3-4. すぐにタイマン張りたがるバカはいつの時代も迷惑

文字数 5,865文字

「はいそこの貴方! その荷箱はこちらに積み上げるのですわ! ほらほらチンタラしませんの、尻穴を締めてかかりなさいな! 酒樽は短艇(ボート)でしてよ!」

 浅瀬に積み上げられた荷箱の山の上に立ち、フランが船員たちにきびきびと指示を出している。積み荷を運ぶ水夫たちの人種は様々だ。浅黒い肌をしたテルグ人にタミル人、白い肌のアルメニア人に西欧(ヨーロッパ)人、東洋系の者も少数ながら見受けられる。いずれもメリメント号の船員たちだった。

 魔女団(カヴン)がバンタム行きを決めたその日の午後には、既にメリメント号は出港準備に入っていた。フランを始め、伊織介らもマスリパトナムの港に降りて、各自割り当てられた仕事を進めている。

「自分がこんなことを言うのも失礼なんですが」
 遠慮がちに、伊織介は言葉を紡ぐ。
「フランさんに荷積みの監督を任せてしまって、本当に大丈夫なのですか? 僕らも手伝った方が……」
 伊織介はちらちらとフランの方を見やった。当のフランは大張り切りで荷を捌いている。
「気持ちはわかるよ。けど、彼女は骨の髄まで吝嗇家(ドケチ)、意地汚さは魔女団(カヴン)一さ。ああ見えて、損や不正の監督をさせるのにはうってつけなんだよ」
「そういうものですか」
「そういうものさ」

 冷静な口調で伊織介の疑問に答えたのは、左右非対称の奇妙な格好をした少女だった。その声は詩人のそれのように透き通っている。

 白金色の髪(プラチナブロンド)には、洒落た羽飾り。青と緑が交互に配置されたド派手な縞柄の上衣(ダブレット)。何より印象的なのは、左腕と左脚にのみ重厚な鎧を着込んでいることだ。逆に右腕と右脚は剥き出しで、極めて短いショス(パンツ)から覗く右腿が眩しい。

 小柄な身体に似合わぬ両手剣(ツヴァイハンダー)を背負った、ドイツ傭兵(ランツクネヒト)のような出で立ちの少女――リーゼル・マルクアルト。

 彼女もまた、魔女団(カヴン)の一員である。

「少し前までは、魔女団(カヴン)ももう少し賑やかだったんだけどね。今はル=ウに、ボクとフランしか残っていない。できることを各自がやるしかないのさ」
 少年のような口調で語って、リズは肩を竦めてみせた。
「少し前まで……って、何かあったんですか?」
「魔女狩りだよ。はるばる西欧(ヨーロッパ)から逃げてきたのに、まさかこの地でまで異端狩りに遭うとは思わなかった。仲間の魔女が何人も投獄、処刑されたよ」
「処刑……そんな……」
「ボク自身、一度は牢獄で首を吊られる順番を待っていた身さ。そんなとき、保釈金を払って身請けしてくれたのがル=ウって訳。彼女、根っからの強欲って訳じゃないんだよ。今の時代、魔女が異端狩りから逃れて生きていくには、お金(わいろ)が必要なのさ」

 言いながら、彼女はてきぱきと手元の火縄銃(アルケブス)を捌いていた。不良品、整備の必要な品……山のように積まれた銃が、次々に選別されていく。
 リーゼルの担当は、船に載せる武器弾薬の確認と整備だった。伊織介はその補佐をル=ウに命じられている。伊織介も種子島(ひなわじゅう)の扱いならば一通りの知識があったが、リーゼルのそれは段違いだ。銃口の歪み、板バネの弱り、火縄の接合部……恐ろしい速度であらゆる部位を点検していく。

「まぁ、フランに関しては……彼女は根っからの守銭奴だけどね」
 両手をぶんぶん振り回して指示を出すフランを見ながら、リーゼルはいたずらっぽく笑った。

 そんなときである――フランが悲鳴を上げた。

「な……っ、何ですの貴方は! ここは現在、メリメント号の荷積場ですのよ!」

 見れば――船員たちがざわついている。
 彼らの視線の中心にあるのは、いつの間に砂浜に現れたのか、赤ら顔をした半裸の偉丈夫が立っていた。

「こちらには湾港長(シャー・バンダル)の許可証がありましてよ! 勝手に荷積場を荒らす気ならば、司法長官(カーズィー)を呼ぶことになりますわ!」
「おいおい、勘違いしねェでくれよお嬢ちゃん。俺は人に会いに来ただけだあ」
 そう言って両手を挙げる男の背丈は、七尺(2メートル)に迫るほど。隻眼らしく、右目には眼帯が当てられている。顔立ちは西欧人のそれだが、胸を露わに着崩しているのは長着に袴、腰には刀を差していた。
「日本人がそこの船に居るって聞いてよお。こう見えて俺ァ日本生まれだ、半分は西班牙(イスパニア)の血だがな。今日日(きょうび)同胞は珍しいんだ、会わせてくれよォ頼むよォ」
 へらへらと男は訴える。彼を囲む船員たちは、誰一人彼に近づこうとしない――否、近づけない。昼間から酒に酔っている男、しかし彼の纏う異様な雰囲気に、フランを含めた全員が呑まれていた。

「おっ? ――いるじゃねェか。早く言ってくれよお」

 男の左目が、伊織介を認めた。

 瞬間、全身が総毛立つ。遅れて伊織介は理解する。
(この人――!)
 この感覚を伊織介は故郷でも感じたことがある。関ヶ原帰りの(つわもの)……別けても、西軍(負け戦)を最前線で戦い抜いた者に共通する、ある種の空気。何かしら人として大切なものを、戦場(いくさば)に置いてきてしまった者特有のそれ(・・)
(あん)ちゃんかい? 一昨日の晩に、暴鬼を斬ったってェ日本人は」
 ふらふらと千鳥足で、男は伊織介に寄ってくる。
「思ってたよりずっと若ェな。その歳じゃあ、青野ヶ原も知らんだろ。ホントに鬼を斬ったのかい?」
 男は鼻が触れ合うほどの距離まで、無遠慮に顔を近付けた。酒臭い吐息がかかる。伊織介は、後退りしないように気を張るのがやっとだ。
「まァいいや。フザだ。志佐(しさ)付左衛門(ふざえもん)=アルフォンソ。いやァ、久方ぶりに侍の同胞と会えて嬉しいぜい。昔はここいらにも日本人傭兵はも少し(・・・)居たんだがなァ、ほら、みィんな戦でおっ()んじまってなァ」
 フザと名乗った男は、伊織介の背中をばちばちと叩いて笑った。本人は楽しそうだが、フランはじめ船員たちが固唾を呑んで遠巻きに見詰めている。伊織介も気が気でない。
「……フザさん。失礼ですが、僕たちは見ての通り仕事中です。御用ならば、」
「おう、すまねェな。手短に済ませるとするわ」
 伊織介の言葉を遮ったフザは、手近な荷箱から木板を素手で引き剥がした(・・・・・・)。釘張りの木板とはいえ、凄まじい握力である。

「御託はナシだ。俺ァこいつで良い。抜けよ。()ろうぜ」

 言って、フザは三尺(90センチ)ほどの木板を下段に構えた。口調も飄々としたまま、殺気すら無いが――伊織介の背を汗が伝う。不可思議な危険(ヤバさ)が、この男にはあった。
 
「ちょっと! マスリパトナムで私闘はご法度でしてよ! (スルタン)の法に逆らうつもりですの!?」
 すぐに止めに入ったのは、フランである。巨大な十字架を携えて、ずかずかとフザに寄っていく。口調はいつもの調子だが、伊織介にはその声が微かに緊張しているのが分かった。
 フランの言葉通り、港都マスリパトナムでは流血沙汰は厳禁である――少なくとも昼の間は。多彩な荒くれ者の集まるこの港が栄えているのは、(スルタン)の強大な権力によって仮初めの平和が維持されている故だ。魔女団(カヴン)といえども、(スルタン)には逆らえない。

「おいおいお嬢ちゃん、勘弁してくれよォ。稽古だよ、稽古。侍同士が会ったら、親睦を深めるために稽古するんだよお。なァ(あん)ちゃん?」
「……そう言われましても」
 戦う理由など無い。メリットも無い。見境なく刀を抜くほど、伊織介は戦好きではなかった。しかし――。

「……稽古。だよなァ?」

 フザは、視線を伊織介に向けたまま、木板を沖合のメリメント号に向けた。
「……ッ!」
 伊織介は理解する。これは脅しだ。この男、本当の意味で見境がない(・・・・・)

 ――暴れるつもりなのだ。

 (スルタン)の法など知ったことではない。誰が死のうが、自分が死のうが構わない。メリメント号の船員百人弱、その全てをたったひとりで相手取る、そういう宣言だった。
 生と死の値段が等価なのだ。無茶苦茶で、損得勘定が通用しない、いわば狂者――伊織介は、そういう手合いのことをよく知っていた。侍と言われる者たちには、一定の割合でこういう(・・・・)のが混じる。この手の危険な人種は、文字通り死ぬまで止まらない。

「まぁ……そうですね。心配しないでくださいフランさん。稽古です」
 この男は、平然と死ぬ男だ。こんな男に付き合って、命のやり取りをする必要なんかない。なんとか満足させて帰ってもらう他無い――その一心で、伊織介は仕方なく、フザの言葉を首肯する。

 それに、だ。
(……流石にここまで虚仮にされて、引けるものですか)
 フザは腰の刀を抜く気が全くない。それはどこまでも伊織介を小馬鹿にしていて――少なくとも、自分がそこまでの弱者でないこと(・・・・・・・)を証明しなければ気が済まない。伊織介は謙虚だが、謙虚なりに矜持はあった。

「俺の得物はこの木板、(あん)ちゃんは何を使っても良い。悪くても俺が死ぬだけだァ、何も心配はいらねェよお」
「……本当ですのね? まったく、野蛮な方たちですこと」
 フランは呆れたように肩を竦めると、どすんとその場に十字架を突き立てた。
「良いでしょう。10分だけ――10分間だけ、許可しますわ。ただし、(わたくし)が立ち会わせて頂きます。少しでも危険があったら、容赦は致しません」
 不機嫌そうに腰に手を当てるフラン。しかし今はやけに頼もしく見える。

「じゃ、お嬢ちゃんの許可も出たッつうことで」
 フザが木板をぶらぶらと揺する。それほど頑丈な木板ではないが、この大男が持つと脅威に感じられる。酒の抜け切らない赤ら顔だが、とても気安く近寄る気になれない威圧感が、この隻眼の男にはあった。
「気乗りはしませんが」
 伊織介は鯉口を切って、ゆっくりと小太刀を抜いた――抜刀術を今使うほど、伊織介は愚かではない。抜き打ちはあくまで不意打ち、奇襲に用いるもの。相手が刀を抜くのを待ってくれるならば、それに越したことはない。

 お互いの距離は打ち間の外。――手合わせが、始まった。



「おら、打ってこいよ」
「では」

 言いながらも、しかし伊織介は打ち込まない。正眼に構えたまま、摺足で徐々に徐々に距離を詰めていく。足元は砂浜だ。柔らかい地面では、どうしたって踏み込みは一歩遅れる。ここで先手を打つのは不利――後の先(・・・)を獲る。伊織介は冷静だった。
「どうしたァ、来ないのかよお。おじさんからいっちゃうぞお」
 フザは両足を横に開いて立っている。動きがあればすぐに解る。伊織介はフザの言葉を無視して、剣先で牽制しながらじりじりと近寄っていく。
(間違って、死んでも知りません――!)
 こっちは文字通り、真剣だ。おそらく実力は向こうが上。簡単に斬らせてはくれまい。だからこそ、全力を尽くす。相手は伊織介を舐めている。そこに隙がある。
(魔女団(こちら)を舐めたツケは――払って頂く)
 自分()ともかくとして、魔女団(カヴン)を舐められるのは気分が良くない。奴隷の身分ではあるが、そこはそれ。仮にも自分の主人である魔女たちが軽んじられたようでは、従者(さぶらい)として我慢がならない。

 伊織介にも、その程度にはキレ(・・)(さが)があった。

 ――フザの足が、微かに動く。
(そこだ!)
 伊織介が踏み込む。正眼のまま、剣先が伸びる――。

「……チェェェェェェイ!」

 奇妙な叫び声は、一撃より遥かに遅れて(・・・・・・)叫ばれた。

「え……」

 困惑の声を上げたのは、伊織介だった。
 びたり(・・・)と、その目の前に木板が向けられている。

 寸止めだった。首筋僅か数寸のところで、木板は止まっていた。……振り抜かれていれば、鎖骨が叩き割られていたかもしれない。ぞっとしない想像に肌が泡立つ。もしもこの男の得物が木板ではなく、腰の真剣であったら?
 ――この男は、いつでも伊織介を殺せたのだ。

 有り得ない深さの踏み込み。猛烈な速度の袈裟斬り。砂の地面などという環境を物ともしない、予備動作なしの足捌き。
「ハイ、一本。三本勝負でいこうやあ」
 後の先を取られたのは、伊織介の方だった。

「わっかりやすいなぁ、(あん)ちゃん。型稽古通りの動き。たくさん練習したんだねェ。若いっつーかさァ、まともに斬りあったことないでしょお」
 呆気にとられる伊織介に対して、フザは木板を肩に背負いながらへらへらと笑う。
「いいよお、いい機会だ。俺が胸を貸してやるよお。どんどん打っておいでェ」

 ……確かにフザの言うとおりだった。伊織介にはまともな立ち会いの経験が無い。
 故郷ではずっと稽古ばかりさせられて来た。だから剣術には自信があった。事実、オランダの奴隷だったときは、白人の水兵を幾人も斬り伏せた。しかしそれは相手が素人だったからだ。馬來鬼(ペナンガラン)の相手など、ル=ウの魔術頼りだった。伊織介は確かに、あまりにも実戦経験に乏しかった。

「……失礼」

 伊織介は言って、荷箱の方へ歩いていった。

 山のように積まれた荷箱類は、それだけで壁のような高さを為している。荷箱と荷箱に挟まれた場所は、まるで狭い隘路のようだ。

 伊織介は、自らその隘路に立った。荷箱を背にして、小太刀を構える。

「こっちでやります。どうぞ、打って来てください(・・・・・・・・・)

 どう見ても逃げ場の無い、明らかに不利な位置取り。不自然、非合理、無意味な行動に、フランを始め観客全てが疑問符を浮かべる。
「おいおい、背水の陣ってやつ? そんなことしても意味ないよお」
 フザも不思議そうに伊織介を見ている。自ら狭い位置に立った伊織介は、フザから見れば自ら体捌きの範囲を狭めたようなもの。ただでさえ一撃の疾いフザにとって、それは致命的な隙にしか見えない。

 しかし伊織介は冷静だった。その目は真剣そのものだ。

 ――絶対、獲る。

 伊織介は、勝つ気でいた。
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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