台風(5)
文字数 3,051文字
「あの・・マユミさんは・・どんな子どもだったんですか?」
ひどく意外だったのだろうか。一瞬、珍しくマユミはたじろいだ様子になったがすぐにいつもの笑顔にもどり
「ねえ、ヒロちゃんは何が好き?大人になったらなりたいものとか、こんなことをしてみたい、とか。」
「・・・いえ、特にはありません。よくわからない、ていうか・・・」
「特別なことじゃなくてもいいのよ。マンガを描くのが好きとか歌をうたうのが好きとかそんな感じで。」
「・・・」
困った様子で口ごもる美緋絽にマユミは静かに微笑んだ。
「私ね、昔話が好きだったのよ。」
ゆっくりと団扇をあおぐ手を休めることなく言った。
「昔々大昔、神様のいるような時代から人の営みがあって。テレビも電話もないような時代にも、今の私達と変わらず恋をしたり友との絆があったり強い母の愛があったり。こんなふうに言うと何だか話が難しくなっちゃいそうだけど、つまりそんな人々の姿が見える昔話が大好きだったの。」
美緋絽が返事に困っていると
「なんか説明するのって難しいね。」
一瞬宙を見つめて考えたマユミだったが、面倒臭くなったのかすぐにあきらめて
「まぁ理由とかうまく言えないけど、雅な世界に思いをはせるような女の子だったわけ。」
と急に話をまとめた。
「でね、雅というのとはちょっと違うけど私の祖父母の家は農家でね、それは古くて大きな家だったの。私が幼稚園くらいまでは囲炉裏があって土間があって、天井も大きくて太い梁がむき出しになっているような家だったの。」
「
「ああ、そうね。知らないわよね。家の床の一部が畳や板張りになっていなくて土をたたいて固めてあって、農機具の手入れをしたり、雨や雪の日の作業場にも使っていたところよ。」
わかるような、わからないような複雑な表情を浮かべていた美緋絽にはおかまいなくマユミは話を続けた。
「私の記憶にあるのは、土間で煮た豆をつぶして味噌の仕込みをしたこと。なんでそのことだけ覚えているのかしら。」
ククク、とマユミはまるで1人でいるときのように楽しそうに笑った。一方美緋絽は味噌を家で作るということに目を丸くした。
「とにかく古い家でね。なんでも、元々建っていた何百メートルか離れたところから移築したらしいの。」
「移築・・」
またしても驚くような言葉に美緋絽は茫然とした。
(家って移せるの?)
確かに建物を別の場所にもってきたということを聞いたことはある。でもそれはすごく有名な建物とか、歴史上重要な建築物とか。普通の民家を移すなんてことがあるのだろうか。そんな美緋絽を気にすることもなくマユミはさらに話続けた。
「つまり、もう100年以上もたっているような古い古い家だったの。部屋は大小あわせて十ほどあったし、柱や板の間 の板、引き戸には漆が塗られていてね。本当に古い大きな家だった・・」
つぶやいたマユミの目は記憶を手繰るように遠くを見つめていた。
「そんな家だったから、家にまつわる伝説話があったの。」
伝説話という言葉に美緋絽の好奇心が動いた。「まつわる」という言葉も、なにか謎めいたものを感じさせ興味がわいた。
「その家では昔から12月の終わり頃餅つきをする習わしがあったの。私もね、小学生の頃まで手伝ってやっていたのよ。早朝、そう、まだ暗い四時くらいからかまどに大きな羽釜を乗せてぐらぐらお湯を沸かしてね、その上にセイロを乗せてもち米を蒸すの。
臼と杵でお餅つきをするのよ。親戚が集まってそれぞれの家の分の餅をつくから、何臼もつくの。だから終わるのはいつもお昼頃。結構大変だったけど、つきたてのお餅はそりゃあ美味しくてね。あんこやおろし大根で食べるのがもう最高だったわ。」
口元に笑みを浮かべてマユミは確認するようにうなずいた。一瞬の沈黙の後、マユミは話始めた。
「いつの時代の頃のことか定かではないけれど・・年の暮れも押し迫ったある雪の日、例年のように餅かちをしていたそうよ。その地方ではもちつきのことを[もちかち]と言っていたよ。」
ろうそくのゆらめく炎の影がマユミの顔に不思議な陰影を作っていた。
「前日から道具やもち米の準備をして、当日も早朝から始まるもちつき。それはなかなか大変な年末の作業。だからいつもみんなで協力して作業を進めていたんでしょうね。その年のもちかちの日は雪がひどく降っていて、とても凍える日だったそうよ。
みんなで作業を始めたとき、1人の旅のお坊さんがやってきたの。長い旅をしてきたのか、かなり衰弱していてたどり着いたその家でそのまま床についてしまった。そしてお坊さんは、餅つきをしていることを知ると
『もちが食べたい・・ひとくちでいいから・・もちを食べてから死にたい・・』
と虫の息の中、つぶやいていたそうよ。家人はもちを食べさせようと一生懸命にもちつきの作業をしたのだけれど、とうとうもちがつきあがるのには間に合わず、お坊さんは亡くなってしまったの。そのお坊さんは1羽のうぐいすを連れていたのだけど、飼い主が亡くなってしまったので家人は少し暖かくなるとうぐいすを放してやったそうなの。
やがて庭の梅の木がひとつ、ふたつと花をつけ始めると、どこからか1羽のうぐいすがやってきて梅の木にとまり、美しい声で
『はよ~もちかてと』(早くもちをついてください)
と鳴いたそうよ。それを聞いた家人はそのうぐいすがあのお坊さんの連れていたうぐいすだと思ったんですって。それから毎年この梅の木にうぐいすが来て『はよ~もちかてと』と鳴いたそうよ。」
ここまで話すとマユミは急に美緋絽の方を向いて、いつもの人懐っこい表情で
「祖父母の家の庭にね、梅の老木があったの。私はずっとこの木に来るうぐいすの声が聞きたくて仕方がなかったわ。『はよ~もちかてと』て鳴くのをこの耳で聞きたかったから。」
そう訴えるように言った。確かに、と美緋絽は思った。もし自分もその家に居たら、梅の木の前にずっと座っているような気がしたからだ。
「でもね、後で父から今の祖父母の家は父が生まれる前にもともとあった場所から移築したから、残念ながらうぐいすが来たのは今ある梅の木ではない、ということを知ったの。」
ああ残念、と美緋絽は思った。その様子を見てマユミもちょっと肩をすくめてみせた。
「私はこの話を父から聞いたんだけど、父は子どもの頃この話を父のおばあさんによくしてもらったそうなの。でね、そのおばあさんのうぐいすの鳴きまねが本当に上手だったんだって。今となってはせめてそのおばあさんの鳴きまねを1度聞いてみたかったな、て思うのよね。」
マユミはその話の余韻を楽しむかのように沈黙し、美緋絽もその鳴きまねを想像して目を閉じた。穏やかな空気が2人を包み、外の嵐など、もはやどうでもよくなっていた。
結局その晩停電が復旧したのは、午後11時を回った頃だった。灯りはついたが外の風雨は相変わらずだったので、マユミはリビングで泊まることになり、美緋絽は自分の部屋に引き上げた。
0時過ぎにベッドに入ったものの、マユミのしてくれたうぐいすの伝説が奇妙な印象として残り、なかなか寝付けなかった。うぐいすの話はもちろんだが、大きな古い田舎家の様子を想像したりして朝方まで眠れなかった。
ようやくうとうとした時には新聞配達のバイクの音がしていた。差し込む朝の光がまぶしくて目が覚めたとき、時刻は6時半だった。昨日、遮光カーテンを引かずに寝てしまったのだ。まだ少し風はあるものの、台風一過の青空の澄み渡った朝だった。
ひどく意外だったのだろうか。一瞬、珍しくマユミはたじろいだ様子になったがすぐにいつもの笑顔にもどり
「ねえ、ヒロちゃんは何が好き?大人になったらなりたいものとか、こんなことをしてみたい、とか。」
「・・・いえ、特にはありません。よくわからない、ていうか・・・」
「特別なことじゃなくてもいいのよ。マンガを描くのが好きとか歌をうたうのが好きとかそんな感じで。」
「・・・」
困った様子で口ごもる美緋絽にマユミは静かに微笑んだ。
「私ね、昔話が好きだったのよ。」
ゆっくりと団扇をあおぐ手を休めることなく言った。
「昔々大昔、神様のいるような時代から人の営みがあって。テレビも電話もないような時代にも、今の私達と変わらず恋をしたり友との絆があったり強い母の愛があったり。こんなふうに言うと何だか話が難しくなっちゃいそうだけど、つまりそんな人々の姿が見える昔話が大好きだったの。」
美緋絽が返事に困っていると
「なんか説明するのって難しいね。」
一瞬宙を見つめて考えたマユミだったが、面倒臭くなったのかすぐにあきらめて
「まぁ理由とかうまく言えないけど、雅な世界に思いをはせるような女の子だったわけ。」
と急に話をまとめた。
「でね、雅というのとはちょっと違うけど私の祖父母の家は農家でね、それは古くて大きな家だったの。私が幼稚園くらいまでは囲炉裏があって土間があって、天井も大きくて太い梁がむき出しになっているような家だったの。」
「
ドマ
って何ですか?」「ああ、そうね。知らないわよね。家の床の一部が畳や板張りになっていなくて土をたたいて固めてあって、農機具の手入れをしたり、雨や雪の日の作業場にも使っていたところよ。」
わかるような、わからないような複雑な表情を浮かべていた美緋絽にはおかまいなくマユミは話を続けた。
「私の記憶にあるのは、土間で煮た豆をつぶして味噌の仕込みをしたこと。なんでそのことだけ覚えているのかしら。」
ククク、とマユミはまるで1人でいるときのように楽しそうに笑った。一方美緋絽は味噌を家で作るということに目を丸くした。
「とにかく古い家でね。なんでも、元々建っていた何百メートルか離れたところから移築したらしいの。」
「移築・・」
またしても驚くような言葉に美緋絽は茫然とした。
(家って移せるの?)
確かに建物を別の場所にもってきたということを聞いたことはある。でもそれはすごく有名な建物とか、歴史上重要な建築物とか。普通の民家を移すなんてことがあるのだろうか。そんな美緋絽を気にすることもなくマユミはさらに話続けた。
「つまり、もう100年以上もたっているような古い古い家だったの。部屋は大小あわせて十ほどあったし、柱や板の
つぶやいたマユミの目は記憶を手繰るように遠くを見つめていた。
「そんな家だったから、家にまつわる伝説話があったの。」
伝説話という言葉に美緋絽の好奇心が動いた。「まつわる」という言葉も、なにか謎めいたものを感じさせ興味がわいた。
「その家では昔から12月の終わり頃餅つきをする習わしがあったの。私もね、小学生の頃まで手伝ってやっていたのよ。早朝、そう、まだ暗い四時くらいからかまどに大きな羽釜を乗せてぐらぐらお湯を沸かしてね、その上にセイロを乗せてもち米を蒸すの。
臼と杵でお餅つきをするのよ。親戚が集まってそれぞれの家の分の餅をつくから、何臼もつくの。だから終わるのはいつもお昼頃。結構大変だったけど、つきたてのお餅はそりゃあ美味しくてね。あんこやおろし大根で食べるのがもう最高だったわ。」
口元に笑みを浮かべてマユミは確認するようにうなずいた。一瞬の沈黙の後、マユミは話始めた。
「いつの時代の頃のことか定かではないけれど・・年の暮れも押し迫ったある雪の日、例年のように餅かちをしていたそうよ。その地方ではもちつきのことを[もちかち]と言っていたよ。」
ろうそくのゆらめく炎の影がマユミの顔に不思議な陰影を作っていた。
「前日から道具やもち米の準備をして、当日も早朝から始まるもちつき。それはなかなか大変な年末の作業。だからいつもみんなで協力して作業を進めていたんでしょうね。その年のもちかちの日は雪がひどく降っていて、とても凍える日だったそうよ。
みんなで作業を始めたとき、1人の旅のお坊さんがやってきたの。長い旅をしてきたのか、かなり衰弱していてたどり着いたその家でそのまま床についてしまった。そしてお坊さんは、餅つきをしていることを知ると
『もちが食べたい・・ひとくちでいいから・・もちを食べてから死にたい・・』
と虫の息の中、つぶやいていたそうよ。家人はもちを食べさせようと一生懸命にもちつきの作業をしたのだけれど、とうとうもちがつきあがるのには間に合わず、お坊さんは亡くなってしまったの。そのお坊さんは1羽のうぐいすを連れていたのだけど、飼い主が亡くなってしまったので家人は少し暖かくなるとうぐいすを放してやったそうなの。
やがて庭の梅の木がひとつ、ふたつと花をつけ始めると、どこからか1羽のうぐいすがやってきて梅の木にとまり、美しい声で
『はよ~もちかてと』(早くもちをついてください)
と鳴いたそうよ。それを聞いた家人はそのうぐいすがあのお坊さんの連れていたうぐいすだと思ったんですって。それから毎年この梅の木にうぐいすが来て『はよ~もちかてと』と鳴いたそうよ。」
ここまで話すとマユミは急に美緋絽の方を向いて、いつもの人懐っこい表情で
「祖父母の家の庭にね、梅の老木があったの。私はずっとこの木に来るうぐいすの声が聞きたくて仕方がなかったわ。『はよ~もちかてと』て鳴くのをこの耳で聞きたかったから。」
そう訴えるように言った。確かに、と美緋絽は思った。もし自分もその家に居たら、梅の木の前にずっと座っているような気がしたからだ。
「でもね、後で父から今の祖父母の家は父が生まれる前にもともとあった場所から移築したから、残念ながらうぐいすが来たのは今ある梅の木ではない、ということを知ったの。」
ああ残念、と美緋絽は思った。その様子を見てマユミもちょっと肩をすくめてみせた。
「私はこの話を父から聞いたんだけど、父は子どもの頃この話を父のおばあさんによくしてもらったそうなの。でね、そのおばあさんのうぐいすの鳴きまねが本当に上手だったんだって。今となってはせめてそのおばあさんの鳴きまねを1度聞いてみたかったな、て思うのよね。」
マユミはその話の余韻を楽しむかのように沈黙し、美緋絽もその鳴きまねを想像して目を閉じた。穏やかな空気が2人を包み、外の嵐など、もはやどうでもよくなっていた。
結局その晩停電が復旧したのは、午後11時を回った頃だった。灯りはついたが外の風雨は相変わらずだったので、マユミはリビングで泊まることになり、美緋絽は自分の部屋に引き上げた。
0時過ぎにベッドに入ったものの、マユミのしてくれたうぐいすの伝説が奇妙な印象として残り、なかなか寝付けなかった。うぐいすの話はもちろんだが、大きな古い田舎家の様子を想像したりして朝方まで眠れなかった。
ようやくうとうとした時には新聞配達のバイクの音がしていた。差し込む朝の光がまぶしくて目が覚めたとき、時刻は6時半だった。昨日、遮光カーテンを引かずに寝てしまったのだ。まだ少し風はあるものの、台風一過の青空の澄み渡った朝だった。
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