6-5. ハッピィバースデー・トゥミー
文字数 3,543文字
「一体どうなっているんだ!? 敵襲なのか?」
「味方の反乱だってよ! 護衛船団がやられてる!」
「見ろ、敵は大軍だ。現地人どもが、ついに蜂起しやがったんだ!」
オランダ兵達は口々に言い合い、事態の把握すら出来ぬ有り様だった。
護衛船団は敗走し、城壁は火船により叩き崩された。
加えて、城塞の周囲に広がる森には莫大な数の灯火が揺らめいている――実際には、灯火はリチャードソンが雇った陸兵300に過ぎない。一人あたり複数の松明を掲げただけの、ごく単純な
大混乱の中、メリメント号を薪に燃え盛る炎だけが、城内の惨状を照らしている。
今や兵たちを治めることのできる人間は居なかった。それもそのはず、〝
城塞の駐留部隊は、我先にとバタヴィア城から逃走していく。
一方で、指揮を執るべき現在の最高権力者〝
「なあにあれ、すっごい炎! あははは、見てよ。オランダ人どもが、ばかみたいな顔で逃げてる! 頭悪いねえ! これだから
おっかなびっくり塔の縁に手をかけながら、地表の混乱に目を細める。その様はまるで、虫の巣を突いた子供のよう。
「こういうやり口は、軍隊のやり方じゃあない。もっと少数の、
背中を向けたまま、神父の声が伊織介に向けられる。
無論、伊織介は傷ついた身体のまま、最上階の床に半身を囚われたままだった。呼吸は浅く、見るからに弱っている。
「ぼくの
――〝ラサリナ〟。
その単語が、朦朧とする伊織介の意識を僅かに現実に引き寄せた。
「……ルウ……?」
――助けに来た、だって?
「はは、そんな……ばかだな、ルウは」
乾いた笑いに、思わず口を出た言葉は、困惑のそれ。
そうだ、魔女は強欲なのだ。
くだらないほど意地っ張りで、どうしようもないほど欲深く、おぞましいほど罪深いくせに、手がつけられないほど寂しがりの魔女。
お気に入りのおもちゃを
あの魔女は、きっとまた孤独を気取ったまま、周囲を地獄の底まで巻き込むのだろう。
――
あるいは、彼女自身が死ぬ番なのかもしれない。ひどい皮肉だ。
片目の無い顔で、伊織介は呆れて笑う。
平常ではない思考、途切れかけた意識の中で、しかし確かに伊織介は笑っていた。
だが、神父はそんな内心など知る由もない。
伊織介の返答に気を良くしたのか、ますます饒舌になって両手を大仰に振り回す。
「あは、そうさ! きみはなかなか賢いな。そうだねえ、
喋りながら、両手をめちゃめちゃに振り回して伊織介の周りで靴音を響かせる神父。
――だが、一見して無意味に見えたそのはしゃぎぶりは、見たままのものではなかった。
「でもさあ、できの悪い子ほど可愛いものなんだ。ちょうど良い、そろそろ兵たちも用済みだ……ラサリナには、歴史の目撃者になってもらおう! そうしよう!」
振り回される神父の腕、その指先が仄かに赤く輝く。
赤色の輝きは、光の筋となって微かに宙に軌跡を描いた。
奇妙なリズムで刻まれる足音が響くその度に、赤い光芒が明滅する。
「ちょうどいい感じに盛り上がって来たし、今夜を!
でたらめに見えた
へたくそに見えた
その光芒は、魔法陣。
人ならざるものと契約し、支配する魔術の極み。
「父と子と、聖霊の御名によりて――
* * *
「うわあ悪趣味」
「直截に言ってドン引きですわ……」
バタヴィアの堅固な石壁の内側には、地獄のような光景が広がっていた。
メリメント号の爆発も、護衛艦隊の潰走も、敵兵による包囲すらも生ぬるい。
塔が、人を食らっている。
城の中心部に聳え立つ巨大な塔が、生きて周囲の人間を
赤黒い塔の外壁が蠢いて、無数の細く長い触手が生み出される。遥か高所からも触手は生成され、雨が叩きつけるように地表の獲物の頭上に降りかかる。触手は城内の兵士を絡め取り、悲鳴を上げる間もなく塔の内側に取り込んでいく。
「派手な装いですが、モノ自体は粗末ですわ」
襲いかかる幾筋もの触手を、フランが片手で払い除けた。彼女の手が触れた端から触手は溶けて、塵となって崩れていく。
「全くだね。こんなに目立つ儀式を組むなんて、理解不能だよ。審問艦隊が黙っちゃいない」
次から次に降ってくる触手の雨に、リズは両手剣を盾にしている。それだけで触手はリズに近寄れないようだった。
混乱するバタヴィア城塞に、
退路の確保にと水兵たちは船に残してきたが、正解だったようだ。呪術的な抵抗の術を持たない者たちが、この場では敵味方問わずに喰われていく。
「おそらく、この馬鹿げた儀式はただの前座だ。さほどの
ル=ウが眉間に皺を寄せて塔を睨む。フランとリズに防御を任せて、ゆっくりと塔へと歩を進めていた。
「勝負は今宵の内に着く――いや、着けるさ。相手に取っても、こちらに取ってもこの夜だけが唯一の機会だ」
あらゆる意味で、ル=ウの言葉は事実だった。
メリメント号をすら用いた火船攻撃は、二度とは通じるものではない。何せこの場はオランダ側の本拠地と言っても過言ではない。その城には、魔女といえども安々とは踏み込めるものではない。
同時に、〝神父〟もまた後戻りは出来ないだろうことは明確だった。ただでさえ火薬庫のような政治事情を孕んだこの島で、遠方からでも確認できるような異形の儀式を動かしたのだ。近隣王朝どころか、
「今夜だけの
リズが悪戯っぽく、歯を見せて笑う。
「思いついても誰もやらなかったようなことを、自分だけが思いついたと信じて実行できるのがあの男だ。誰もやらなかった理由も考えずに、な」
吐き捨てて、ル=ウは
それは、
「カバラ書式で通じるな、予測通りだ。塔そのものは、低級霊を噛ませて操作しているただの肉塊に過ぎない。この塔自体は、巨大な呪術的
ル=ウの魔法陣が刻まれた外壁がぐずぐずと収縮し、人間一人が通れる程度の穴が開く。
「……開いたぞ。さあ、押し入り強盗といこうか。魔女らしくな」
穴の先に広がっているのは暗闇だった。中の様子は伺えない。ただ、肉の外壁がびくびくと蠢いている。
「いいね、ボクらは復讐に駆られた悪漢ってワケだ」
「一緒にしないでくださいな!
リズはくつくつと笑いながら。フランは大げさに腕を振り回して。
「さて、父上。わたしの欲望と貴様の野望――どちらが勝つか、決着を付けようじゃないか」
背筋を伸ばして、平然とル=ウが穴を潜った。
――三人の