6-12.  抱え落ちだけはマジで勘弁

文字数 3,508文字

 聳え立つ〝バベル〟が、その姿を変えてゆく。

 赤黒い外壁は、刃のような鱗へ。不規則に生えた触手は、蝙蝠のそれに似た小さな翼へ。
 牙を持つ大顎があり、鱗があり、翼がある。その意味では、確かにそれは竜だった。
 だがあまりに醜怪、歪な竜だった。天使の輪のように輝く〝門〟に、垂直にぶら下がる蛇の姿。
 竜などというより、空にぶら下がる巨大な蠕虫(ワーム)とでも言うべき異形。

 頭部と思しき部分には、不規則な吹き出物のように黄ばんだ眼球が散りばめられている。
 七つある眼玉のうち、いくつかが、海を見た。遥か下方、地表の港湾に蠢く生命を見た。

 あまりの出来事に混乱し、必死に逃げようとするオランダ人の船。
 人にとっては巨大な船だが、この竜にとっては海に浮かぶ羽虫にも等しい。だからそれは、ただの戯れだったのだろう。

 竜が、目を細めた。船を見て。

 ただそれだけで、海が燃えた。
 水柱が噴き上がり、巻き込まれた数隻の船が木っ端微塵になって砕け散る。まるで海底火山の爆発が如き有様だった。
 それは極めて原始的な呪い、〝邪視〟に過ぎない。だが竜ほどの巨体にもなれば、大地を削り海すら引き裂く暴威を伴う。

 ――視線だけで、物理的な破壊を齎す巨大な悪魔。
 〝天国の門〟が反転した結果、塔に宿った自律する悪意。
 
 甲高い、しかし幾重にも重なった声で竜は吠える。
 生まれるぞ。生まれるぞ。祝福しろ。我はこれより降臨する。悪竜は歓喜に身を震わせ、不気味な咆哮を夜闇に轟かせた。

 あまりに歪で、あまりに巨大な身であるがゆえ、羽化(・・)には時間を要するが――それももうすぐだ。
 

     * * *


「目から! 目から光条(ビーム)出ましたわ! やばいですわ!」
「はいどうも。妖精参上だよ。危ないところだったね、びっくりした?」

 塔に喰われる寸前、伊織介は横合いから掻っ攫われた。
 フザを倒したリズとフランが、最上層まで登ってきていたのが幸いだった。伊織介を小脇に抱きかかえたフランが、平然と竜のうなじの辺りに着地する。
 
「うわーっ! うわーっ! 高い! 高いーっ!」
「いやあイオリノスケくん、リアクション良好だね」
「うええええ!? フランさん、生きてる!? え、僕が死んでる!?」
「どうもお久しぶりですわ。(わたくし)がお救いしましたので、いまだ存命でしてよ」

 救出したと言っても、塔自体が動き出し始めてしまったことに変わりはない。
 今のところは鱗の間にしがみついているものの、雲を見下ろす高所である。身じろぎされるだけで振り落とされそうだ。
「フランさん……生きてたんだ……」
 図らずも、魔女団(カヴン)再集結であった。とはいえ、再会を喜ぶ暇も無いのが現状だ。

『リズ、お前、その腕……!?』
「うん、身代わりに使った」
 伊織介の中のル=ウが、金色の目を丸くしているのが分かる。
 その意識に引き摺られて、伊織介もようやく気付く――リズの右腕が、無い。肩から先が綺麗に失くなっており、今も生々しい切り口を晒している。

「〝不可視の妖精(ランペルスティルツキン)〟ごと自切した(・・・・)のさ。トカゲの尻尾切りってやつ」

 文字通り、リズは己の右腕を捨てていた。
 伊織介を喰らおうとした竜の大顎、そこに妖精の存在位相をそっくり詰め込んで右腕を差し出したのだ。
 いくら右腕だけとはいえ、古来より受け継がれる妖精まるごとである。概念上の重みは魔術的にも巨大であり、実際に竜は満足したのか見失ったのか、ことさら伊織介たちを気にする様子も無い。

『お前の妖精は数百年モノだろう!? なんてことを……』
「でも、おかげでボクは自由に動ける。もともとそっちの妖精名は、神父に握られちゃってたからね。これでボクは自由だ」
 衣装に巻き付けた弾薬帯(マグポーチ)から手際よく薬瓶や包帯を取り出して、自ら傷口を手当するリズ。いつも鴉芙蓉(ラウダナム)で酔っ払っているのも、伊達ではないらしい。常人ならば激痛や失血で昏倒しても良い筈だが、リズの常備する阿片薬は、むしろ彼女の正気を強く引き止めている。
「出し惜しみして抱え落ちするよりずっとマシさ。後で腕の良い義肢屋を紹介してね」
『……手当をめいいっぱい出してやるからな』
「はいはい。どうせ酒代に消える予定だけどね。さて、それはそれとして」

 手は止めずに、リズが胡乱な目を伊織介に向けた。じとっとした視線で、半身を金と黒に染めたその身体を睨めあげる。

「タイミング逃しちゃったんだけど、イオリノスケくん何それどうなってるの……」
「イカした格好ですわ! その尻尾、触らせて頂いてもよろしくて!?」
 返事を待たずに、フランが尾にかぶりついている。目を輝かせて両手でべたべたと揉みしだいてくるが、構い始めると終わらないので今は無視。
「うーんと。ルウと、なんか、合体してる……?」
「合体!? エッロ……」
「えっちですわ……」
『いやそういうのじゃないから! お前らの考えてる合体と違うから!』
 ル=ウの必死の弁解が虚しく響いた。フランはずっと鼻息を荒くしていた。

『と、とにかくコイツを止めないとまずい。この竜が海を睨んでいる限り、どこにも逃げ場がないぞ』
「マジでやばいですの!」
 リチャードソンたちは、作戦通りならばどこかの島影に退避しているはずだ。無事だと思いたいが、竜が移動を開始した以上、早急に手を打たねばならない。何しろ睨まれただけで終わり(アウト)なのだ。
「それに、こんな化物が海に出たら周囲にどれほどの被害が出るかわからないね」
『バンタムは大事な取引先だ。勝手を許せば、魔女の沽券に関わる。しかし』
「おっきすぎますわ!」
 フランが頬を染めて主張する。
「まぁ、そういうことだね。さすがのフランも音を上げる大きさだ」
「ねえちょっと、いま(わたくし)のお尻の話しませんでした?」
『本物にしろ偽物にしろ〝天国の門〟を開くほどの生贄から生まれた真魔だ。イオリを全開稼働させても、この大きさでは……』

 聞いて、待ってましたと言わんばかりにリズが可愛らしい胸を張った。

「そこで、賢いこのボクが提案しよう。この竜を構築している核を潰せばいいのさ」

 器用に片手で長銃(マスケット)をくるくると回してみせるリズ。〝不可視の妖精(ランペルスティルツキン)〟は喪われても〝靴屋の妖精(ルコルパン)〟は健在で、見る間にひとりでに銃弾が装填される。

『それが出来れば苦労はないぞ。そもそも核に相当する部位があるかどうかすら』
「いや、あるね」
 リズが確信をもって、ル=ウの言葉に異を唱える。
「ヒントはボクらの道筋さ。何故〝神父〟は、門番たるフザを最下層に配置したのか? いや、何故〝神父〟は、天国の門をここまで反転させることができたのか?」
『ん、確かに(バベル)そのものが、召喚術式と生贄を兼ねた儀式場だったが……確かに不自然だ。最初から竜化まで込みで設計されたかの、ような……?』
「まぁ見ててよ。――フラン! ちょっと抑えていて」

 フランに身体を支えられながら、リズが片手で長銃を竜の身に押し当てる。その角度は真下、垂直に垂れ下がる尾の方向に向けられた。

「使い所の無い妖精だと思ってたんだけどね。北の大地に這う肉屋、醜い鉤鼻の冬、第三の妖精!」

 リズの腕に、銃に、見る間に茨のような黒い紋が走っていく。瞬きする間もなかった。
 謳い上げる彼女の声には、事実、妖婦(セイレーン)の如き蠱惑の旋律が乗っている。それは獲物を惑わし、誘う、捕食者の叫び。

(はらわた)を引き摺り出せ――〝腹を切り裂く者(フラウベルタ)〟!」


     * * *


 リズの身体には、妖精の血が流れている。太古の昔より受け継がれた、祈りと奇跡と気まぐれの具現。
 第一の妖精は、〝ガタゴト鬼(ランペルスティルツキン)〟。人の目から姿を隠し、悪戯を働く神出鬼没の力。
 第二の妖精は、〝靴屋の妖精(ルコルパン)〟。ひとりでに物作りをこなす、不可思議な祝福の力。
 そして第三の妖精が、〝腹を切り裂く者(フラウベルタ)〟。獲物の(はらわた)をどこまでも追い縋る、猟犬の如き剔抉の力。

 ベルヒタ、プレヒトとも呼ばれるその妖精は、呼び名通りに敵の臓物を引きずり出す。白魔女(ヴァイスヘクセ)が宿すものとして最も昏く、最も忌まわしい、呪いの具現だった。
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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