3-6. 透明になったら絶対やるでしょ

文字数 5,920文字

 当代において和式剣術がそうであるように、西洋剣術にも名のある流派が存在する。

 一つには、ゲルマン式と呼ばれる流派がある。剣士ヨハンネス・リヒテナウアーの手で編纂されたその剣術は、誕生の地ドイツを超えて西欧(ヨーロッパ)世界に広く伝わり、無数の分派を生み出した。長剣術を中心としたその技は、〝構えと構えとの間に攻撃が存在する〟という独特かつ堅実な哲学が根底に流れている。

 〝白魔女(ヴァイスヘクセ)〟リーゼルの扱う剣術もまた、ゲルマン式とされるものだ。
 顔の横に刃を水平に構える〝雄牛〟の型は、派手な見た目に反し、ワンアクションで斬撃、打突、防御に転用できる柔軟性を備えている。

 他方、鋭剣術(レイピア)を中心とした流派も存在する。

 直線的な動きを旨とする仏国(フランス)式剣術は有名だが、最も恐れられているのは寧ろ、スペイン流――隻眼の男、フザ=アルフォンソが見せたものがそれに当たる。

 スペイン剣術最大の特徴は、激しくも流麗に動き回る足捌きだ。踊るように素早いそのステップは変幻自在、高度に極められた体幹はそれ自体が柔靭にして剽悍な武器となる。西欧(ヨーロッパ)最強の剣術といえば、まず間違いなくスペイン流だろう。

 もっとも――スペイン式とタイ捨流を組み合わせた剣術など、前代未聞ではある。
 父にスペイン人、母に日本人を持つ志佐付左衛門(フザ=アルフォンソ)は、その出自を象徴するかのように、この二種類の実践剣術を極限まで使いこなしていた。


     * * *


「10分は過ぎたよ。もうおしまい」

 左右非対称のド派手な衣装、小柄な体格に似合わぬ長大な両手剣(ツヴァイハンダー)。その奇抜な装いは、どこから見ても異様に目立つ。

 にも関わらず、白魔女(ヴァイスヘクセ)リーゼル・マルクアルトは、誰に気取られることもなく(・・・・・・・・・・・・・)、そこに立っていた。もちろん――真正面にいるフザにすら、だ。

「……ああん? どォなってんだ……よっ!」

 しばし、呆然と短くなった木板を見詰めていたフザだったが、にやりと凶暴な笑みを見せたかと思うと――突然、リーゼルに襲いかかった。構えは鋭剣のそれ、繰り出されるのは打突――半分に斬られた木板が、しかし恐ろしい速度で突きこまれる。

 リーゼルは目を眇めると、顔の脇に下向きに構えた剣を滑らせ、突き込むようにフザの一撃を受け流す。

 瞬間――リーゼルの身体は、両手剣を残して消失した(・・・・・・・・・・・)

「もうおしまい。と言ったはずだよ」

 木板の突きを受け止めた筈の両手剣(ツヴァイハンダー)がその場に落ちて、がらんと乾いた音を立てる。
 気付けば、リーゼルはフザの側面に立っていた――それも、長銃(アルケブス)を携えて。

 銃口はぴたりとフザの頭部に密着していた。いつの間に装填されたのか、火縄は細く微かな煙を立てている。
「おいおいィ……。お嬢ちゃん、ニンジャって知ってるかい?」
 フザがわざとらしく口笛を鳴らす。
「東洋の間者(スパイ)だね。ボクがそれだって言いたいのかい? 見ての通り、ドイツ流の傭兵だよ」
「転職をおすすめするぜ。いや、見事なもんだぁ」
 へらへらと笑って、フザは両手を挙げた。
「も少し遊ぶのも悪かないと思ったんだがなあ、そっちのお嬢ちゃんの面子(メンツ)を潰すのも悪ィ」
 
「あら。存外に几帳面でしたのね」
 どすん、と音を立てて十字架が地を打つ。解呪師(カニングフォーク)フランが、フザの背後に立っていた。自慢の十字は、ぎょろぎょろと目玉を動かして存在感を放っている。それは〝これ以上やるなら私が相手になる〟という、明確な警告だ。

「ちょォっと待っておくれよお。女に囲まれるのは嫌じゃねェが、遊ぶんなら、俺ァ()るより抱く方が趣味だ」
 フザが自らに向けられた銃口をぐい、と臆面もなく押し返す。
「だから怖い顔しねェでくれよ、お嬢ちゃん方。ただの稽古だってば、稽古ォ。それにもう(しま)いだ」
 リーゼルとフランの両名に睨まれながら、フザは倒れ込んだ伊織介に手を差し出した。
「立てるかい? (あん)ちゃん。勝負は分け(・・)ってことでェ、ひとつ」
 強かに背を打ってしばし呼吸に難儀していた伊織介だが、ようやく息が整ってきた。身体は痛むが、意地で(・・・)差し出された手を掴む。
「……ええ。お見事なお手前でした」
 苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がる伊織介。

 ――敗北だった。

 フザはフラン達の手前、分け(・・)と言ったが、伊織介には分かる。リーゼルが止めに入らなければ、頭蓋を叩き割られていたかもしれないのだ。
 おまけに、結局フザは一度たりとも真剣を抜いていない。手を付けてすらいない。粗末な木の板を武器に、これほどの実力。
(広いなぁ、海の外は)
 まさか師匠ほどの――いや、師匠よりも強いかもしれない、そんな猛者が存在するとは思わなかった。

 そして身震いする。この気まぐれな酔っぱらいが、本気で()りに来ていなくて、良かった。もし本気で暴れられたら、伊織介一人の命では収まるまい。何人死んだことやら。


「いやあ、満足した満足した。鬼斬リの噂も頷けるぜい。こいつァしばらく、酒の肴にぁ困らなそうだあ」
 呵々と笑うフザ。近寄りがたい雰囲気は変わっていないが、今やぞっとするような殺気は消え失せていた。

「世の中には不思議な手品もあるもんだあ。鬼が出る世だ、これからは女子供に見えても油断できねえな」
「……褒め言葉と受け取っておくよ」
 リーゼルが肩に両手剣を背負って答えた。いつの間にか、手に持っていた筈の火縄銃(アルケブス)は姿を消している。

「おっと。(ケェ)る前に……(あん)ちゃん、名前を聞かせてくれよォ?」
 来たときと変わらぬ千鳥足で、フザは立ち去り際にそう問うた。
「良いだろう? 酒場で自慢せにゃならんからよお」
「……伊織介、です」
「伊織介、なあ。なんだよォ、家名くらい聞かせてくれよぉ」
「……」
 答えず、ただ無言でフザを睨む。
「ああ、わかったわかったよお、言いたく無ェなら構わねェ。今日日(きょうび)()に居る日本人にゃあ、何かしらのっぴきならない()があらぁな」
 フザは大仰に手を振った。さっきまで何人でも殺すような眼をしていた癖に、妙に掴みどころの無い男である。

「重ねて言っとくが――俺ァフザだ。フザ=アルフォンソで覚えてくれい。鉄火場で会う時ぁ、名乗る暇も無ェからよォ。伊織介、知り合えて良かったぜい」

 隻眼のフザ――西欧人のような風貌に、和装で腰に刀を差した酔っぱらい。
 確かにその名は、忘れられそうになかった。


      * * *


「まったく――どうしてもっと早く止めませんでしたの!? お尻がヒクヒクしてしまいましたわ!」
「それはボクのせいじゃないと思うのだけれど」
「誤魔化さないで下さいな、リズ! 貴女が付いていたならば、もっと早く止められたでしょう!」

 フザの去った荷積み場で、フランとリーゼルが言い争っていた。
 時刻はもう夕方。伊織介とフザの立ち会いを見学していた船員たちも、作業の遅れを取り戻すべく今はせっせと荷役に励んでいる。

「ボクはフランと違って、イオリノスケくんが刀を抜くところ、見てないからね」
「そんな身勝手が通るとでも!?」
「そうは言うけどさ、フラン。キミも見てみたかったんじゃないかな? サムライ同士の、立ち会いってやつを」
「ぐっ……! 確かに興味はありましてよ、確かにムラムラ来ましたわ……! (わたくし)もますます日本人の奴隷が欲しくなりましたわ!」
「欲しいっていうか、キミの場合はお尻に欲しいだけなんじゃ」

「あのー、フランさん。お話中に申し訳ないのですが……荷役が滞ってます」
 伊織介が二人の会話に水を差した。見れば何人もの船員が、困惑の面持ちでフランを見詰めている。
「ああ、もうっ! 分かりましたわ、リズ、この話はまた後ほど!」
 フランは悔しそうに歯噛みすると、ぱたぱたと水夫たちの方へと走っていった。

「ほら、こっちの鍵付き箱(チェスト)を積みなさいな! 貴方はこっちの果実樽、次は山羊を積み込みますわよ!」
 相変わらず、一度指示を出し始めればその監督ぶりは見事なものだ。水夫たちも「へい、姐さん!」などと威勢よく返事をしている。……魔女団(カヴン)の中では最も腕っ節が強く(やや奇特ではあるものの)快活な彼女は、魔女としては最も一般船員たちに慕われているのかもしれない。
「日没まで時間がありませんわ! 神様は貴方たちの働きを見ていますわよ!」
 いや単にフランはわかりやすく怖いだけかもしれない――伊織介は一瞬浮かんだ考えを訂正した。実際、フランが傍らに立てる十字架はぎょろぎょろと目玉を動かして、船員たちを睨みつけているかのように見える。あれは確かに怖いし、気持ち悪い。


「……さて、ボク達も。さっさと終わらせて、積み込みまで済ませなきゃならないからね」

 リーゼルは、腕まくりするフランを一瞥して、くすくすと笑った。
 彼女の卓越した技術で、とっくに火縄銃(アルケブス)の選別は終わっている。後は船槍と舶刀(カトラス)だけだ。

「あの、リーゼルさん。今日はありがとうございました。その……」
 伊織介は作業の手を止めずに、おずおずと声をかける。
「リズでいいよ。そうだね。ボクが止めなかったら、キミ死んでたかもね」
 あっけらかんと言うリーゼルに、伊織介はしばし呆気にとられる。
「うんうん、ヤバかったね、あのフザとか言う男。ボクもドキドキしてしまった。もしも本気だったら、ボクでも止められなかったよ。あまり敵に回したい手合じゃないね、ああいうのは」
 伊織介を見て、リズはくすくすと笑う――ル=ウとはまた違った意地の悪さが、彼女にはあった。

「と、ところで! リーゼ……いやリズさん。どうやったんですか、あれ(・・)
 伊織介は頭を振って、話題を変える。

 そう、フザの木板を斬り落とした時。フザに長銃(アルケブス)を突きつけた時。
 そのいずれも、リズに移動の気配は無かった。まるでその場に突然現れたかのような――

「ああ、あれねー。それはねー」
 
 突如、その言葉だけを残してリズの姿が消失する。

「……こういうこと」

 ――どうせそんなことだろうと思っていた。彼女も魔女だ、何か不思議な術を使ったに違いない。そこまでは予想の範囲内だった。

 しかし、突然、背中から首に腕を回され、耳元で囁かれる(・・・・・・・)なんていうのは想定外だ。
 リズの熱い吐息が、耳の裏にかかる。リズの薄くて小さい、しかし柔らかな身体の感触が背中全体にしなだれかかる――。

「う、うわぁっ」
 全身が総毛立つような色気(・・)に、思わず伊織介は跳ね上がる。と、思えばもう背後にリズの姿は無い。

「あは。初心(うぶ)なんだねえ、イオリノスケくんは」

 その声は今度は正面、伊織介の目の前から聴こえてきた。リズは今や、伊織介の足元に座り込んでいた。

「まぁ、お察しの通り。これはボクの魔法……というより、血筋かな」
 くすくすと愉しげに嗤うリズ。その蠱惑的な声には、魔性の響きが混じっている。
「〝妖精の血(ランペルスティルツキン)〟。ボクは、キミ達の目からちょっとだけ隠れることができる」

 ゆっくりと、伊織介の下半身に指を這わせながら立ち上がるリズ。
「まぁ、タネを明かせば見えにくくなる(・・・・・・・)程度なんだよね。ル=ウやフランに比べれば地味だけれど……便利でしょう?」
 伊織介がリズを振り払おうとすると、再びリズの姿が視界から掻き消える。

 いや――言われてみれば、確かに彼女は消えてなどいない。目を凝らせば、意識を集中すれば彼女はそこに存在している。ただ、視界の端にちらり(・・・)と映っただけのような、そんな奇妙な感覚でしか捉えきれない。
 存在を〝認識できない〟。どうやらそれが彼女の魔法らしい。こと、嫌でも記憶に残るド派手な衣装を身に纏っているからこそ、その存在がまるで物理的に掻き消えたように感じられる。彼女の奇抜な服装は、そこまで計算づくのものだったのだ。

「だから、こんなこともできちゃう」
「な――何をしているんですかっ!」

 気付けば、リズは砂浜のど真ん中――波打ち際で、ゆっくりとショス(パンツ)を下ろしていた。

「仕事の後は、やっぱりコレだよね」
 けらけらと笑いながら、リズは脚を上げて下衣を脱ぎ捨てる。左脚のいかつい鎧を除けば、すっかり裸の下半身が露わになってしまう。うっすらと萌える白金色(プラチナブロンド)が夕陽に眩しい。

「ちょ、ちょ、ちょっと――」
「あは。イオリノスケくんも一緒にどう? 気持ちいいよ」

 狼狽する伊織介を余所に、リズは脚をちょっと蟹股気味に開いて、海に向かって放尿(・・)した。

「ボクのおしっこは、海! 見てよ、メリメント号も、ボクのおしっこの上に浮いてるみたい」

 茜さす、美しい波打ち際。雲一つない空、どこまでも続く水平線。夕陽を背景に勇壮な姿を浮かべるメリメント号の姿は、まるで一枚の絵画のよう。

(この人はマトモだと思ったのに――! 思ったのに!)
 
 ……そんな絶景を、人から見えないからと言って、ぶち壊す少女、リズ。

(魔女には、変態しかいないのか!)

 小悪魔のような微笑みを湛えながら、彼女の尿は、きらきらと夕陽に当てられて輝いていた。


     * * *


 白魔術――それは一般に、邪悪な起源を用いる黒魔術と対比される。堕落した存在、悪魔から力を借り、疾病や破壊といった負の方向性を発揮する黒魔術に対して、白魔術はより無害な存在に起源を持つ。

 〝白魔女(ヴァイスヘクセ)〟リーゼル・マルクアルトの力の根源は、妖精。

 小鬼(ゴブリン)犬鬼(コボルト)とも同一視される、悪とは言えないが、必ずしも善良なだけではない悪戯好きの困り者。
 
 〝ガタゴト鬼(ランペルスティルツキン)〟。所謂、幽霊屋敷(ポルターガイスト)の顕現。その血に基づき、極限まで自身の存在を薄く(・・)する――それが彼女の魔法だった。
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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