6-3. オリエンタルグルメは蜜の味

文字数 2,303文字

 ――ここが終点(・・)なのだとすれば、僕の旅には何の意味があったのだろう。

 ここまでの道筋は、思い返せば、そう悪いものではなかった。

 奴隷になった。辛かった。魔女の下僕(しもべ)になった。怖かった。
 でも、悪くなかった。

 魔女の隣は、不思議と居心地が良かった。
 皮肉にしては趣味が悪いが、居場所があった。誇りがあった。いずれも故郷にはなかったものだ。

 魔女の道は外法の道だ。そこに安らぎを見出すとは、なるほど自分は生まれついての外道者だったのかもしれない。
 であるならば、この終わりも応報というものだ。

 誰も見ていない。誰にも知られていない。誰にも気にかけられない。
 ただ一人、悪魔のようなあの男だけが、僕の肉を味わっている。

 文字通りの人でなし(・・・・)としては、まあ、上等な終わり方なのだろう。


     * * *
 

「マァァァァァァァァァァーーーーーーーーベラスッ!!」

 神父が踊っていた。ワンパターンなステップを踏み、天を仰いで踵を鳴らす。
 ただでさえ灰色がちな空は、ゆっくりと藍色に沈んでいく。日が暮れるのを待ち望んでいたかのように、神父が空に手を伸ばしていた。

 そこは〝(バベル)〟の最上階だった。
 周囲に広がる熱帯雨林すら眼下に見下ろすその高距は、しかし、今もって高さを増していた。

「伸びろ伸びろ、すくすく育て! もっともっと高く高く高く、主のおわすところまでえ!!」

 〝(バベル)〟は、成長(・・)していた。
 赤黒く固められた血肉の凝固物が膨らんで。あるいは、塗り込まれた腕や脚がその筋を伸ばして。あるいは、散りばめられた眼玉や内臓がひとりでに増えて。まったくでたらめな形ではあったが、しかし総体として、塔は成長していた。

「あっはっはっはっはっは! すごいじゃないかすごいじゃないか、我が娘ながら実に素晴らしい、これは実によく伸びる! 実に優れた作品だ、きみは実に優れた作品だよう、お人形君!」

 塔の最上階、その黒く淀んだ床に、伊織介が植わって(・・・・)いる。
 右腕を失い、ぐったりとして動かない伊織介の下半身は、半ばまで床に埋もれていた。右眼を抉られ、残った左眼も呆けたように虚空を見つめている。

「ねえねえ少しは答えておくれよお人形君、奴隷も召使もみんなみんなみーーーーーーーんな消費(・・)しちゃったから話し相手がいないんだからさあ。ねえねえねえねえねえ」

 まともに口を利かない伊織介が不満らしい。神父は下手くそなダンスを中断し、今度はその脚で伊織介を小突き始めた。一方的に語りかけながら、妙に鋭く尖った革靴で執拗に執拗に何度も何度も蹴り続ける。

「きみの話をしてるんだよ? きみ自身の話をしているんだよ? もうちょっと興味を持つのが理性的というものじゃないかなあ!」

 神父は伊織介の両肩を掴んで、乱暴に上体を揺らす。それでも伊織介は動かない。

「きみほど、きみほど生贄(・・)に相応しい存在はいない! ぼくの計画は、きみのおかげで大幅に、著しく、急激に前進した! きみに出会えて良かった……本当に良かった! きみとの出会いに、そしてきみを産み出した我が娘に感謝、ひいては我が娘を産み出したぼく自身に感謝だ! やはりぼくは祝福されている……! 愛を、主の愛情を感じずにはいられない!」

 伊織介の反応はないが、感極まったらしい神父は伊織介の身体を抱きしめた。
 涙すら流して白塗りの化粧を崩しながら、歓喜に声を震わせる。

「ああ、ぼくの(バベル)が、きみに宿る(ディエティ)を讃えている。おいしい、おいしいって言っているよ……セラムの神――ヴィマーレの伝承――」

 伊織介の耳元に、神父の荒い吐息がかかる。先程とは一転、厳かな低い声で、神父は異教の神の名を呼んだ。
 

「――その名は、〝ハイヌヴェレ〟。豊穣の女神」


 急に伊織介を突き放し、目を見開く神父。

「女ェ神の味だあ! 女神のォ味がするぅ、征服の味だあ!! 異教(ペイガン)は、美味しい! まさに我々(カトリック)が食すための恵みィ! ありがとうありがとう、生まれてきてくれてありがとう! 実に、実にデリシャァァァァァァァァァス!! あッははははははっ!」

 哄笑が響き渡る。

 陽が落ち空が闇に染まる中、伊織介の養分を吸った(バベル)は、ゆっくりとその高さを増し続けた。



 ――贄神ハイヌヴェレ。

 セラムの神話に語られる、豊穣の神。

 ココヤシの花から生まれたハイヌヴェレは、多くの恵みを人々に与え、そしてその力のために人々に殺された。
 しかしばらばらに切り刻まれた少女の身体は、死してなお恵みを齎した。死んだ彼女の肉体が、あらゆる食物の祖として発芽し、「植え育てる」という教えを遺したのである。


 ハイヌヴェレの祝福、あるいは呪い。神秘が姿を消しつつあるこの世界において、異教の神性をその身に宿した伊織介は、確かに希少品(レアモノ)ではあった。
 魑魅魍魎や妖怪、妖精のような格の低い神秘ではない。本物の女神のそれである。

 おまけに、世界でも類を見ない贄神の原型と来たものだ。
 なるほど神父の言う通り――伊織介ほど相応しい生贄は他にいないだろう。


     * * *


 ――でも、もし。

 もしも、こんな外道者にも、まだ何かを示すことができるのなら。

 誰も僕を見ていないのに、「 」を示すことができるのなら。

 僕を見てくれているのは、きっと――。
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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