古家の住人(1)

文字数 1,500文字

 目が覚めると遮光カーテンの向こうから差し込む太陽の陽ざしで、部屋の空気はムッとしていた。ベッドから足をおろすと、床は心なしか冷たかった。美緋絽(みひろ)がフラフラと立ち上がりリビングに降りると、ちょうど壁掛け時計からは《Hey jude》がながれていた。9時だ。テーブルの上にはいかにも急いでいます、という字でメモが書かれていた。

ヒロへ
・学校連絡済
・朝食冷蔵庫
・夕方宅配便受け取り
ちゃんとご飯食べなさい
            母

 美緋絽は食品ストッカーへいき、スナック菓子を手に取った。あいかわらずだ、と思った。ストッカーには乱雑に買い置きの食品が詰め込まれていた。そしてストッカーからはみ出した食品のせいで扉は開いたままだった。スナック菓子を取ったときに、その横に無造作に押し込まれていた味付けのりの袋が落ちたが、美緋絽は特に拾おうとはしなかった。

(私が落とさなくてもいつも勝手に落ちてるし。)

冷蔵庫を開けて牛乳を出した。ラップがかけられた皿に目玉焼きやハムが見えたが美緋絽はそれに手をのばすことなく扉を閉めた。そしてダイニングの椅子に座るとスナック菓子を食べ始めた。

(今日は何日だっけ・・?)

 学校に行かなくなって今日で2日。でもそれは2学期になってからの話。1学期も行ったり行かなかったりで3分の1くらいは休んだ。1年生までは学校へは行くものだと思っていたから、どんなにつらくても行っていた。でも2年生になってクラスに全く来ない子がいた。中学1年の2学期に転校してきたナントカっていう男の子。特にいじめられている感じでもなかったのに・・・と思っていたが1学期の終わり頃カゲグチを聞いた。

「アイツ何様ぁ?オレ知らねぇ。だって英語しゃべれないも~ん。」

ドッと笑う声がした。彼が帰国子女だったことを思い出した。

(人と違うとハズされるのは男も一緒なんだ。)

そのときそう思った。でも今はもうそんなことどうでもいい。思い切って一度休んだら重荷が下りたみたいだった。ヘンな咳も出なくなったし、頭痛もほとんどなくなった。今は眠れないことだけだ。                                         

(それはストレスというより自律神経のせいだ、ておばあちゃんは言っていたっけ。)

 気がつくとじっとり汗が出ていた。出かけるときに母親が戸締りをしたままで、窓を開けていなかったのだ。急いでリビングの掃き出し窓を開けるとさわやかな風が流れ込んできた。日差しはまだまだ強かったが、風は秋の気配をおびていた。ふと見ると、向かいの家の女の人がベランダで洗濯物を干していた。ベランダの手すりには大きなマットらしきものがかけられていた。色とりどりの布を継ぎ合わせて作られたマットは、太陽の光を浴びてさらに鮮やかに見えた。

「パッチワークかな。」

離れて眺めるとまるで絵画のようだった。美緋絽が一瞬そのマットに目を奪われていると、ベランダの女性が手を振っていることに気付いた。

(やだ・・・)

明るい笑顔でまるで、前からの友達のように手を振っている。なんとなく無視することもできず、美緋絽は伏せ目がちに視線をはずすと軽く会釈をして部屋に戻った。

「なんだろ、あの人。」

レースのカーテン越しにそっとベランダを見ると彼女は何事もなかったかのように、また洗濯物を干していた。
 その女性はひと月ほど前に、向かいの古家に越してきた一人暮らしの女性だった。歳はどのくらいだろうか。自分の母親より十くらいは上の歳まわりに見えた。引越しのあいさつに来た時、シャレたクッキーの詰め合わせを持って人懐っこそうな笑顔で玄関ポーチに立っていた。


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