4-4. 会いたくない奴ほど最悪のタイミングで顔を出す
文字数 3,559文字
リズが口を尖らせる。
「技術で代用できるものは代用する、それが経済的というものだろ。わたしは現代を生きる魔女だぞ」
暗闇の塔内を先導するのはル=ウだった。その外套の腰部には、小型の
「どこに隠し持っていたんですの……」
「この外套も、伊達で羽織っている訳じゃない」
頼りなく揺らめく灯火が照らし出すのは、奇怪に蠢く肉壁だけ。ぶよぶよした床から、時折間違えたかのように細い触手が生えているだけで、他に障害物らしき物は何もない。
「趣味じゃなかったんだ」
「趣味じゃなかったんですの」
「おまえらわたしを何だと思ってるんだ」
見てくれは巨大な塔だったが、内部は殆どがらんどうに近い。あるものといえば、壁に添って伸びる螺旋階段くらい。
頭上を見上げでも、階段がどこまで続いているのかは見えない。ただ暗闇が広がっている。
「どこまでもあの男そのものだな、この塔は。中身が無い。……恥ずかしくなるよ」
天を仰いでル=ウが嘆息した。
「貴様は恥ずかしくないのか? なあ、"傭兵"」
ル=ウが、見上げた暗闇に向かって声をかけ、同時に無言でリズが前に出て、空に向かって
ぎん、と金属音。リズの剣が、落ちてきた何かを弾いた。
「あっ、バレちまったァ」
リズの剣に迎え撃たれた
ゆらりと立ち上がる気配。
「――仕事だからなあ。金払いが良いのさ、アンタのお父様って方ァな」
おぞましい儀式の場には相応しくない、妙に上機嫌な声だった。
「うげぇ」
リズが露骨に嫌そうな表情を作った。
「……!!」
対照的に、フランが身を固くする。
「俺を覚えていてくれたとは光栄だな、お嬢ちゃんよお」
無遠慮に、そして無警戒にへらへらと笑う隻眼の偉丈夫――フザ=アルフォンソ。
メリメント号を苦しめた、凄腕の剣士がそこに立っていた。
「できれば忘れたかったよ、ド変態。大人しく死んでればよかったのに」
舌を見せるリズ。言葉とは裏腹に、凍るほど冷たい目を向けている。
隙を見せれば、魔女といえども首を掻っ攫われる。この男の粘つく視線は、獲物を甚振る肉食獣のそれ。
こと、リズに至っては魔女であって剣士でもある。フザの危うさは誰より承知していた。
「俺ァもぉちょいとこう、派手なリアクションを期待してたンだがなあ。生きていたのかァ! なんつって」
肩を揺らすフザを前にして、魔女たちは僅かに距離を取る。
リズは手元に両手剣を呼び戻し、ル=ウの外套がざわついた。空気が張り詰めたのは錯覚ではなく、それは三人もの魔女がそれぞれに敵愾心を滾らせたが故のこと。
「そうでもないさ。わたしは十分驚いている――おまえ、
「いひっ。やっぱ、わかるぅ?」
魔女の視線を受け止めながら、ミイラのように全身に包帯を巻いたフザがくつくつと笑った。
* * *
「最初に言っとくが、コレも仕事だ。〝神父〟殿のご令嬢には、おれは手を出さねえ」
「……さっきの一撃は、明らかに私を狙っていたようだが?」
「信頼してるってことだよお。それに、せっかくのおれの
着衣といえば腰布のみ、という出で立ちは変わらないが、今のフザは頭のてっぺんから足の先まで包帯が巻かれている。
右手に一本、彼の背丈ほどもある大太刀をぶら下げて、フザは空いた左手でばりばりと頭を掻き毟った。
「……こっちは三人。アイツは一人。囲んでタコ殴っちゃうのも悪かないとは思うけど」
リズがわざとらしく長銃を弄びながら、フランにちらと視線を送る。
「どうせボクは、〝神父〟には妖精名を握られちゃってるし。この変態の相手の方が、格好がつきそうだ。ついでにいえば――フランにも、今すぐコイツを殴らなきゃいけない理由がある。ね?」
その言葉を受けてもフザを睨み付けたまま動かないル=ウに対し、リズがうるさそうに手のひらを振った。
「合理的だろ。だからほら、ル=ウは行った行った」
しばらく難しい顔で沈黙するル=ウ。
数秒そうやってフザを睨み続け、やがて諦めたように長い息を吐いた。
「任せた」
「うん」
「フランも」
「ええ」
それだけ言って、ル=ウは外套を翻す。
あとは無遠慮なほど無警戒に、憮然として一人螺旋階段を登っていった。
「……薄情なんだなあ、お嬢ちゃんは」
「うちの
「聴こえてるぞ!」
頭上から声が飛んできて、リズはおどけて首をすくめてみせる。
「いやあ、ボクもやってみたかったんだよね。〝この場は任せて先に行け〟ってやつ。それに」
ひらひらと手を頭上に振ってから、リズがフランの隣に並んだ。
「ちゃんと取り戻そうか、フラン。大丈夫、ボクがついてるよ」
「……ええ、ええ。
フランの視線は、ずっとフザに釘付けにされていた。
彼女が見ているのは、フザの眼だ。ギラつく殺意を貼り付けて嫌らしく歪む、フザの左目ではない。
フランが見つめているのは、フザの
包帯の下に隠された、もともとそこに無かった筈の眼球だった。
「おおう。命がけで奪いに来なァ。じゃないとサクっと殺しちゃうぜ」
ぼこぼことフザの
晒されたフザの素顔、その右半分には、巨大な眼球が植わっていた。
* * *
壁一面にびっしりと生えた眼玉から、一斉に視線が注がれる。
それらを涼しい顔で受け流し、ル=ウは肉の階段を駆け上がった。
(こいつらは……)
時折、階段から無数の腕が飛び出して、ル=ウの足を掴もうとする。
軽く蹴飛ばすと、それらはばたばたと身を捩って引っ込んだ。
(防衛機構ですらない。反射だ)
ル=ウには、その眼玉も、腕にも見覚えがある。忘れよう筈もない。
壁に張り付いた無数の眼玉は、伊織介の眼球によく似ている。
甘えるように掴みかかる腕も、日本人にしては肌白い伊織介のもの。
彼女が踏み付ける肉の階段だってそうだ。きっと伊織介の肉に違いない。
(上層に近づくほどに、イオリの肉が増えている)
この肉の塔は、上に向かって成長している。
下層部が多くの生贄の肉で構成されている一方、成長によって生まれた部位の大半は伊織介の肉そのものだ。
(イオリが、使われている)
強く噛んだ唇から血筋が垂れる。
怒りと口惜しさに身を焦がしながら、ル=ウは伊織介の肉を踏みつけて進む。
(
――それが伊織介に宿ったのは、偶発的な事故だった。
もとを辿れば、魔女としてのル=ウに神父が降ろそうとしたもの。
縁はあった。魔女ル=ウの
〝贄神ハイヌウェレ〟。
東の海の世界におけるあらゆる木々と食物の、その生みの親たる女神の
たとえ微かな断片に過ぎなくとも、本物の女神の欠片である。
贄神を宿した伊織介の肉は、あまりにも美味だ。それはあらゆる欲望を刺激する、魔性の供物。
知れば知るほどに虜になる、麻薬のように人を魅惑する極上の贄。
それは、求められれば求められるほどに力を増す類の神性だ。
(わたしだけの……わたしだけのイオリだったのに……ッ!)
このまま伊織介の肉の増殖が続けば、間違いなく東の海全体全てが狂う。あらゆる動物が伊織介の肉を求めて殺し合う地獄が顕現することだろう。
だからル=ウは、伊織介の神性を秘すしかなかった。それは目覚めさせてはならない神だ。
(取り返す……絶対に!)
もはやル=ウ自身、それが異常な愛情なのか、あるいは魅了された執着なのか分かっていない。
けれど、そんな区別に意味などなかった。ここに在るのは魔女と妖怪、悪党と悪人――道理に従う正直者など、一人としていよう筈もない。