古家の住人(2)

文字数 1,956文字

 ずっと空き家だった向かいの古家に人が入ると聞いて(あおい)は喜んでいた。

「前から不用心だと思っていたのよね。見栄えも悪かったし。人が住むようになれば少しはマシになるんじゃないかしら。」

「でも、必ずしもきれいになるとは限らないんじゃないか?あの家、結構庭が広いから手入れは大変そうだ。リタイアした老夫婦とかならいいかもな。」

電話の向こうで蒼一(そういち)が言うと、

「あら、若い人がいいわ。年配の人は付き合うのが難しいから。」

 葵は新しい住人に、ものすごく期待を寄せているようだった。それもそのはずで、数年にわたって葵は向かいの住人に悩まされていた。
 美緋絽家族がここへ越してきた時、その古家には年寄り夫婦と40代くらいの娘が住んでいた。近所の人から聞いた話だと向かいの家は以前は裕福な家で、しかもおばあさんの方は家柄の良い出身らしく、娘さんもその縁で代々の医者の家に嫁いだが離婚して戻ってきたという。戻ってきてからの娘さんはほとんど家に閉じこもり、精神を病んでいるともっぱらのウワサだった。
 その娘さんが突然亡くなった。美緋絽たちが越してきて4年目のことだった。朝起きると向かいの家が騒がしく、見ると救急車やパトカーをはじめ、たくさんの人が出たり入ったりしていた。表向きは心不全ということだったが、睡眠薬を多量に飲んだ自殺だということだった。

「気味が悪いわ・・」

葵はその前の晩の深夜、風呂の湯船につかっていた時風呂場の窓の下の方から

「うっ、う・・」

という女性のうめくような声を聞いたという。恐ろしくなってあわてて風呂を飛び出すと、髪も乾かさずにベッドに飛び込んだ。そして朝ウトウトとしているとあの騒ぎだった。

「きっと、あの娘さん夜中にうちまで来ていたのよ。何か聞いてもらいたいことでもあったのかしら・・・こわいわ・・」

葵は怯えしばらく一人で眠ることができず、単身赴任で家を空けていた蒼一の代わりに美緋絽が一緒に寝ていたくらいだった。

(いつもは威勢がいいくせに。)

美緋絽はこういうことにはてんで弱腰の母親にあきれながらも、葵の気が済むまで一緒に眠った。
 それからしばらくしてやっと葵が落ち着いてきた頃、向かいのおばあさんが訪ねてきた。その節は世話になったと葬儀のときの礼を述べ、花壇の花の話などをしていたら、突然農薬を持っているかと聞かれた。葵が怪訝に思いながら持っていないと答えると

「誰かがね、私に農薬を飲ませようとしているの。いつも飲まないようにしていたのに、今朝起きて鏡を見たら唇が黒くなっていて・・・これは寝ている間に飲まされたんだ!と思って怖くて震えていたら、鏡の中に娘がいて『これはうちの農薬ではない』ていうの。だからご近所のどこかのおうちのものかも、と思って聞いてみたの。」

とボソボソと話した。葵はギョッとして

「この辺じゃあ農薬持っているおうちなんてないと思うわよ。みなさんサラリーマンだしお庭もほら、そんなに広くないでしょ?」

葵はゾッとして必死になだめた。それからそれほど頻繁ではないけれど、ひと月に一、二度くらいの割でやってきては不思議な話をして帰っていく老婦人に葵は気を滅入らせていた。そんな中娘さんに続いておじいさんが亡くなり、一人きりになったおばあさんは施設に入り、向かいの家は空き家になった。   
 これであの不気味な話に付き合わなくてもよくなると葵がホッとしたのも束の間、今度は庭の手入れをする者がいなくなった向かいの古家は荒れ放題になってしまった。台風が来るときには、何かが飛んできて自家に当たったら困ると葵は様子を見に行った。庭の木の葉が落ちて家の前の道路が汚れたり側溝がつまったりすると、そのたびに葵が後片付けをした。

「もうウンザリよ!あの家の所有者が今どうなっているのか知らないけど、さっさと取り壊しちゃえばいいのに。なんだってあんなボロ家を後生大事にとっとくわけ!」

そのたびに葵は蒼一に電話で愚痴をぶちまけていた。葵の言い分はわかるものの、激しくののしる母親の姿を美緋絽は受け入れることができなかった。あるとき美緋絽は蒼一に電話をした。

「パパ、ママのことなんだけど。大変なのはわかるけど、あそこまでヒドく言わなくてもいいんじゃない?私、見ているだけでいやな気分になる。」

「ヒロはやさしいからね。きっとつらくなるんだね。でも、結局はママがひとりで全部やっていることだから。パパは何も手伝ってあげられてないから。パパができるのはママの話を聞いてあげることくらいなんだ。ヒロがいやだと思うなら無理に聞いてあげる必要はないけど、パパは聞いてあげたいと思っているんだ。ヒロももう中学生なんだから、少しママの気持ちも理解してあげられたらパパはうれしいんだけどな。」

美緋絽はわかりたくない気分でいっぱいだった。


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