ティーパーティー(3)

文字数 2,497文字

「あら、そうなの。動物はキライ?」

「いえ、そういうわけじゃ・・」

「まぁ、かわいいけど世話があるからね、動物は。お母さんも忙しそうだしね。」

 「忙しい」これは母のきまり文句だ。忙しいからできない・・・忙しいのにやってる・・・忙しくてもやらなければならない・・・この言葉が出てくると何も言えなくなる。美緋絽の大嫌いな言葉だった。

「忙しいとペットって飼えないのかな。」

美緋絽がふとつぶやいた。

「そんなことないと思うけどね。でも、気持ちだから。忙しいから世話ができない、だから飼えない、と思ったら飼えないんじゃないかな。」

「あの・・えっと・・比良さんは・・」

「あ、マユミでいいわよ。お友達はみんなそう呼ぶから。」

「でも、友達っていうか・・」

「友達はだめ?今日初めて話したおばさんと友達は無理?」

いつものひとなつっこそうな笑顔でどんどんたたみかけてくる様子にも、やはり嫌な気持ちにはならなかった。

「マユミ・・さん。」

美緋絽の言葉ににっこりと満足げな笑みを浮かべ、彼女は「何?」と言うようにゆっくりうなずいた。

「マユミさんはペット飼ってるの?」

「うん、いるよ。庭にね、あの玄関の奥のゴールドクレストのところに大きなコガネグモがね。」

「ええっ!クモ!」

「あははは、ま、ペットてわけにはいかないかな。でもね、毎日水遣りしてるとね、いろんな様子が見えてね、なんだか親近感湧いてくるのよ。間違えてくもの巣に水かけちゃったりすると、さーってあわてて避難するの。それからしばらくしてどうしたかな、て見に行って巣の真ん中にどうどうと陣取ってる姿を見たらちょっとホッとして『よかった~』なんて思ったり。あ、私、決してクモが好きなわけじゃないのよ。むしろ苦手。虫とか大っ嫌いだから!」

目をまるくしている美緋絽にマユミは自分の顔の前で大きな身振りで手を大きく振ってみせた。

「ここに引っ越してくる1年ほど前にね、飼っていたネコが死んだの。それで今は特にペットていうのは飼ってないんだけど、また飼おうかなーて思ってるところよ。」

マユミは一息つくように紅茶を飲んだ。

「ネコか。」

ひとりごとのように言った美緋絽をちらっと見たマユミは、今度はゆっくりとした静かな口調で話始めた。

「私ね、子供の頃に犬を飼っていたの。親にずっと飼いたい、て言い続けて・・何年目くらいだったかな?やっと飼ってもらったの。いっぱい約束させられたのよ、犬の世話はちゃんとするって。近所で生まれた雑種のオスだったわ。全体的には黒くておなかから下が白かったけど、ほら、雑種でしょ?白いところにも黒い毛がブチみたいに混じっていてお世辞にもきれいな感じじゃなかったわね。おまけにヒゲはくねくねまがっていてなんとも情けない感じの犬だった。私、本当はコリーが欲しかったの。でもね、近所で生まれて三千円の菓子折り持ってもらってきたこの犬がすごーくうれしかったの。パッと見はイマイチだったけど目はとても美しかった。それにね、この犬とっても賢かったの。お手や伏せ、待てなんかは当たり前でそのほかにもいろんな芸を覚えたし、洗濯物が落ちたりしたら知らせてくれたり、庭に来るノラ猫やヘビなんかも追い払ってくれるし、一度なんか火事になりかけたときに教えてくれたのよ。すごいでしょ?私、いろんな芸を教えたりしてすごくかわいがったけど、結局世話はあんまりしなかった。そのうち大学に行くのに家を出たからほとんど母が面倒みていたわね。」

「お母さんに何か言われなかった?」

「言われたわよ!ちゃんと散歩に行きなさい、とかエサをやりなさい、とか。でも、毎日のことでしょ?なかなかねー子供だったから。」

「それでどうしたの?」

「別に、どうもしなかった。一度飼ってしまったら捨てるわけにはいかないからね。結局誰かが面倒をみることになるの。そういうものよ。それに、母はなんだかんだ言って最終的にすごくかわいがっていたわ。最初は犬に触れなかったのに!」

「犬に触れなかったの?」

「ええそうよ。なんか気持ち悪かったんだって。生温かくてクネッとした感触が!それがいいのにねー、人っていろいろなのよ。」

美緋絽にはにわかには信じがたい話だった。触れないのに飼うなんて。しかも世話をするなんて。

「でもね、飼ってよかった、て母言っていたわ。やっぱり気持ちなのよ。」

美緋絽は、マユミは幸せな人なんだと思った。やさしくてあたたかい母親に育てられて、いろんなことに満たされて、今も毎日を満喫している。そう思うと自分の心が少し翳るのを感じた。

「飼ったもの勝ちなのよ、ペットは。世話は確かにあるけどそれ以上のものをくれるわ。
そう・・もしこだわりがなければ犬よりネコをおすすめするわ。ネコはほんとうに手がかからないから。思い切って飼ってみたらいいと思うわよ。」

(何を勝手なことを。)

美緋絽はムッとしていた。

(うちのことも知らないで、何にもわからないくせに自分とみんなが同じだと思わないでよ!)

心の中に黒い雲が湧いて急速に広がっていくのを感じた。次の瞬間、美緋絽は立ち上がっていた。

「ヒロちゃん?」

美緋絽はもうすぐお昼だから、というマユミの言葉が聞こえたような気がした。が、その後は何も耳に入ってこなかった。
 気がつくと、じっとりと背中を流れる汗を感じた。窓を閉め切ったリビングのソファーに座っている自分がいた。美緋絽はそのまま二階へ上がった。自分の部屋のドアを開けるとさぁーっと一気に風が押し寄せてきた。開け放した窓のカーテンが大きくふくらんで青い空が目に映った。全身の熱が急激に冷やされていった。
 マユミの家のベランダに干されていたパッチワークの敷物がはためいていた。視線を下に移すとさっきまで自分がいた縁側が見えた。マユミがティーパーティの花柄のテーブルクロスをたたんでいるところだった。
 一瞬、美緋絽は自分がどうしてここにいるのかわからなかった。自分が何に腹を立て、いら立っていたのか今はとても曖昧だった。かわいらしいティーカップから香る紅茶と表面のカリッとした甘いマドレーヌの味が生々しくよみがえってきた。そして激しく落ち込んだ。


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