6-6. 会いたくないやつほど案の定何度も顔を出す

文字数 3,589文字

「……そこは魔法の光とかじゃないんだ」

 リズが口を尖らせる。

「技術で代用できるものは代用する、それが経済的というものだろ。わたしは現代を生きる魔女だぞ」

 暗闇の塔内を先導するのはル=ウだった。その外套の腰部には、小型の洋灯(ランタン)が吊られている。

「どこに隠し持っていたんですの……」
「この外套も、伊達で羽織っている訳じゃない」

 頼りなく揺らめく灯火が照らし出すのは、奇怪に蠢く肉壁だけ。ぶよぶよした床から、時折間違えたかのように細い触手が生えているだけで、他に障害物らしき物は何もない。

「趣味じゃなかったんだ」
「趣味じゃなかったんですの」
「おまえらわたしを何だと思ってるんだ」

 見てくれは巨大な塔だったが、内部は殆どがらんどうに近い。あるものといえば、壁に添って伸びる螺旋階段くらい。
 頭上を見上げでも、階段がどこまで続いているのかは見えない。ただ暗闇が広がっている。

「どこまでもあの男そのものだな、この塔は。中身が無い。……恥ずかしくなるよ」

 天を仰いでル=ウが嘆息した。

「貴様は恥ずかしくないのか? なあ、"傭兵"」

 ル=ウが、見上げた暗闇に向かって声をかけ、同時に無言でリズが前に出て、空に向かって両手剣(ツヴァイハンダー)を放り投げる。
 ぎん、と金属音。リズの剣が、落ちてきた何かを弾いた。

「あっ、バレちまったァ」

 リズの剣に迎え撃たれたそいつ(・・・)は、猫のような靭やかさで膝を屈めて着地する。
 ゆらりと立ち上がる気配。洋灯(ランタン)の光を受けて、その手に握られた長大な刀が闇に煌めく。
 
「――仕事だからなあ。金払いが良いのさ、アンタのお父様って方ァな」

 おぞましい儀式の場には相応しくない、妙に上機嫌な声だった。
「うげぇ」
 リズが露骨に嫌そうな表情を作った。
「……!!」
 対照的に、フランが身を固くする。

「俺を覚えていてくれたとは光栄だな、お嬢ちゃんよお」

 無遠慮に、そして無警戒にへらへらと笑う隻眼の偉丈夫――フザ=アルフォンソ。
 メリメント号を苦しめた、凄腕の剣士がそこに立っていた。

「できれば忘れたかったよ、ド変態。大人しく死んでればよかったのに」
 舌を見せるリズ。言葉とは裏腹に、凍るほど冷たい目を向けている。
  
 隙を見せれば、魔女といえども首を掻っ攫われる。この男の粘つく視線は、獲物を甚振る肉食獣のそれ。
 こと、リズに至っては魔女であって剣士でもある。フザの危うさは誰より承知していた。

「俺ァもぉちょいとこう、派手なリアクションを期待してたンだがなあ。生きていたのかァ! なんつって」

 肩を揺らすフザを前にして、魔女たちは僅かに距離を取る。
 リズは手元に両手剣を呼び戻し、ル=ウの外套がざわついた。空気が張り詰めたのは錯覚ではなく、それは三人もの魔女がそれぞれに敵愾心を滾らせたが故のこと。

「そうでもないさ。わたしは十分驚いている――おまえ、人間辞めた(・・・・・)な」

「いひっ。やっぱ、わかるぅ?」 

 魔女の視線を受け止めながら、ミイラのように全身に包帯を巻いたフザがくつくつと笑った。


     * * *


「最初に言っとくが、コレも仕事だ。"神父"殿のご令嬢には、おれは手を出さねえ」
「……さっきの一撃は、明らかに私を狙っていたようだが?」
「信頼してるってことだよお。それに、せっかくのおれの初陣(・・)なんだ、派手にお披露目したいっつう男心をわかってくれよ」

 着衣といえば腰布のみ、という出で立ちは変わらないが、今のフザは頭のてっぺんから足の先まで包帯が巻かれている。
 右手に一本、彼の背丈ほどもある大太刀をぶら下げて、フザは空いた左手でばりばりと頭を掻き毟った。

「……こっちは三人。アイツは一人。囲んでタコ殴っちゃうのも悪かないとは思うけど」
 リズがわざとらしく長銃を弄びながら、フランにちらと視線を送る。
「どうせボクは、"神父"には妖精名を握られちゃってるし。この変態の相手の方が、格好がつきそうだ。ついでにいえば――フランにも、今すぐコイツを殴らなきゃいけない理由がある。ね?」
 その言葉を受けてもフザを睨み付けたまま動かないル=ウに対し、リズがうるさそうに手のひらを振った。
「合理的だろ。だからほら、ル=ウは行った行った」
 
 しばらく難しい顔で沈黙するル=ウ。
 数秒そうやってフザを睨み続け、やがて諦めたように長い息を吐いた。

「任せた」
「うん」
「フランも」
「ええ」

 それだけ言って、ル=ウは外套を翻す。
 あとは無遠慮なほど無警戒に、憮然として一人螺旋階段を登っていった。

「……薄情なんだなあ、お嬢ちゃんは」
「うちの魔女頭様(ミストレス)は、労働力の効率的な配置に余念がないのさ。ほら、ル=ウってばケチだから」
「聴こえてるぞ!」

 頭上から声が飛んできて、リズはおどけて首をすくめてみせる。
「いやあ、ボクもやってみたかったんだよね。"この場は任せて先に行け"ってやつ。それに」
 ひらひらと手を頭上に振ってから、リズがフランの隣に並んだ。 
「ちゃんと取り戻そうか、フラン。大丈夫、ボクがついてるよ」

「……ええ、ええ。(わたくし)の、聖霊(プネウマ)を――返してもらいますわ」

 フランの視線は、ずっとフザに釘付けにされていた。
 彼女が見ているのは、フザの眼だ。ギラつく殺意を貼り付けて嫌らしく歪む、フザの左目ではない。

 フランが見つめているのは、フザの右目(・・)
 包帯の下に隠された、もともとそこに無かった筈の眼球だった。
 
「おおう。命がけで奪いに来なァ。じゃないとサクっと殺しちゃうぜ」

 ぼこぼことフザの右眼が暴れ始め(・・・・・・・)、頭の包帯が破けて解ける。
 晒されたフザの素顔、その右半分には、巨大な眼球が植わっていた。


     * * *


 壁一面にびっしりと生えた眼玉から、一斉に視線が注がれる。
 それらを涼しい顔で受け流し、ル=ウは肉の階段を駆け上がった。

(こいつらは……)

 時折、階段から無数の腕が飛び出して、ル=ウの足を掴もうとする。
 軽く蹴飛ばすと、それらはばたばたと身を捩って引っ込んだ。

(防衛機構ですらない。反射だ)

 ル=ウには、その眼玉も、腕にも見覚えがある。忘れよう筈もない。
 壁に張り付いた無数の眼玉は、伊織介の眼球によく似ている。
 甘えるように掴みかかる腕も、日本人にしては肌白い伊織介のもの。
 彼女が踏み付ける肉の階段だってそうだ。きっと伊織介の肉に違いない。

(上層に近づくほどに、イオリの肉が増えている)

 この肉の塔は、上に向かって成長している。
 下層部が多くの生贄の肉で構成されている一方、成長によって生まれた部位の大半は伊織介の肉そのものだ。

(イオリが、使われている)

 強く噛んだ唇から血筋が垂れる。
 怒りと口惜しさに身を焦がしながら、ル=ウは伊織介の肉を踏みつけて進む。

わたしのイオリ(・・・・・・・)が、消費されて(喰われて)いる!)



 ――それが伊織介に宿ったのは、偶発的な事故だった。

 もとを辿れば、魔女としてのル=ウに神父が降ろそうとしたもの。
 縁はあった。魔女ル=ウの植肉魔法(キルデア・キラル)は、その神性に由来するもの。

 〝贄神ハイヌウェレ〟。

 東の海の世界におけるあらゆる木々と食物の、その生みの親たる女神の()。それこそが伊織介の身体に宿ったものの正体だ。

 たとえ微かな断片に過ぎなくとも、本物の女神の欠片である。
 贄神を宿した伊織介の肉は、あまりにも美味だ。それはあらゆる欲望を刺激する、魔性の供物。
 知れば知るほどに虜になる、麻薬のように人を魅惑する極上の贄。

 それは、求められれば求められるほどに力を増す類の神性だ。

(わたしだけの……わたしだけのイオリだったのに……ッ!)
 
 このまま伊織介の肉の増殖が続けば、間違いなく東の海全体全てが狂う。あらゆる動物が伊織介の肉を求めて殺し合う地獄が顕現することだろう。
 だからル=ウは、伊織介の神性を秘すしかなかった。それは目覚めさせてはならない神だ。

(取り返す……絶対に!)

 もはやル=ウ自身、それが異常な愛情なのか、あるいは魅了された執着なのか分かっていない。
 けれど、そんな区別に意味などなかった。ここに在るのは魔女と妖怪、悪党と悪人――道理に従う正直者など、一人としていよう筈もない。
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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