」
「ふ、そうだろうな。仮にお前が僧侶になったら、貴婦人たちを片端から食い散らかしたことだろうよ」
「言ってくれる! よもや魔女殿に淫猥を突かれるとは、ついぞ思わなんだ!」
ル=ウが破顔し、リチャードソンが笑い声を上げる。
ひとしきり笑い終えた後、ぽつりとリチャードソンが切り出した。
「……確かに我輩、地獄行きは間違いなかろうな」
神妙な顔を作って、大男は髭を撫でる。片袖のみ通した制服を着崩して、こんな時まで洒落者だ。
「我輩は悪党である。詐欺師で、人殺しで、盗人である。おまけに色男である」
「自分で言うか」
「罪作りな性分であるからな。生まれついての罪という訳よ」
片眉を持ち上げてくつくつと笑う。
「ともあれ、我輩は悪党である。決して救われることはなかろうよ。だが――」
リチャードソンの太い指が、首飾りを撫でた。
「だがそれが、祈らない理由にはならぬ。神を讃えぬ理由にはならぬ。お嬢だって、分かっているのだろう?」
諦めたように肩をすくめて、ル=ウが破顔する。
「……まったく忌々しいがね」
ル=ウとて〝神父〟と同じくアイルランドの出身だ。今でこそ魔女の身に堕ちたといえど、かつては敬虔な
そして、人には見せぬとはいえ、今も――。
「神はいつだって、我々を見ている、のである。だから我々は勇気を持てる」
「……ふん。魔女に説教とは、ずいぶん偉くなったものだな、リチャードソン」
ル=ウの内心を見透かしたように、リチャードソンは黙って穏やかに微笑んだ。
――そう、神は
たとえそれが、
* * *
「さぁて、仕事である。稼ぐとしよう」
リチャードソンは頬髭を撫でながら、楽しげに呟いた。
号令一下、メリメント号は沿岸部に隠れるようにしてそろそろと進む。座礁寸前の浅瀬を綱渡りするような、きわめて危険な航海だ。だが、ここにはそれを可能にする技量と経験のある艦長と、訓練された水夫たちがいた。
艦がバタヴィアに近付いた頃、時刻は深夜となっていた。昼間の雲は未だ空に残っており、月明かりすら届かない真っ暗闇の夜である。夜襲にはおあつらえ向きの夜だった。
メリメント号は、全ての窓に暗幕を貼り、灯火の光が決して外に漏れぬようにして進んだ。闇に紛れての行軍である。
「……ガレオンが3。フリュートが5」
ル=ウが金色の目を光らせ、バタヴィアの港沖に錨泊するオランダ船の数を数えた。常人にはとても見えない暗さ、距離であったが、暗闇でこそ
「8隻、であるか……。こちらは僅か1隻だというのに、まったく大所帯である。さてさて、いよいよ分の悪い賭けになってきたものだ。6:4といったところであるか」
「負けが六割か。弱気だな、
は、とル=ウが嘲る。
「まさか。勝ちが六割である。
「この、商売人めが……!」
声を押し殺して、ル=ウは肩を震わせた。
ぎらぎらと光る眼で、バタヴィアを睨む。神父の居城は、今や目の前だ。
「
船足を緩めたメリメント号から、複数の
「……無事を祈るのである」
「儲けを祈る、の間違いじゃないのか」
「そうとも言うな」
リチャードソンの言葉を背に受けながら、
最初の獲物は、フリュートの一隻だ。フリュートはガレオン船に似るが、より輸送に適した大容量の丸い舷側を持つ船である。
「斬り込むぞ――静かにな」
一行は、鉤爪付ロープを投げ、フリュート船の舷側を登った。
「リズ、先行しろ」
「わかってますよ、っと」
軽口を叩きながら、誰より早くリズが敵船に侵入する。音もなく船縁を駆け、帆桁を走るリズの姿は、もはやル=ウですら捉えられない。
次の瞬間には、見張りの敵兵が海に叩き落されていた。
「さて、暴れるぞ――」
「待ってましたわ!!」
「馬鹿、静かにと言ったろうが。
フランのやる気が空回りしたことはともかくとして。幸運にも気取られることなくフリュート船の一隻に侵入したル=ウ達は、静かに、しかし強かに暴れ回った。
突然の夜襲を受けたフリュートは、大した抵抗すら見せずに降伏してしまった。ただでさえ、戦闘よりも輸送を主に受け持つ船である。よもや本拠地が襲撃を受けるとは夢にも思っていなかったようだ。船長室をこじ開けられるその瞬間まで、船長すら攻撃されていることに気付いてはいなかった。
一隻のフリュートを制圧したル=ウ達は、そのまま静かに捕虜達を縛り上げ、船に備え付けてあった
夜戦部隊は、ル=ウ一人を制圧済のフリュートに残して、待機していた
同様の手順で、夜戦部隊はガレオン船を制圧した。こちらも無音で制圧できれば良かったが、残念ながらそれは叶わなかった。奇襲攻撃は成功し、結果的には船を制圧することが出来たが、抵抗は激しく、戦闘音に気付いた他のオランダ船が続々と集まってくる。おそらく、バタヴィア城塞も戦闘態勢に入っただろう。城壁に備え付けられた大砲で狙われては、ひとたまりも無い。
「作戦、第二段階だな」
ル=ウが呟いた。
彼女の瞳が金色に染まり、髪は完全に銀色へと輝きを変える。無人のフリュート船に、ル=ウの低い唸り声が響く。
「此処まで
上半身の至るところから黒い触手を展開している為、遠目に見ればハリネズミのようにも見えたかもしれない。放射状に伸ばされた魔女の腕は、ひとつひとつが船の索具を掴んでいた。乱雑だが、しかし確実に――魔女の腕は、畳まれた帆を開いていく。
「はぁっ、はぁっ……風……ッ、捉えた!」
流石にこれ程の数の腕を同時に制御するのは負担が大きいらしく、ル=ウの額に汗が浮かぶ。
「う……ご……けぇっ!」
渾身の力を込めて、触手で錨を切断する。既に帆は開ききり、夜風を孕んで大きく膨らんでいた。
無人の筈のフリュート船が、ゆっくりと動き始める。
本来、帆船を動かすには数十から数百人の水夫が必要だ。帆を開く者、帆桁を回す者、舵を取る者……どうしたって人手が要る。
しかしル=ウは、その無数の腕で、数十人分の水夫の腕と同じ働きをしてみせたのだ。赤黒い腕が帆を開き、赤黒い腕が索具を引き、赤黒い腕が舵を取る。
単に〝
これこそ、ル=ウの秘策。ル=ウにしか出来ない、まさしく〝船喰らい〟の魔術であった。
勿論、いくらル=ウといえども、たった一人で船を完璧に操るなんて不可能だ。だが、非常に乱暴で大雑把な操船で良いならば――短時間くらいは動かせる。事前に大砲に弾が込められていたならば――一度くらいは、片舷斉射をすることだって出来る。
ル=ウの操るフリュート船は、その乱暴な操船のまま、敵船に向かって片舷斉射をぶち込んだ。
轟音。狙いなどつけようもないが、しかし至近距離からの砲撃だ。
ル=ウの斉射は、至近のガレオンに側面から命中した。索具を破壊し、船尾楼を抉り、マストを砕いた。みしみしと音を立てて、メインマストがへし折れる。
さらに、リズとフランが率いる夜戦部隊が
二隻が奪取、一隻が大破。それだけでオランダ船団は大混乱に陥った。ただでさえ闇深い夜である。味方の船だとばかり思っていた船に片舷斉射を喰らえば、誰だって疑心暗鬼になるに違いない。どの船が敵なのか分からない以上、城塞に備え付けられた大砲も沈黙する他に無かった。
夜闇に紛れて侵入し、敵の戦力を奪い混乱させる――奇策も何もない、弱者の正攻法。鉄壁のバタヴィア城を攻める唯一の策だった。
* * *
「――ほう。お嬢は首尾よくやったようであるな」
暗闇の中、散発的に光が上がっている。疑心暗鬼に陥ったオランダ船達が同士撃ちを始めるのを、リチャードソンは小島の陰から遠目に眺めていた。
「では、我々も出るとしようかね。……メイン回せ!
大人しく
「さあ、
艦長の激に、水夫たちが応えて歓声を上げた。これまでの沈黙を埋め合わせるように、夜闇に鬨を轟かせる。
「舵そのまま。右舷、各自に射撃開始である。腕の見せどころであるぞ?」
依然、混乱の渦中にあるオランダ船団に、小島の陰に隠れていたメリメント号が猛然と襲いかかった。統制の取れない船団は追い散らされ、一隻ずつ混乱の戦場から離脱していく。
作戦は第三段階に入った。いよいよ大詰めだ。
「さて――最後の仕事であるな、
追撃はル=ウたちに任せ、メリメント号は
帆や索具を固定し、決して動かぬよう固縛する。艦首をバタヴィア城に向けたまま、メリメント号は真っ直ぐ突き進む形となった。
「舵の固定は良いな。では――総員、退艦せよ」
一人、
「思えば長い付き合いであったなあ、
既に上甲板には火の手が上がっている。少しずつ火は燃え広がり、艦全体が炎に呑まれていく。
炎に巻かれる甲板を前にして、リチャードソンは愛おしげに目を細めた。
「老練なる
被弾による引火――ではなかった。リチャードソン自ら、
炎を上げながら、メリメント号は海に面したバタヴィア城の城壁に突き進んでいく。
「スペイン
リチャードソンの採った最善手――〝
通常は、爆薬を満載した
「
火船作戦の提案者は、リチャードソンだった。
「……勝てよ、お嬢」
呟いて、リチャードソンは酒のグラスを甲板に叩きつける。直後、上着を脱ぎ捨て、迷いなく海に飛び込んだ。
* * *
バタヴィア城塞は、港の北東に位置する
めきめきと竜骨を軋ませて、炎を上げる巨大な艦隊が石の城に叩きつけられた。
轟々と炎を上げるメリメント号。
しばらくそのまま燃え盛っていたが、数瞬の後、ついに艦内の火薬庫に引火した。
一瞬、夜が昼に思える程の閃光。
遅れて、腹の底に響くような爆音。
メリメント号は、真ん中から真っ二つにへし折れた形でその艦体を炎に
その煙は〝
追い散らされたオランダ船の乗組員達は、撤退しながらその炎を呆然と眺めることしか出来なかった。