6-13. 殴るって言ったらマジで殴る
文字数 3,425文字
不思議な光景だった。その銃弾は、竜の身を貫くというより、ぬるりと吸い込まれるかのように消えていく。銃身から伸びた茨は、まるで湖面に垂らされた黒い釣り糸。
「
リズの目は、じっと銃口の先を睨んでいる。ざわざわと腕に絡みついた茨が蠢き、銃弾は深く深く竜の中に潜っていく。
形なき妖精は、しかしその働きにおいて猟犬のそれによく似ていた。あらゆる壁も障害も無視して、ただ好物にむしゃぶりつくだけの、極めてシンプルで一途な化物。
「妖精は、
竜身の遥か下方――尾にほど近い部分――の肉の隙間を掻き分ける、小柄な男を、茨は嗅ぎつける。
男はずぶずぶと肉の海を泳ぐように、無様に、必死に、下へ下へと向かっていた。
「見つけた」
すなわち、この竜の腸とは、儀式の中心、〝神父〟に相当する。
「掴んだよ。案の定〝神父〟は今も竜身内部を下降中。慌てて逃げてる途中ってところ」
『この期に及んでか!? まさか、こいつ、この竜自体が……!』
「そゆこと。この竜そのものが、時間稼ぎ用の大魔術ってわけ。
呆れたようにリズが頭を振った。
〝神父〟は、これほど大掛かりな儀式をやらかして、尚逃げる算段を立てていた。いや、それどころではなく、むしろ一番最初に逃走手段を確保しておいたのだろう。英国に長年追われながらも生き延びた逃げ足は伊達ではない。おまけに、〝神父〟の通った後は地獄のような有様だけが残るのだ。呆れた悪辣ぶりである。
「さてさて、妖精の仕事はささやかなものだ。フラウベルタも、噛み付くことはあっても食い尽くすほど欲張りじゃない」
『ああ、覚悟は出来てる。イオリは』
「僕はルウに従うだけです」
『可愛いやつめ。なら、決着といこう』
ル=ウの声が優しく転がる。
身体の内側が、そっと撫でられるような感覚があった。あるいは、錯覚か。
伊織介は拳を軽く握りしめた。黒い掌には、黒い棘。それが今ある牙であり、刃だ。
「それじゃあ、フラン。力仕事だよ?」
「
『金貨1枚追加で』
「締まっていきますわー!」
リズの身体を支えたフランが、その体勢のままぐっと力を込める。
黒い茨を纏った銃身は、今や釣り竿だった。文字通り、二人がかりでその糸を引き上げる。
(((なんだ!?)))
奇怪な叫び声が足元から響いた。次いで、ずぶずぶと気持ちの悪い感触。深く竜身に潜った茨が、獲物を引き摺り出そうと蠢いている。
(((やめろ……やめろ!!)))
補足されたことを自覚した〝神父〟の叫びに呼応して、竜が身動ぎを始めた。
(((ぼくには使命がある。こんなところでは終われない!)))
鱗の表面から、ぬるぬると触手が生え始める。あっという間に大樹の如く成長したそれは、すぐに伊織介たちに襲いかかった。
(((ぼくは生き延びる! 生きて、生きて……また何度でもやり直す!)))
『いいや、父よ。ここが最後だ』
触手が魔女たちに触れるようかという瞬間、先端からぼろぼろと崩れ落ちる。根本からは花が生え、果実が熟し、そして朽ちた。伊織介の右手の〝根〟が、とうに触手を貫いていた。
「はいはい、ちょっと揺れますわよー」
次々に生え変わる触手を、フランが脚だけで器用に蹴り捌いている。リズの身体を支えながら、だ。
「
鼻息荒く宣言するフランである。
事実、多々一の鉄火場における殴り合いは彼女の独壇場だ。鮮やかな金髪が散る度に、近付こうとする触手が薙ぎ倒されていく。
(((ぼくは……ぼくは救世主だぞ!)))
触手では埒が明かぬと見たか、竜が金切り声を上げる。頭が割れるほどの爆音に合わせて、竜の鱗が沸き立った。ぼこ、と鱗が膨らむと、直後それは二つに割れて、そこには黄ばんだ巨大な眼球が生成される。
竜の目だ。小山のように巨大な眼玉。視線で身を裂く呪いの邪眼。リズを中心として取り囲むように、ぼこぼこと眼玉が量産されていく。
「ちょっとル=ウー! 魔女団一の美少女が丸焼きにされるよー!?」
「
「ボクだっつの!」
身動きが取れないリズが泣き言を漏らす一方で、ル=ウは手を打っていた。
『それはそれで美味しそうだがな』
ル=ウが、すなわち伊織介が、獣のように跳ね回る。尾までも手足のように使って、既に種は撒かれている。
「貴方が言うと洒落になりませんよ、ルウ」
軽口を零した瞬間、全ての〝根〟が同時に発芽した。
『なるほど、これほど巨大な自律悪魔を準備したのは見事だ。だが、逃げの一手に使ってしまったのは悪手だったな、〝神父〟――ウィリアム・フィッツジェラルド! その逃げ道こそが、お前のミスだ!』
そう、最初からル=ウは全力だった。自身の命どころか仲間の命すら賭け金に乗せた彼女に対して、〝神父〟のそれはあまりに矮小だった。
ついに、〝神父〟が竜身から引きずり出される。ずぷ、と湿っぽい音と共に、黒い茨に絡め取られた小男が、魔女の足元に転がった。
(((うそだ……そんなばかな!)))
〝神父〟の身体は、度重なる儀式魔術の行使ゆえか、もはや人間とは呼び難い形をしていた。赤く膨れ上がった芋虫のような胴体に、人間の顔と手足がへばり付いている。
(((ラ、ラサリナ……分かるだろ? ぼくは、ぼくはね。神様に選ばれて)))
そこだけが奇妙に白い顔面は、今やくしゃくしゃに歪んでいた。
口から漏れるのは哀れな喘鳴だけで、その声は魔術的に伝達されている。もはや自力で喋ることも叶うまい。
『お前は救世主なんかじゃない』
無様に後退ろうとする〝神父〟を、伊織介が――ル=ウが、静かに見下ろしていた。
『神様を言い訳にして、
(((ラサリナ、ラサリナ……! ぼくはきみのお父さんだぞ、こ、殺したりなんかしないよな!?)))
『お前は悪魔でも、ましてや竜なんかでもない。どこまでいっても、ただの
(((き、貴様ァーーッ!)))
黒い右腕が、音を立てて変質した。もはや腕の形を留めないそれは、ぶくぶくと瘤のように無様に膨らみ真っ黒な鎚を形作る。巨岩の如く肥大化したそれは、ただ〝叩き潰したい〟という彼女の心情そのものだったのだろう。
魔女は、その巨大な拳を振り上げて告げた。
『小さく哀れな
右の瞼を瞑って、金色の瞳を閉じる。
そうしたところで、その感触を隠すことはできないことは分かっていた。
拳を打ち付ける。肉が潰れ、骨が砕ける感覚。左の眼に映った、今際の絶望に歪んだ表情。すべて、すべてがル=ウにも視えている。
それでも、彼女の眼には残したくはないと思ったのだ。
『死ね、父上』
横合いに殴りつけられた神父の身体が、錐揉みしながら宙に投げ出された。
人相の分からぬほどに損壊した顔面は、それでもか細い悲鳴を漏らし続ける。流れる血は端から緑の蔓に生え変わり、はみ出る
そして、華が咲いた。地上に落ちるより早く、〝神父〟だったモノは、字義通りに散華した。
真っ赤な花びらが、空を舞った。