ホームページ(2)

文字数 2,442文字

 夕食後部屋にもどった美緋絽だったが、あのホームページが気になって落ち着かなかった。しかし、今下におりても葵がいる。葵が寝室に入ったらこっそりリビングに行ってパソコンを自分の部屋に持ってこよう。そしてあのホームページにいくのだ。早く時間が過ぎないか、と美緋絽は思った。
 落ち着かない思いを埋めるようにそっと部屋を抜け出し、足音を忍ばせ階段の踊り場まで行ってリビングの様子をうかがった。テレビの音が聞こえる。いつも葵は夕飯の後決まってニュース番組を見ながらメールの整理や翌日の仕事の準備などをする。そして、10時からは風呂に入ることもあるが、曜日によってはお気に入りのドラマを見る。

(今日は何曜日だっけ・・・?)

美緋絽は忙しく頭を働かせた。

(今日は木曜日・・とすると・・ああ、ドラマを見る日だ!)

美緋絽はがっかりした。ドラマを見てから風呂に入ると、葵が自分の寝室に入るのは0時を回るだろう。美緋絽は部屋にもどってため息をついた。
 ふと、窓に近づきカーテンのすき間からマユミの家を見た。1階は真っ暗だったが2階のベランダの横の部屋にはぼんやりと明かりがついていた。美緋絽は視線を落とし、庭に目をやったがそこも真っ暗でほとんど何も判別がつかなかった。それでも庭の奥の塀と家の間のところに目をやり、あの小さなかわいらしい花壇を思い浮かべた。そして、あの花壇にピンクのフリルの花が咲き乱れ、花束のようになった様子を思い浮かべた。

(マユミさんがピンクのスイートピーを植えたかどうかは分からないわね。)

美緋絽は思わず苦笑した。階下からは葵が誰かに話しかけている声が聞こえてきた。どうやら電話をしているらしい。やれやれ、当分パソコンを持ってくるのは無理そうだ。
 美緋絽はふと思い出して本棚から1冊の本を手に取るとベッドに寝転がった。何年振りかで手に取ったそれは児童書だった。小学校3年生の夏休み、3週間ほどおばあちゃんの家に行っていたときに買ってもらった本だった。
 主人公は10歳のアメリカ人の女の子。ある日おかあさんに頼まれてお花を買いに行く途中、とても美しいレースのハンカチを拾った。そのハンカチを落とし主の老婦人に届けるとお礼にその家に招待される。その家は大きな屋敷で、庭にはたくさんの花が咲き誇っている。老婦人から好きなだけ庭の花を摘んでも良いと言われ、少女が庭に出て花を摘もうとすると小さな花冠をつけた妖精が現れ庭の花を紹介してくれる。そして最後にとても大きな花束が出来上がる、というお話だ。
 その本の妖精や花々のやさしさ、美しさ、そしてどこか気品のある挿絵が美緋絽は大好きだった。本を読む度、いつもその少女と一緒に花の咲く庭を歩き回っているように感じてうっとりした。
 寝転んだまま、久しぶりに手に取った本を開くとひらり、と何かが落ちてきた。ティッシュペーパーにはさまれた朝顔の押し花だった。少し褪せた薄ピンクの花びらが指で触れると破れてしまいそうだった。気に入って何度も読み返す美緋絽におばあちゃんが押し花をしてくれたのだった。挿絵の花々とは全く違う「和」の花だったが、押し花になってもなお夏の朝の凛とした空気をまとっているような朝顔は、美緋絽に懐かしい感覚をまばゆいほどに思い出させた。
 開いたページを胸にのせ、瞳を閉じると汗のにじむ夏の空気とおばあちゃんの家の日に焼けた畳の感触が美緋絽を包んだ。そういえばおばあちゃんの作ったごはんは美緋絽が日頃食べているものとは味も種類も違っていてほとんど残していたっけ。そんな美緋絽におばあちゃんがオムライスを作ってくれたがやはり全部は食べられなかった。困ったような、ちょっと寂しそうなおばあちゃんの顔が浮かんできて辛い気持ちがよみがえった。

(確か・・おじいちゃんと近くの川に釣りに行って初めて魚を釣ったんだ。魚がかかった時に竿に感じたグンッという手ごたえはそれまで感じたことのない感覚だった。そうそう、おばあちゃんが昔使っていたというかき氷の削り器を納戸から出してきたけど刃が錆びていて使えなくて、おじいちゃんが急いで新しいのを買ってきてくれて。最初は特にやりたいとも思ってなかったけど、ガリガリ氷を削り始めてカップにたまっていくザクザクした氷がなんだか面白くて。そしてシロップを山ほどかけて食べたときの、あの甘くてとびっきり冷たいシャリシャリ感が最高だったなぁ。)

美緋絽はまぶたの裏に次々に現れるシーンを追い続けた。
 どれほどの時間そうしていたのか、ふと美緋絽が目を開くと辺りは真っ暗だった。枕元にあるライトを点けると胸にのせていた本は閉じられ、ベッドの横の棚に置かれていた。時計を見ると1時を回っていた。そっとドアをあけて廊下を見渡すと廊下の足元灯の明かりが光っていた。葵の部屋のドアのすき間から漏れる灯りは無かった。葵は2階に上がってきて美緋絽が寝落ちしていたので本を片づけ灯りを消し自分も就寝したのだろう。
 美緋絽は足音を忍ばせ階段を下りると、リビングに行った。そして出窓に置かれていたノートパソコンをかかえると自分の部屋に向かった。よくよく考えればそれほど悪いことをしているわけでもないのに、美緋絽は呼吸が早まっているのを感じた。パソコンを自分の机の上に置いたときには思わずフゥーと大息が出た。
 椅子に座り、パソコンを立ち上げると美緋絽は姿勢を正しモニターを見つめた。パソコンが立ち上がるまでの時間がもどかしく、気がつくと無意識に足が小刻みに動いていた。《FIORE 思い出の花束 マドレーヌ レシピ》と打ち込み、先ほどのページにたどり着くまでの時間がとても長く感じられた。そして美緋絽は、開かれたページのゆっくりと点滅する21の数字にカーソルを合わせ、クリックした。画面は一瞬ピンク色の花びらで覆われたかと思うとそれらが吹き飛び、真っ白になった。あまりの明るさに目が眩み、美緋絽はギュッと目をつぶった。そして新しいページが開かれた。

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