台風(2)

文字数 2,139文字

 美緋絽は2階の自分の部屋でしばらくイラストを描いた後、ベッドに寝転んで本を読んでいた。気がつくと風で網戸がガタガタゆれていた。時計を見ると2時過ぎだった。

(ボウフウケンに入ったのかな?)

窓に近づいて外を見ると電線も街路樹も風に翻弄されていた。ふと見るとマユミの家の雨戸がすべて閉まっていた。

(閉めた方がいいの?)

 近隣の家々を見ると閉めている家もあれば閉めていない家もあった。一瞬迷った美緋絽だったが、すぐに行動を起こした。美緋絽にはめずらしいことだった。まずは1階のリビングへ行って、大きな掃出し窓を開けた。するとものすごい風が一気にリビングに吹き込み、カーテンが美緋絽にまとわりついた。

「え!」

あまりの強風に美緋絽は驚いて、あわてて窓を閉めた。家の中にいて気づかなかったことに少なからず恐怖を覚えた。今度はなるべく吹き込まないようにと用心しながら美緋絽の腕が入るほどの隙間を開け、更に体でそのすき間をふさぐようにして手を伸ばし、急いでシャッターの雨戸を閉めた。次に和室、そして2階の葵たちの部屋、ゲストルームと閉め、美緋絽は自分の部屋に戻ってきた。
 自分の部屋の南側の窓の雨戸を閉め、道路に面した西側の窓を閉めようとしてふと手が止まった。ここを閉めてしまうと真っ暗になる。外の様子もわからない。窓から見えるマユミの家を見ていたい。そんな気になり、その窓だけはシャッターを閉めないことにした。それでも暴風が窓を直撃し、バンッと大きな音を立てると何かが飛んできて窓ガラスを割ってしまうのではと不安になり、何度も雨戸を閉めようかと迷う美緋絽だった。しかし家中ガタガタと大きな音をたてて軋んでいる中に、一人閉じ込められるような気がしてとても最後の雨戸を閉める気にはなれなかった。

(動画でもみよう。)

気を紛らわせようとリビングからパソコンを持ってきて立ち上げた。時折音を立てて押し寄せる大量の風にシャッターが鳴って、そのたびに美緋絽はビクついた。それでもしばらくは動画サイトに没頭した。
 どれくらいたったのか、あたりは薄暗くなっていた。パソコンの画面をずっと見ていたので気がつかなかったのだ。外を見ると雨が滝のように降っていた。窓ガラスを流れる雨でマユミの家も滲んで見えづらかった。
 突然、電話が鳴った。慌てて廊下に出て受話器を取ると葵からだった。

「ヒロ、大丈夫?どんな具合?」

「雨と風でひどいけど。」

「じゃあ、すぐ雨戸閉めて。」

「もう閉めたよ。」

「え?閉めたの?」

葵が驚いた声で言った。

「すごいじゃない!ありがとう。」

葵のうれしそうな声に、美緋絽は気持ちが明るくなった。

「何時頃帰ってくるの?」

「それがね・・・まだ東京なのよ。ていうか、東京まで来たんだけど、今電車止まってるの。」

止まってる・・・電車が止まってる?
すぐには状況が呑み込めなかった美緋絽だが、葵の言葉に愕然とした。

「でね、とりあえず今日仕事で一緒の人の事務所が近いから、そこまで行くことにしたの。電車、そっち方面はまだ動いてるから。だから・・・かなり遅くなりそう。」

「何時頃?」

「う・・ん、はっきりわからないけど・・最悪帰れないかも。」

とたんに美緋絽の中に不安と恐怖がわいてきた。

「ヒロ?聞いてる?」

「・・・うん。」

「それでね、電話しておくからマユミさんの家に居させてもらいなさい。」

電話の向こうからは、慌ただしい駅の構内放送の声や人々のざわめく音が聞こえてきた。

「ヒロ?」

「・・・いい。大丈夫。私家にいるから。」

「え!だって、これから停電になるかもしれないし。いつ帰れるか全然わからないのよ?何かあったら困るし。」

葵の困惑した声がイライラとした様子で美緋絽に迫ってきた。それでも美緋絽はかたくなに家に居ると言い張った。

「・・・あ、電車来たから乗らなきゃ。また電話するから。」

それだけ言うと電話は切れた。

(停電・・・)

そのとき、吹き付けた風がまともにシャッターに当たって雨戸が揺れ、家全体に響いた。次の瞬間、美緋絽はリビングに走りテレビをつけた。どのチャンネルもめまぐるしく台風情報を伝えていた。
 ふと、テーブルの上に置かれたメモが目に入った。マユミの電話番号だ。朝見たときに感じた違和感のようなものはなく、思わず手に取りそうになったが、美緋絽はなぜかその伸ばしかけた手を止めた。そして冷蔵庫に行き目玉焼きの入った皿を取り出すと、電子レンジに入れて温めた。
 レンジの中のオレンジ色の光と特有のうなるような音が妙に美緋絽を落ち着かせた。オート機能を使ったせいで目玉焼きははじけてパサパサだったが、あたたかさが口の中に広がりおいしいと感じた。

(そう言えば子供のころは目玉焼きがすきだったな。)

とろっととろける黄身をごはんにのせて食べるのが大好きで、毎日のように食べていた。

(ママはまだわたしが目玉焼きを好きだと思ってるのかしら。)

ほぼ毎日のように目玉焼きを焼いて冷蔵庫に入れて行き、夜残された目玉焼きを食べている葵を見ていつもあてつけのように感じていた美緋絽だったが、今は全く違う感覚だった。
 テレビに大混雑の駅構内が映った。そして無意識に葵の姿を探す自分に気づき、苦笑した。ますます強まる暴風に夕闇が迫っていた。


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