台風(4)
文字数 1,894文字
(何?)
心臓がドキンと鼓動するのを感じた。
ドン・・ドン、ドン。
鈍い音が響く。玄関だ。かすかに聞こえる声。
(マユミさん?)
おそるおそる階段を下りていくと、はっきりとした声が聞こえた。
「ヒロちゃーん。私、マユミよ!大丈夫~?」
美緋絽が慌てて玄関のドアを開けると、雨風と一緒に全身ずぶ濡れの雨合羽に身を包んだマユミが玄関に転がり込んできた。
「マユミさん!どうしたの?」
「あははは~来ちゃった。」
あっけにとられている美緋絽をよそに、ビニールにくるまれた大きなピクニックバッグを玄関のタタキに置くと、やおら合羽を脱ぎ始め
「ちょっと、これ半端じゃなくすごい台風よ!まっすぐ歩けないんだから!」
そして合羽を玄関にあるコートかけにかけると、ふう~と深く息をついた。
「タオル、借りていい?」
美緋絽はあわててバスタオルを取りに洗面所へ走って行った。その背中にマユミの声が追いかけてきた。
「葵さんから電話があったの。ヒロちゃん家にいる、て。だから私が来ちゃった。」
暗闇で見えなかったが、そこにはあのおひさまのような人懐こい笑顔があることが容易に想像できた。
「夕飯、まだでしょ?」
リビングのテーブルにピクニックバッグを置きながらマユミが聞いた。
「・・・はい。」
「葵さん、サラダと煮物作っておいた、て言ってたから一緒に食べない?」
そう言いながらマユミはピクニックバッグから太くて大きなキャンドルと皿を取り出し、火を点けた。
炎が少しずつ大きくなり、やがてあたりをぼんやりと照らし出すと、マユミが濡れた前髪をかきあげながら今度はランチョンマットを取り出している様子が見て取れた。これもピクニック用なのか仕切りのついたプラスチック製の皿と大きなカップを置き、太めの水筒をテーブルに置くと
「サラダと煮物、持ってきてくれる?」
と美緋絽に言って、自分はその皿に持ってきた料理を乗せ始めた。美緋絽が冷蔵庫からサラダと煮物を持ってくると、それも手早く皿にのせた。
「・・あの・・ホントは魚焼くように、て母が。」
「ここの家はIHなんでしょ?」
美緋絽がだまってうなずくと
「葵さん家だもん、きっとそうだと思った!」
そして持ってきたおにぎりとハムを乗せ、カップに水筒からスープをそそぐと
「うわ~なんかちょっと楽しくなってこない?」
と美緋絽にむかって無邪気な笑顔を見せた。
確かに気がつくと、美緋絽の体の中の落ち着かないざわざわしたものはなくなっていた。そしてろうそくの明かりにゆらめくピクニックプレートの食事が、何か特別な食事のように見えた。
食事が終わるとマユミはバスケットからもう1本水筒を取り出し、暖かい紅茶を注いでくれた。そして、大事そうに縞模様のリネンのナプキンに包まれたマドレーヌを取り出しランチョンマットの端にのせ、どうぞ、というように両掌を上に向けてさしだした。
マドレーヌの端を少しかじるとバターの香りとカリッとした触感が口に広がった。なんだか懐かしい感じがした。食べるのはこれが2回目なのに、懐かしいなんて・・と美緋絽は少し戸惑いながらも、ひと口ひと口を大事に味わいながら食べた。
食事の途中で葵から電話があった。今日は結局電車が動かないから、これもたまたま近くだった友人の家に泊めてもらうことにした、ということだった。マユミが美緋絽と一緒にいてくれることを知って、葵も泊まる事にしたのだった。
プレートとカップをシンクに運ぶと2人は並んでソファーに座った。いつもの美緋絽なら気まずくて場所を変えているところだが、その日の美緋絽はなぜかイライラすることも避けることもなく、素直に状況を受け入れることができた。暗く、蒸し暑い中だったが心地よい満腹感に美緋絽の気分はとてもゆったりとしていた。
(こんな気分になったのはいつぶりだろう?)
ぼんやりとそんなことを考えていた美緋絽だったが、お互い無理に言葉を発することもなくろうそくの炎が照らしだすゆらぎをみつめていた。
マユミが2本団扇を取り出し、1本を美緋絽に差し出した。美緋絽は団扇を受け取るとゆっくりとあおいだ。いつもなら絶対に使おうとも思わない団扇の風があまりにもさわやかで、とても不思議な気分だった。
雨風がうなりながら家を揺らし、時折吹く突風が窓ガラスを突き破りそうになった。けれども団扇からそよぐ風は、そんな嵐の風に全く負けていなかった。むしろ扇ぐたびに美緋絽をゆったりとした気持ちにさせた。
ふと美緋絽の中にマユミに対するあの気持ちが湧き上がってきた。広くゆるやかな丘陵からおだやかにそよぐ風を感じているように、マユミから漂うやすらぐ空気が美緋絽の口を開かせた。
心臓がドキンと鼓動するのを感じた。
ドン・・ドン、ドン。
鈍い音が響く。玄関だ。かすかに聞こえる声。
(マユミさん?)
おそるおそる階段を下りていくと、はっきりとした声が聞こえた。
「ヒロちゃーん。私、マユミよ!大丈夫~?」
美緋絽が慌てて玄関のドアを開けると、雨風と一緒に全身ずぶ濡れの雨合羽に身を包んだマユミが玄関に転がり込んできた。
「マユミさん!どうしたの?」
「あははは~来ちゃった。」
あっけにとられている美緋絽をよそに、ビニールにくるまれた大きなピクニックバッグを玄関のタタキに置くと、やおら合羽を脱ぎ始め
「ちょっと、これ半端じゃなくすごい台風よ!まっすぐ歩けないんだから!」
そして合羽を玄関にあるコートかけにかけると、ふう~と深く息をついた。
「タオル、借りていい?」
美緋絽はあわててバスタオルを取りに洗面所へ走って行った。その背中にマユミの声が追いかけてきた。
「葵さんから電話があったの。ヒロちゃん家にいる、て。だから私が来ちゃった。」
暗闇で見えなかったが、そこにはあのおひさまのような人懐こい笑顔があることが容易に想像できた。
「夕飯、まだでしょ?」
リビングのテーブルにピクニックバッグを置きながらマユミが聞いた。
「・・・はい。」
「葵さん、サラダと煮物作っておいた、て言ってたから一緒に食べない?」
そう言いながらマユミはピクニックバッグから太くて大きなキャンドルと皿を取り出し、火を点けた。
炎が少しずつ大きくなり、やがてあたりをぼんやりと照らし出すと、マユミが濡れた前髪をかきあげながら今度はランチョンマットを取り出している様子が見て取れた。これもピクニック用なのか仕切りのついたプラスチック製の皿と大きなカップを置き、太めの水筒をテーブルに置くと
「サラダと煮物、持ってきてくれる?」
と美緋絽に言って、自分はその皿に持ってきた料理を乗せ始めた。美緋絽が冷蔵庫からサラダと煮物を持ってくると、それも手早く皿にのせた。
「・・あの・・ホントは魚焼くように、て母が。」
「ここの家はIHなんでしょ?」
美緋絽がだまってうなずくと
「葵さん家だもん、きっとそうだと思った!」
そして持ってきたおにぎりとハムを乗せ、カップに水筒からスープをそそぐと
「うわ~なんかちょっと楽しくなってこない?」
と美緋絽にむかって無邪気な笑顔を見せた。
確かに気がつくと、美緋絽の体の中の落ち着かないざわざわしたものはなくなっていた。そしてろうそくの明かりにゆらめくピクニックプレートの食事が、何か特別な食事のように見えた。
食事が終わるとマユミはバスケットからもう1本水筒を取り出し、暖かい紅茶を注いでくれた。そして、大事そうに縞模様のリネンのナプキンに包まれたマドレーヌを取り出しランチョンマットの端にのせ、どうぞ、というように両掌を上に向けてさしだした。
マドレーヌの端を少しかじるとバターの香りとカリッとした触感が口に広がった。なんだか懐かしい感じがした。食べるのはこれが2回目なのに、懐かしいなんて・・と美緋絽は少し戸惑いながらも、ひと口ひと口を大事に味わいながら食べた。
食事の途中で葵から電話があった。今日は結局電車が動かないから、これもたまたま近くだった友人の家に泊めてもらうことにした、ということだった。マユミが美緋絽と一緒にいてくれることを知って、葵も泊まる事にしたのだった。
プレートとカップをシンクに運ぶと2人は並んでソファーに座った。いつもの美緋絽なら気まずくて場所を変えているところだが、その日の美緋絽はなぜかイライラすることも避けることもなく、素直に状況を受け入れることができた。暗く、蒸し暑い中だったが心地よい満腹感に美緋絽の気分はとてもゆったりとしていた。
(こんな気分になったのはいつぶりだろう?)
ぼんやりとそんなことを考えていた美緋絽だったが、お互い無理に言葉を発することもなくろうそくの炎が照らしだすゆらぎをみつめていた。
マユミが2本団扇を取り出し、1本を美緋絽に差し出した。美緋絽は団扇を受け取るとゆっくりとあおいだ。いつもなら絶対に使おうとも思わない団扇の風があまりにもさわやかで、とても不思議な気分だった。
雨風がうなりながら家を揺らし、時折吹く突風が窓ガラスを突き破りそうになった。けれども団扇からそよぐ風は、そんな嵐の風に全く負けていなかった。むしろ扇ぐたびに美緋絽をゆったりとした気持ちにさせた。
ふと美緋絽の中にマユミに対するあの気持ちが湧き上がってきた。広くゆるやかな丘陵からおだやかにそよぐ風を感じているように、マユミから漂うやすらぐ空気が美緋絽の口を開かせた。