3-6. 透明になったら絶対やるでしょ
文字数 5,920文字
一つには、ゲルマン式と呼ばれる流派がある。剣士ヨハンネス・リヒテナウアーの手で編纂されたその剣術は、誕生の地ドイツを超えて
〝
顔の横に刃を水平に構える〝雄牛〟の型は、派手な見た目に反し、ワンアクションで斬撃、打突、防御に転用できる柔軟性を備えている。
他方、
直線的な動きを旨とする
スペイン剣術最大の特徴は、激しくも流麗に動き回る足捌きだ。踊るように素早いそのステップは変幻自在、高度に極められた体幹はそれ自体が柔靭にして剽悍な武器となる。
もっとも――スペイン式とタイ捨流を組み合わせた剣術など、前代未聞ではある。
父にスペイン人、母に日本人を持つ
* * *
「10分は過ぎたよ。もうおしまい」
左右非対称のド派手な衣装、小柄な体格に似合わぬ長大な
にも関わらず、
「……ああん? どォなってんだ……よっ!」
しばし、呆然と短くなった木板を見詰めていたフザだったが、にやりと凶暴な笑みを見せたかと思うと――突然、リーゼルに襲いかかった。構えは鋭剣のそれ、繰り出されるのは打突――半分に斬られた木板が、しかし恐ろしい速度で突きこまれる。
リーゼルは目を眇めると、顔の脇に下向きに構えた剣を滑らせ、突き込むようにフザの一撃を受け流す。
瞬間――リーゼルの身体は、
「もうおしまい。と言ったはずだよ」
木板の突きを受け止めた筈の
気付けば、リーゼルはフザの側面に立っていた――それも、
銃口はぴたりとフザの頭部に密着していた。いつの間に装填されたのか、火縄は細く微かな煙を立てている。
「おいおいィ……。お嬢ちゃん、ニンジャって知ってるかい?」
フザがわざとらしく口笛を鳴らす。
「東洋の
「転職をおすすめするぜ。いや、見事なもんだぁ」
へらへらと笑って、フザは両手を挙げた。
「も少し遊ぶのも悪かないと思ったんだがなあ、そっちのお嬢ちゃんの
「あら。存外に几帳面でしたのね」
どすん、と音を立てて十字架が地を打つ。
「ちょォっと待っておくれよお。女に囲まれるのは嫌じゃねェが、遊ぶんなら、俺ァ
フザが自らに向けられた銃口をぐい、と臆面もなく押し返す。
「だから怖い顔しねェでくれよ、お嬢ちゃん方。ただの稽古だってば、稽古ォ。それにもう
リーゼルとフランの両名に睨まれながら、フザは倒れ込んだ伊織介に手を差し出した。
「立てるかい?
強かに背を打ってしばし呼吸に難儀していた伊織介だが、ようやく息が整ってきた。身体は痛むが、
「……ええ。お見事なお手前でした」
苦虫を噛み潰したような顔で立ち上がる伊織介。
――敗北だった。
フザはフラン達の手前、
おまけに、結局フザは一度たりとも真剣を抜いていない。手を付けてすらいない。粗末な木の板を武器に、これほどの実力。
(広いなぁ、海の外は)
まさか師匠ほどの――いや、師匠よりも強いかもしれない、そんな猛者が存在するとは思わなかった。
そして身震いする。この気まぐれな酔っぱらいが、本気で
「いやあ、満足した満足した。鬼斬リの噂も頷けるぜい。こいつァしばらく、酒の肴にぁ困らなそうだあ」
呵々と笑うフザ。近寄りがたい雰囲気は変わっていないが、今やぞっとするような殺気は消え失せていた。
「世の中には不思議な手品もあるもんだあ。鬼が出る世だ、これからは女子供に見えても油断できねえな」
「……褒め言葉と受け取っておくよ」
リーゼルが肩に両手剣を背負って答えた。いつの間にか、手に持っていた筈の
「おっと。
来たときと変わらぬ千鳥足で、フザは立ち去り際にそう問うた。
「良いだろう? 酒場で自慢せにゃならんからよお」
「……伊織介、です」
「伊織介、なあ。なんだよォ、家名くらい聞かせてくれよぉ」
「……」
答えず、ただ無言でフザを睨む。
「ああ、わかったわかったよお、言いたく無ェなら構わねェ。
フザは大仰に手を振った。さっきまで何人でも殺すような眼をしていた癖に、妙に掴みどころの無い男である。
「重ねて言っとくが――俺ァフザだ。フザ=アルフォンソで覚えてくれい。鉄火場で会う時ぁ、名乗る暇も無ェからよォ。伊織介、知り合えて良かったぜい」
隻眼のフザ――西欧人のような風貌に、和装で腰に刀を差した酔っぱらい。
確かにその名は、忘れられそうになかった。
* * *
「まったく――どうしてもっと早く止めませんでしたの!? お尻がヒクヒクしてしまいましたわ!」
「それはボクのせいじゃないと思うのだけれど」
「誤魔化さないで下さいな、リズ! 貴女が付いていたならば、もっと早く止められたでしょう!」
フザの去った荷積み場で、フランとリーゼルが言い争っていた。
時刻はもう夕方。伊織介とフザの立ち会いを見学していた船員たちも、作業の遅れを取り戻すべく今はせっせと荷役に励んでいる。
「ボクはフランと違って、イオリノスケくんが刀を抜くところ、見てないからね」
「そんな身勝手が通るとでも!?」
「そうは言うけどさ、フラン。キミも見てみたかったんじゃないかな? サムライ同士の、立ち会いってやつを」
「ぐっ……! 確かに興味はありましてよ、確かにムラムラ来ましたわ……!
「欲しいっていうか、キミの場合はお尻に欲しいだけなんじゃ」
「あのー、フランさん。お話中に申し訳ないのですが……荷役が滞ってます」
伊織介が二人の会話に水を差した。見れば何人もの船員が、困惑の面持ちでフランを見詰めている。
「ああ、もうっ! 分かりましたわ、リズ、この話はまた後ほど!」
フランは悔しそうに歯噛みすると、ぱたぱたと水夫たちの方へと走っていった。
「ほら、こっちの
相変わらず、一度指示を出し始めればその監督ぶりは見事なものだ。水夫たちも「へい、姐さん!」などと威勢よく返事をしている。……
「日没まで時間がありませんわ! 神様は貴方たちの働きを見ていますわよ!」
いや単にフランはわかりやすく怖いだけかもしれない――伊織介は一瞬浮かんだ考えを訂正した。実際、フランが傍らに立てる十字架はぎょろぎょろと目玉を動かして、船員たちを睨みつけているかのように見える。あれは確かに怖いし、気持ち悪い。
「……さて、ボク達も。さっさと終わらせて、積み込みまで済ませなきゃならないからね」
リーゼルは、腕まくりするフランを一瞥して、くすくすと笑った。
彼女の卓越した技術で、とっくに
「あの、リーゼルさん。今日はありがとうございました。その……」
伊織介は作業の手を止めずに、おずおずと声をかける。
「リズでいいよ。そうだね。ボクが止めなかったら、キミ死んでたかもね」
あっけらかんと言うリーゼルに、伊織介はしばし呆気にとられる。
「うんうん、ヤバかったね、あのフザとか言う男。ボクもドキドキしてしまった。もしも本気だったら、ボクでも止められなかったよ。あまり敵に回したい手合じゃないね、ああいうのは」
伊織介を見て、リズはくすくすと笑う――ル=ウとはまた違った意地の悪さが、彼女にはあった。
「と、ところで! リーゼ……いやリズさん。どうやったんですか、
伊織介は頭を振って、話題を変える。
そう、フザの木板を斬り落とした時。フザに
そのいずれも、リズに移動の気配は無かった。まるでその場に突然現れたかのような――
「ああ、あれねー。それはねー」
突如、その言葉だけを残してリズの姿が消失する。
「……こういうこと」
――どうせそんなことだろうと思っていた。彼女も魔女だ、何か不思議な術を使ったに違いない。そこまでは予想の範囲内だった。
しかし、突然、背中から首に腕を回され、
リズの熱い吐息が、耳の裏にかかる。リズの薄くて小さい、しかし柔らかな身体の感触が背中全体にしなだれかかる――。
「う、うわぁっ」
全身が総毛立つような
「あは。
その声は今度は正面、伊織介の目の前から聴こえてきた。リズは今や、伊織介の足元に座り込んでいた。
「まぁ、お察しの通り。これはボクの魔法……というより、血筋かな」
くすくすと愉しげに嗤うリズ。その蠱惑的な声には、魔性の響きが混じっている。
「〝
ゆっくりと、伊織介の下半身に指を這わせながら立ち上がるリズ。
「まぁ、タネを明かせば
伊織介がリズを振り払おうとすると、再びリズの姿が視界から掻き消える。
いや――言われてみれば、確かに彼女は消えてなどいない。目を凝らせば、意識を集中すれば彼女はそこに存在している。ただ、視界の端に
存在を〝認識できない〟。どうやらそれが彼女の魔法らしい。こと、嫌でも記憶に残るド派手な衣装を身に纏っているからこそ、その存在がまるで物理的に掻き消えたように感じられる。彼女の奇抜な服装は、そこまで計算づくのものだったのだ。
「だから、こんなこともできちゃう」
「な――何をしているんですかっ!」
気付けば、リズは砂浜のど真ん中――波打ち際で、ゆっくりと
「仕事の後は、やっぱりコレだよね」
けらけらと笑いながら、リズは脚を上げて下衣を脱ぎ捨てる。左脚のいかつい鎧を除けば、すっかり裸の下半身が露わになってしまう。うっすらと萌える
「ちょ、ちょ、ちょっと――」
「あは。イオリノスケくんも一緒にどう? 気持ちいいよ」
狼狽する伊織介を余所に、リズは脚をちょっと蟹股気味に開いて、海に向かって
「ボクのおしっこは、海! 見てよ、メリメント号も、ボクのおしっこの上に浮いてるみたい」
茜さす、美しい波打ち際。雲一つない空、どこまでも続く水平線。夕陽を背景に勇壮な姿を浮かべるメリメント号の姿は、まるで一枚の絵画のよう。
(この人はマトモだと思ったのに――! 思ったのに!)
……そんな絶景を、人から見えないからと言って、ぶち壊す少女、リズ。
(魔女には、変態しかいないのか!)
小悪魔のような微笑みを湛えながら、彼女の尿は、きらきらと夕陽に当てられて輝いていた。
* * *
白魔術――それは一般に、邪悪な起源を用いる黒魔術と対比される。堕落した存在、悪魔から力を借り、疾病や破壊といった負の方向性を発揮する黒魔術に対して、白魔術はより無害な存在に起源を持つ。
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