6-11. 秘密って言われると余計に知りたくなるの法則

文字数 4,536文字

 女神ハイヌウェレの尾。それは秘密の果実だった。

 白魔女(リズ)解呪師(フラン)も、神父すらもが果実(イオリ)に惹かれたのは偶然ではない。
 欲望は土壌で、欲情は慈雨。知れば知るほど甘く香り立つその果実は、存在そのものが媚薬に近しい。

 だから魔女(ル=ウ)は、果実の守り手だった。全ては果実の純潔を守るため。
 そして果実は種子から芽吹く。数多の欲望を浴びて、純潔のまま、自らの情欲を抱いて。

 全ては魔女の設計通り。神父が天国を降ろすならば、魔女は異神を育て上げる。これこそが魔女の姦計。信仰を犯す異端の業。
 旧き豊穣と多産の女神の力は、現代に再演される。 
 

     * * *


「ああああああ! ひいっ、ひぃぃいぃぃいぃ」

 でたらめに魔法陣(グリフ)が明滅して、濃密な赤い嵐が吹き荒れるた。
 金色の目を宿した伊織介は蝗嵐(ペレシト)の中にあって、右の拳を払うように振り落とす。ただそれだけで、嵐は中心から真っ二つに切り裂かれて、醜い蝗の死骸を晒した。

「ずるいぞ……そんなの、ずるい!」
 噴き出す汗で、白塗りの化粧が崩れていた。
「ひ、卑怯じゃないか! そんな、たまたま拾っただけの神性でぇ……! ぼくが、ぼくが何年かけて準備したと思ってるんだ!」
 白黒のマーブルじみた顔色で、神父は縋るように蝗を喚び出し続ける。

『拾った神性? 違うな。元はと言えば、お前が喚び寄せたモノだ。わたしの母の血を使ってな』
 伊織介の舌でル=ウが呟いた。重く、哀しい声色だった。
『何一つ偶然なんかじゃない。母の血。犯されるわたし。そして、禁忌に惹かれる魂――いや、イオリの存在だけは誤算だったな』
「あの時の、最初に宿った神霊は、取るに足らないものだった! そんなものに……!」
『そんなものだと思ったから、途中で飽きて捨てたんだろう。だが、わたしにはイオリが来てくれた。聖性に憧れながら、快楽に容易に溺れる。あるはずのないものを追い求めて、同時に現実に耽溺する。そんな少年のたましいを拾ったことは、わたしにとってもお前にとっても、あるいは贄神にとってすら誤算だったに違いない』

 今ならば、ル=ウの言葉が理解できる。伊織介の脳裏に、生前(・・)の光景が浮かび上がる。
 あの日、17歳の戦場で、確かに伊織介は出会ったのだ――贄神を宿した少女と。神様にあこがれた少年は、とうに出会っていたのだ。喪われた異端の贄神に。

 ――あの日、あの瞬間から、僕はとうに彼女に魅入られていた。

『そうさ、父上。わたしはお前に捨てられたから、イオリに出会い、贄神を目覚めさせ、そしてお前を殺せる』
 ひ、と神父が悲鳴を漏らす。汗に崩れた化粧の下には、歳相応に刻まれた皺が覗いていた。4、50代の、背の低い、どこにでもいる男の顔だった。

「英国を、世界をひっくり返せるんだぞ! 天国へ行けるんだぞ! なんで、なんでぼくの邪魔をするんだ!」
『浅ましいな。いくら道化の化粧を塗り重ねても、この男の本性はこんなものだ。大層な御託を掲げて、見せかけの信仰に酔う』
 一歩、伊織介が踏み出す。身体の内側で、ル=ウが吠えていた。
『大仰な思想も、誇大な儀式も、この男にとっては全部が演出だ。見るに堪えない』
 もう一歩。右腰に生えた尾が唸り、黒い右腕が蠢動している。伊織介の身体に混じった、ル=ウの部分が怒りに燃えている。
『こんな男に、母は――! わたしは――!!』
 踏み込んだ。
 間合いだった。右腕を伸ばして、その首を――。

「ひっ、いやだぁぁぁぁぁ!」

 悲鳴と同時に、閃光が走る。伊織介の足が止まる。
 神父の頭上に(・・・)魔法陣が煌めいていた。それは宙空に開いた真っ黒な〝門〟に、蓋をするように重なり合う。

「ちくしょお……ぼくは負けない。負けられない。世界がぼくを待っているんだ……ッ!」
 情けなく床にへばりつきながら、神父は指先で呪を刻んでいた。
 何をする気かわからないが、みすみす見逃すほどル=ウは甘くない。
『させるものか!』
「ごめんね、神様。ぼくのこと、もう少し待ってて」
 再びの突進は、しかし即座に阻まれる。巨大な質量が、伊織介の身体を跳ね飛ばした。
 
「勿体ない。なんて勿体ない――だが、ぼくは負けない。そう、何度だって耐えてきた。ぼくは何度でも耐えられる」

 弾かれた伊織介が、何度か転がりながらかろうじて塔の縁に齧りついた。塔は既に数百メートルの高さに達している。落ちればただではすまない。
「ルウ、これは」
『分かってる。おそらく〝門〟への魔力供給を転用したんだ』

 見れば、塔の床から神父を囲むように幾本かの柱が生えていた。
 巨木のような太さ、赤々とした鱗、そしてその先端には、巨大な人面が備わっている。
 神父の顔だった。

「負けない。だって、ぼくは、愛されているから!」
 立ち上がった神父が、感極まった様子で点を仰いだ。その姿勢のまま、床にずぶずぶと沈み込んでいく。
 神父の身体がすっかり塔に呑み込まれると、人面の柱もまたその数を増やす。
 
 五本、六本、七本――いずれもが、先端に神父の顔を備えている。
 しかしその額には角があり、その口には牙があり、七つの顔それぞれに酷薄な笑みが張り付いている。

 それは、赤い竜の首だった。

(((天国行きは中止だ。ぼくの敵、ラサリナ! まずはきみを排除する)))

 声ともいえない声が、七つ重なって咆哮する。
 七つ首の赤竜。獣の数字(666)の具現。最後の聖典に記された、〝黙示録の獣(セリオン)〟の姿だった。


     * * *


 七本の首が、互いに絡み合いながら襲いかかってくる。

『とんでもないモノを喚び出したものだ。だが』

 剣のような牙を鳴らして大口を開けた一本を屈んで躱しながら、伊織介が首の根本に滑り込んだ。
 ――食らいつく。赤竜の首に胴はなく、塔から直接生えている。黒化した右腕を、その塔との接続部にねじ込んだ。

(((ぎっ――!)))

 七つの首が同時に呻く。直後、伊織介の右腕が爆発。首の一本が千切れ飛ぶ。

『いくら黙示録の獣でも、豊穣の権能には抗えまい』

 右腕を引き抜いた伊織介の掌に、細く鋭いトゲのようなものが生えていた。
 金枝(ミスルトゥ)の根。生命の杭。打ち込んだその根は、敵の内部で繁殖し、豊穣し、そして腐り落ちる。千切れ飛んだ首の一本は一瞬、苔と蔦、花と果実の色彩で彩られ、次いで真っ黒に腐り爛れる。

((((異端の女神の力など!)))
 残り六本が、伊織介を取り囲むようにしなる。
 ぐっ、と拳を引くと、掌に次の〝根〟が装填された。
 竜の首が四方から大口を開けて迫る。うち一本に狙いを定め、ぞろりと生えた牙に向かって伊織介が突っ込んだ。
『イオリ、避け――』
「無理です。攻めます」
 戦い方は分かっていた。うまいやり方とはいえないが、今はこれが一番ましなやり方。
 伊織介が大口に呑み込まれる。鋭い牙で胴を刺し貫かれながら、伊織介は右の拳を口内に押し当てた。〝根〟が打ち込まれて、ぼん! と手品のように竜の首が花束に変わる。

 神父の五つ顔が苦悶に歪み、五つの首がのたうち回った。再び弾き飛ばされて、しかし伊織介は尾を足のように使って踏みとどまる。
 骨まで裂かれた肩口が、血泡を噴きながら再生した。痛みに意識が飛びかけるが、致命傷には程遠い。
「あと、五本……!」
 握る。再装填。
 
 叩きつけられ、引き裂かれながらも距離を詰める。拳を押し当てる。ぼん。敵の首が緑に染まって、腐れ落ちる。
『い、イオリ……』 
 ル=ウの声に不安が滲んだ。いくらハイヌウェレの尾が活性化していても、さすがに相手は伝承の獣。その牙による裂傷は呪いのように伊織介の身体を蝕んでいた。臓腑を灼かれるような痛みが走り、伊織介の眼から、鼻から血が流れ出す。
『イオリ、あまり無茶は』
 無視。突撃。被弾。〝根〟を撃ち込む。
 気の狂いそうな痛み――おそらくは実際に正気を蝕む類の呪い――を喰らいながら、前に進む。
 残り四本。

「ルウ。僕は」
 再装填。 
「たぶん今、昂揚(テンション)がクソ上がっちゃってます」
 突撃。

 うまいやり方とはいえないだろう。同化しているル=ウだって痛いのかもしれない。
 だが、これがル=ウの下僕としての正しい方法だと思う。どれほど傷ついても、必ずル=ウは癒やしてくれる。

「ぐっ……!」
 赤竜の角を受ける。脇腹が抉れる。
 だが傷口が増えるほどに、痛みが増すほどに、口角が上がるのを抑えられない。

((((もう、死ねよぉ!!)))

 悲鳴じみた神父の声。傷だらけ穴だらけ、全身を赤と黒に染めて笑う伊織介の姿は、なるほど赤竜などよりよほど不気味だろう。
「痛い」
 痛い痛い痛い痛い。
 だが、痛みこそ賛美だった。呪詛が肯定で、傷は証拠。
 それら全部が、ル=ウに対する忠義の実証だ。

 己を打ち付ける赤竜の首を抱え込むようにして、深く、深く〝根〟を撃ち込む。文字通りの散華。残り三本。

『イオリ――おまえは、なんでそんなに』
 血を吐いた伊織介は、しかし倒れない。拳を握り、敵に向かって笑う。
「なんで? なんでって」
 突撃。激突。
 右腰から生えた奇形の尾は便利だった。倒れそうな時に、いつだってこの身を支えてくれる。
「あなたは、奴隷なんかのために危険を冒してここまで来てくれました」
 接触。撃ち込む――爆裂する。
『それは、お前が切り札だったからで』
「では何故、僕に逃げろと言ったのです」
 残り二本。再装填。
『だって、お前は、私の所有物で……』
「では何故、僕の鎖を外すのです」
『だって、だって』
「素直じゃない人ですね。そんなルウだから」

 誰にも必要とされなかった僕を、必要としてくれた。
 理由なんて、それくらいで充分だ。

 これくらいにしてあげよう。
 この可哀想な魔女こそ、僕が仕えるべき主だ。
 父親を殺さねばその哀れな人生が報われないというのならば、僕が代わって殺してやろう。

「放っておけないん()よ!」

 〝根〟が炸裂する。花弁が舞う。赤竜の首はもう一本しか残ってはいない。

(((666だぞ――最後の獣だぞ!?)))
 最後の首、その頭部に張り付いた神父の顔が怒りに震えていた。
(((このぼくが。このぼくが、負ける訳がないんだ!)))

 床が、割れた。
『なっ――!』
 否、床などというものではなかった。
 塔自体が、縦に二つに割れていた。あまりに巨大で実感が掴めないが、しかし塔先端が大顎のように開いている。
 当然、足場を失った伊織介が落下する。

((( はは、もういい! ぜんぶまとめて、異界に飲まれて死んでしまえ!)))

 それは〝塔〟などではなかった。
 細く、長く、歪に直立した、醜くも巨大な竜の身。
 その大顎がばくん、と閉じて、伊織介を呑み込んだ。
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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