3-3. ぶっちゃけだいたいヤクザの抗争

文字数 3,023文字

魔女団(カヴン)に対する前金である」

 どかっ、と麻の袋が士官室(ワードルーム)の机に叩きつけられる。

「ソヴリン金貨で200ポンドである。……請けるか?」
 リチャードソンが麻袋を逆さまに持ち上げる――中からじゃらじゃらと音を立てて流れ落ちるのは、眩いばかりの金貨の山。
「にっ……にひゃくポンドですの!?」
 フランセットが目を剥いた。東インドには多彩な国の多様な貨幣が流通しているが、中でもソヴリン金貨はほぼ純金製(・・・・・)の逸品。織介にはピンとこない話だが、それが200枚とくれば、相当な大金である。

 金貨1枚で一ヶ月は遊んで暮らせる。金貨20枚で奴隷が買える。貴族や役人が丸一年稼いでようやく得られるのが金貨100枚。金貨200枚は、目の回るような値段だった。

 前金だけで、これである。であれば、成功報酬は……想像を絶する金額に上ることは間違いない。
 ル=ウの眼の色が変わる。ついさっきまでリチャードソンに怒られて小さくなっていた背筋がしゃんと伸びる。魔女団(カヴン)の長としての顔つきに変わる。

「ね――ねぇ、貴女(ル=ウ)? 請けますわよね? 請けましょうよ! 請けるべきですわ!」
 フランがル=ウの肩を掴んで激しく揺すった。実に迷惑そうな顔で、ル=ウはフランを押しのける。
「うるさい、落ち着け金の亡者(フラン)。これだけの金額が出るということは、ヤバ(・・)い仕事に間違いない」

「で、あるな。目的地はバンタム」
 リチャードソンが、机上の海図を指差して言った。マスリパトナムから東、風にもよるが、船で一ヶ月弱ほどの距離にある小さな島だ。バンタムといえば、現在、英国(イングランド)東インド会社とオランダの争いの最前線である。
「なるほど、話が見えたな。会社(おまえたち)は、魔女団(うち)に火中の栗拾いをさせたいわけだ」
「相違ない。会社は、マルク諸島海域からの撤退を決定した。こちら(イングランド)の船がもう何隻も沈められておる。悔しいが、バンダの海はもはやオランダのものである」
 リチャードソンの言葉は真実だった。豊かな香辛料の産出地であるマルク諸島は、手段を問わないオランダの残虐な侵略によって席巻されつつある。
「島民の虐殺。奴隷化。村々を焼き払い、奴ら(オランダ)はその上に城塞を築いておる。英国(イングランド)人も多数が犠牲になった。実に野蛮なやり方である」

「――つまり。負け戦の蹂躙現場に飛び込めと? そこまでして、会社(おまえら)は何が欲しいんだ」
「……とある神父の追跡である。アイルランド人だ」
 苦々しい表情で、リチャードソンが吐き捨てる。
「神父さま、ですの? なんで今さら?」
 フランが事情を飲み込めぬ顔をした。血腥い抗争の舞台に、神父の存在はそぐわない。おまけに英国もオランダも今や新教徒(プロテスタント)の国だ。旧教(カトリック)の神父とは、いかにも胡乱な話だった。

「恥ずかしい話であるが……上層部(ロンドン)が、その神父に騙された。会社の金を持ち逃げされたのである。あまつさえ神父はその金でオランダ側に寝返り、今やバタヴィア城から英国人狩りの指揮を取っておる」

「く――」
 その言葉を聞いて、ル=ウは、
「く、くく……あっはっはっはっは! 愉快、愉快だなリチャードソン! こんなに皮肉なことは無い! くくくあははははは!」
 机を叩き、腰を曲げて嗤っていた。
会社(おまえたち)魔女団(うち)に何を頼むかと思えば――社の面子を潰した仇の制裁か! おまけに情勢は負け戦、正面からではどうにもいかなくなり、魔女団(うち)に白羽の矢が立った訳か! とんだお笑い草だな、この悪党ども(・・・・・・)め」

 ようやく、伊織介にも話が見えてきた。
 要するに、会社はル=ウを使って、暗殺がしたいのだ。呪いでも魔術でもなんでも使って、絶対に会社を謀った詐欺師を潰したい。報復したい――ということだろう。

(本当にやることが悪党そのものだな)

 そして今や、伊織介はその悪党の末端に位置する。

「相応に危険な航海になる。請けるかね?」
 リチャードソンが再三、片眉を吊り上げた。肉食獣を思わせる大きな目玉が、じっとル=ウを見詰めている。
「狸め。私貿易で財を成し、賄賂を使って成り上がり、謀略で敵を蹴落としてきた艦長(リチャードソン)殿が、勝算の無い賭けをする筈がない」
 腰に手を当てて、ル=ウは真っ直ぐリチャードソンの視線を受け止めた。

 そう、会社と魔女団(カヴン)は共犯関係。利益と損得勘定で繋がった、悪人と悪人の同盟である。であれば、ル=ウの回答は決まっていた。

「この仕事……魔女団(カヴン)が承った!」


 ――ちなみに。

 話がまとまった後、フランには尻百叩きの制裁が下された。

 前金の金貨のうち、数枚を服の下にこっそり隠していたのを、ル=ウは見逃さなかったのである。

 刑の執行は、伊織介の手によって行われた。

「四十八……四十九……五十……っ!」
 べちん。べちん。べちん。伊織介が素手でフランの生尻を叩く。
「あひんっ! あアンっ! おほぉぉっ!」
 痛がってるんだか何なんだか分からない声が、士官室(ワードルーム)に響く。

 百叩きはフランの尻が熟した桃のように真っ赤になるまで続いた。伊織介の掌も真っ赤になって、とても辛い仕事だった。

(奴隷として初めて任された、(いくさ)以外の仕事がこれって……ちょっと……)

 あんまりにもあんまりな初仕事に、伊織介は意気消沈するのだった。


    * * *


 英国(イングランド)東インド会社は、会社(・・)を名乗っているが、その実態は一般的な商組織とは少々異なる。独自の軍事力を持ち、艦隊を所持し、兵員を雇っている。

 有り体に言って、東インド会社はヤクザである。東インドの利益を独占する権利と特許を女王(エリザベス)直々に賜った、国公認のヤクザである。血腥い陰謀を張り巡らせ、ときには大砲をちらつかせながら、東洋における香辛料貿易で莫大な利益を上げてきた。

 加えて厄介なことに、東インドにはもう一つ、会社がある。それはVOC――オランダ(・・・・)(Vereenigde)インド(Oostindische)会社(Compagnie)だ。

 英国(イングランド)東インド会社が公認(・・)ヤクザならば、オランダ東インド会社は国営(・・)ヤクザである。新興国オランダ(ネーデルラント連邦共和国)は、今や経済によって世界を支配しようとする、極めて野心的な国家だ。その経済的尖兵として、香辛料貿易を独占するために国費を投じて作られたのが、オランダ東インド会社の実態である。その資本金は約650万ギルダー……英国東インド会社の実に十倍の財力を以て設立された。

 遠く西欧(ヨーロッパ)の地では、英国(イングランド)とオランダは同盟国である。

 しかし東インドの海では、英国(イングランド)東インド会社とオランダ東インド会社が、血みどろの抗争を繰り広げている。

 公認ヤクザ(イングランド)と、国営ヤクザ(オランダ)の争い――代理戦争の様相すら呈するこの東インド会社同士の戦いは、徐々にオランダ側優位に傾いていた。
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登場人物紹介

伊織介

日本人奴隷。武家の出。宣教師に騙されて、奴隷としてオランダに売却されるが、初陣で死亡。次に目覚めた時は、魔女の奴隷となっていた。


穏やかそうに見えて、少々こじらせており危なっかしい性格。その正体は、魔女ル=ウの自律型魔術兵装。

ル=ウ

本名:ラサリナ=ユーフロシン・フィッツジェラルド。英国出身。強欲にして傲慢、悪辣かつ傍若無人な魔女。殖肉魔法の使い手。性格が悪いので友達が居らず、実は極度の寂しがり屋。ドヤ顔裸マントだが魔女団の中では相対的にまともなのでトップの座に収まっている。

フラン

本名:フランセット・ド・ラ・ヴァレット。フランス出身。予言と占いを生業とする解呪師《カニングフォーク》。金にがめつい生臭シスターで、相棒はキモい眼球付きの十字架。趣味はアナル開発。

リズ

本名:リーゼル・マルクアルト。ドイツ出身。妖精の血を引く白魔女《ヴァイスヘクセ》。剣術や銃の扱いから医療の心得まである器用な傭兵。仕事は真面目に取り組むが、私生活では酒とアヘンと愛する放蕩者。放尿しながらストリーキングする癖がある。

リチャードソン

本名:リチャード・A・リチャードソン。ビール腹、髭面の四十代。東インド会社所属の商人であり、同時に帆船メリメント号の艦長。魔女団の後盾兼共犯者として、莫大な利益を上げている。一見気さくな趣味人だが、密貿易と賄賂で現在の地位に成り上がった、油断のならない大男。

フザ

本名:志佐付左衛門=アルフォンソ。傭兵。隻眼、身長2メートル弱の偉丈夫。スペイン人とのハーフ。死生観の崩壊したヤバい人。

メリメント号

魔女団の艦。350トン、砲数14門の軽ガレオン。東インド会社の船でありながら、リチャードソンが横領して魔女団の活動に役立てている。艦齢は20年を数える老婦人だが、小回りに優れる歴戦の勇士。

グリフィズ卿

本名:ルウェリン・アプ・グリフィズ。英国生まれの猫水夫。魔女の使い魔とかでもなんでもない、ただの猫。鼠狩りを職務とし、船の食料を守る。艦長に継ぐ役職(主席士官)の席を与えられており、船員たちの尊敬を集めている。

神父

アイルランド人。英国東インド会社を騙し、大金を奪ってオランダ側に付く。その首には莫大な懸賞金がかけられている。英国ぜったい滅ぼすマン。

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