4-1. 出せと言われてそう簡単に出るなら苦労はない
文字数 3,382文字
帆船における
故に、用場に於いては風向こそが全てと言っても過言ではない。風下――この場合は進行方向――に向かって
それは理解できる。だからと言って――
「あっははははは! イオリノスケくんもおいでよぉ~。こっちで
「あっ、危ないですよリズさん! 色んな意味で危ない!」
「いいのいいの、どうせ誰にも見えないんだからさ!」
下半身丸出しで、器用に片脚を掲げたまま――リズは海に向かって放尿した。風に吹かれた小水は、鮮やかな霧となって海に消えていく。
船は常に緩やかな
風は西南西。澄み渡る晴天。穏やかな追い風を受けて、メリメント号はすいすいと東へ向けて進んでいた。
(誰にも見えないとはいえ、僕には見えているのですが)
彼女の姿は、特に
「イオリノスケくん見てみて! 虹が出来てる!」
伊織介の葛藤などいざしらず、リズは逆立ちして大股を開いてみせる。実に恐るべき身体能力である。
(魔女って……魔女って……)
伊織介は頭を抱えた。彼女たちは、あまりにも
目の前の小柄な少女、リズなどは典型的だ。隻眼の傭兵、フザから伊織介を守ってくれた時の真剣な眼差しはどこへやら、仕事が無ければ昼から酒を飲み、酔っ払って伊織介に絡んでくる。おまけに水夫たちからは見えないからといって、半裸で船内を彷徨くのだから始末が悪い。
過剰な逸脱。性的にも、あるいは生として逸脱している存在。
そういえば、リズには妖精の血が流れていると聞いた。昨晩も、ル=ウは彼女自身のことを〝化物〟と表現していたことを思い出す。魔女とは……いや、魔に属する存在とはいったい何なんだろうか。
――伊織介が思考に沈もうとしたその瞬間、艦内に聞きなれない音が響いた。
カン、カン、カン、カン、カン……連続で乱打される鐘の音は、時刻を知らせる時鐘のものではない。
「警鐘……ッ!」
リズの目が鋭くなる。
伊織介は
* * *
「戦闘配置! 諸君、戦闘配置である!」
リチャードソンの朗々とした声が響く。水夫たちはばたばたと走り回り、天地が引っくり返ったような騒ぎである。ある者は甲板上に置かれた戦闘に邪魔な荷物を撤去し、ある者は甲板に滑り止めの砂を撒いた。ハンモックは舷側にまとめて括りつけられ、弾除けに早変わりする。艦全体が叩き起こされ、全員が仕事に従事する。
「右舷艦尾方向、13点。所属は……オランダ」
ル=ウが
「3本マストのピンネース船。マスリパトナムの港でも見たことがあるよ。確か砲数は12門。厄介だ」
リズが補足した。ピンネースとは小型の帆船のことで、高速輸送や哨戒に向いた快速船である。小型とはいえ十分な火力を有し、小回りの効く難敵だ。
「リズ、よく覚えていますのね」
「これくらいは当然さ」
フランの言葉に、リズは飄々と答えた。ついさっきまで、伊織介の前で奇行を繰り返していた人物とは思えない豹変ぶりだ。今はしっかりと派手な衣装も着込んで、下半身も隠している。
「……追ってきてるな、あれは。この
ル=ウがオランダ船を睨んで、苦々しく呟く。
「お嬢の言う通りである。出港時から追跡されていたのであろうな。微風に乗じて仕掛けてくる腹づもりであろう」
リチャードソンが頷いた。通常、十分な風のある場合は、より大きな帆を持つ大型船の方が速度が出る。しかし今日のような弱い風の場合は、船体の軽い小型船の方が速く
「こりゃ、振り切れぬ。おまけに相手は風上に陣取っているのである。後手に回るのはまずい。早期に手を打つぞ」
リチャードソンは、力強くそう宣言した。
海戦では、基本的に風上側が有利になる。帆船は風上に切り上がることも出来るとはいえ、風上に船首を向ける機動には大きな制限が伴う。その意味で、風上側というのは海戦において主導権を握ることになる。風下側の船は、風上に向き直るだけでも一苦労なのだ。
「さぁて……腕の見せ所であるな」
リチャードソンは、不敵な笑みで水平線を睨んでいた。
「さてイオリ」
「イオリノスケさん」
嫌な予感――振り向けば、そこには満面の笑みを湛えたフランと、複雑な表情のル=ウが立っていた。
* * *
「嫌です」
戦闘配置に沸き立つ甲板を余所に、伊織介は士官室に連れ込まれていた。
「嫌と言っても、イオリのモノは私が持ってるんだぞ? 一目につかない場所でするだけ、感謝して欲しいな」
「逆に考えなよ、イオリノスケくん。むしろこんな美女三人に囲まれるなんて、羨ましい経験なんじゃない?」
ル=ウは少し不機嫌そうに腕を組んで。リズは壁際でにやにやと、それぞれに伊織介を見詰めている。
「そーおですわ。これは何もイヤらしいことではありません。解呪師として、
フランがぐい、と伊織介に顔を近づけて凄んだ。
「……なんで僕がその代価を払わされるんですか! ルウに請求してくださいよ、ルウに!」
顔を必至に背けながら、精一杯の抵抗をする伊織介。
「そのル=ウの所有物が、イオリノスケくんなんだよ。だから、ル=ウはそこから払うだけさ。実に論理的なことだよ」
「……リズの言う通りだ。この
「分かっているとは思うが、これからすぐに砲戦が始まる。イオリ、今はお前にこの戦いの趨勢がかかっているんだぞ?」
もっとも、フランの性格から、彼女はもっぱら金貨ばかりを要求してきたが――今回の代価は、いつもとは違う。
「さぁ、イオリノスケさん? おとなしく――
――〝童貞の精液〟。
それは、史上最大の錬金術師、テオフラストゥス・フォン・ホーエンハイムが