6-7. 人類ぜったい殺すマン
文字数 3,497文字
語りがてら、大太刀を一閃。一度、二度、三度。
その背負い太刀は六尺にも届こうかという長物だ。いかな怪力の主といえども、まともな人間に出来る業ではないことは明らかだった。
「でもさあ、俺ァ、もっと、
飄々とした口調、まるで草刈り鎌でも振り回すように粗雑に刃が乱れ飛ぶ。
太刀筋は雑に見えて、しかし僅かにも掠めようものなら手足が飛ぶような剣圧。まるで草でも刈るように人の首すら落とす剣閃だった。
「それを教えてくれたのはアンタらさ。尾っぽ付きのミスター・イオリノスケとやりあった時にさあ、思ったのよお。イイなあって」
嵐のような打ち込みが一段落すると、おまけで断ち切られた周囲の床や壁から血飛沫が舞う。
紙一重で躱し、どうにか逸らしてフザの猛撃を捌き切ったリズの額に玉の汗が浮かんだ。
「とんだ化物になったもんだ……ね!」
言って、両手剣を握り直すリズ。
もちろん、そこまで含めての
リズが手を触れる必要すらない。〝
が、それは既に
「ひゅう! 手品だ」
上体をぐわんと逸らして、弾道を躱す。その反動で、フザは大上段から大太刀を叩きつける。
「っ!」
呻いて、大きく後退するリズ。今度のはフェイント抜きの、本当の意味での後退だ。
「いひ! まったく!」
フザの巨大な左目が、右の視線からは独立してぎょろぎょろと周りを睨め回す。
「ずるいよなあ。うらやましいよなあ。アンタらさあ、ずっとこンな気持ちイイことしてたんだなあ……」
肉の床を深々と切り裂いた刃をゆったりと引き抜きながら、フザは空いた片手で己の左面を愛おしげに撫でた。
その左眼は、もともとフランの〝シェオルの十字〟に備わっていた筈のもの。
フランの託宣能力を支える、予言の魔眼だった。
「〝神父〟殿にコイツをぶちこまれた時ァ、人生最悪の気分だったがなあ。なんだ、なってみりゃあ悪くねえ、悪くねえ。よォーーく見えるなア、
己の腕にべろりと舌を這わせて、フザが左目を細めた。
左目の殺意と、右の魔眼。二つの視線が重なってリズを射すくめる。
「混ぜるにしても趣味が悪いよ、まったく……ッ!」
両手剣を持つ手が痺れる。リズの身体が軋んでいる。恐怖からではない。
ここは〝神父〟の儀式場だ。であれば、彼女の半身に流れる
「ああもう! こんなに最悪なのは、
リズの負担は並大抵のものでは無かった。剣の柄は汗にぐっしょりと濡れ、気を抜けば膝が笑い出す。幾重にも重ねた派手な衣装のおかげで外からは分からなくとも、とうの昔に失禁している。
だが、立っているだけマシだった。フランはもっと酷い。
「げえっ……げほ、がほ、がはっ……!」
リズの背後で、身体をくの字に折ったフランが床に胃液を吐いていた。半ば白目を剥いて、血泡を吹きながら痙攣している。美しい金髪すら涎で汚し、情けなくのたうち回るその様は、哀れを通り越して滑稽だった。
フザにやられた訳ではない。突然苦しみだして、倒れたのだ。
「いひハハハ……美人が形無しだ、ひどいもんだな。だが、こればっかりゃア、お嬢ちゃんたちが甘いよ。あの〝神父〟殿がよ、何も手を打たずに人質を返すと思うかい?」
フザは己の腹を叩いて見せる。
「奴隷用の虫だァな。俺の腹にもたぶん入ってる。逃げたり逆らったりすると、腹ん中で暴れて
リズが舌打ちで答える。フザの言う通りだった。おそらく、フランが〝神父〟に一度囚われた際に仕込まれたのだろう。
持ち上げた大太刀を、フザが徐ろに肩に背負い直した。まるで隙だらけの脱力した姿勢だが、尚もフザの巨大な右眼はぎょろぎょろと忙しなく視線を彷徨わせる。
その魔眼が捉えるものは、因果の糸――すなわち、今のフザには未来が〝視える〟。
卓越した剣技に、人間離れした怪力。加えて、極めて近い未来に限定されているとはいえ、未来視まで備えたフザは、字義通り〝人間を辞め〟ていた。
「ああ、ああ……女子供をやるのは趣味じゃあねンだがなあ。しようがねえよなあ、これも仕事だ」
へらへらとフザが笑い、大太刀を肩に弄びながら無遠慮に一歩を踏み出す。
打つ手がない。リズが後ずさる。
「しようがねえ、しようがねえよう……いひひ、仕事だからなあ。しようがねえ」
下卑た笑いを貼り付けたフザの口が、大きく裂けた。耳元までぱっくりと大顎を開いて、ぞろりと生え揃った長い牙を覗かせる。言葉にあわせて、 蛇のように長い舌が揺れていた。
「……お前、何と混ざった?」
床に伏せるフランを庇うようにリズが立ち塞がる。
「そんなの知らねえよう。俺ぁ、言われた通りにやるだけだあ。それが仕事ってモンだ。それにしても」
フザの身体が、めりめりと音を立てて変化していく。
手足が奇妙に伸び、猿のような前傾姿勢に。全身に巻かれた包帯が千切れて、殆ど半裸に近い格好になる。不自然に巨大な右眼は尚もぎらぎらと輝きを増し、まるで一ツ眼の巨人のようにも見える。
「――腹ァ、減ったなあ」
巨大な口から涎を垂らすその姿は、〝人喰い鬼〟そのものだった。
* * *
「父上」
「やあ愛しいラサリナ」
「殺す」
「ご機嫌みたいでなによりだ」
肩で息をするル=ウを、〝神父〟――ウィリアム・フィッツジェラルドは満面の笑みで出迎えた。
「今からぼく、神さまに選ばれてくるところなんだ。ラサリナはそこで見てていいよ」
高く高く成長した肉の塔は、今や雲を突かんばかりに聳えている。夜空に映る雲間の月明かり、その光に手を伸ばせば届きそうに思えるほど。神の座に近づくための祭壇としては、なるほど相応しい高みではあった。
「ちゃんと席も用意したんだ。
殺風景な肉の床に、伊織介の身体が埋まっている。
半ばまで取り込まれた伊織介は、俯いてぴくりとも動かない。
「ふ、ざ、けるな」
片腕を失い、右の眼窩から涙のように血を流した伊織介。
ル=ウが、戦慄いた。
「――アアアアアアアアアアアッ!!」
獣じみた唸りを上げて。ル=ウの色彩が反転する。
暗闇を映したが如き黒髪は、毛先から銀色に。底知れぬ深海色の瞳は、月のように煌めく金色に。
そして陶磁器のように白い肌が、赤黒い闇に染まっていく。
「ぜっ! たいに! 殺す!!」
ふわり、と外套がひらめいて、その下の闇が溢れ出した。
* * *
〝ゲルガシ〟という名の伝承がある。
それは、森に潜む猛獣の化身であったかもしれない。言葉の通じぬ異民族の象徴だったのかもしれない。
あるいはもっと抽象的な――暗闇。病。災害。飢饉。人の理の外にある、人を罰し、害するモノ。そうした何かの働きだったのかもしれない。
その正体は誰も知らない。起源も、由来も分からない。
分からないが、〝ゲルガシ〟はとにかく、
曰く、ゲルガシは巨大な牙を持つ。
曰く、ゲルガシは叫びで城壁を砕く。
曰く、ゲルガシは人を罠に誘い込む。
曰く、ゲルガシは好んで人を食らう。
何せ、ゲルガシは「人を殺す専用の刃」まで持つというのだから筋金入りだ。
だからそいつは、そういうモノ。人の抱く恐怖と悪意の具現。ただとにかく人を殺すことに特化したなにか。
〝神父〟がフザに
だから当然、フザは能く能く人を殺す。実に実に、素材の味を活かした調理だった。