妖精(1)

文字数 3,193文字

 久しぶりに会った椿子さんはこの縁側に座っていたわ。椿子さんのお母さんがお茶を運んできて

『こんなところでごめんなさいね。この子ったら起きている時はほとんどここから動かなくって。マユミちゃん、寒くないかしら?ゆっくりしていってね。』

そう言って去っていく母親の姿を椿子さんは目で追って、見えなくなったのを確かめると少し声をひそめながら

『ここにいて、できるだけいつも見ていたいのよ。』

と子どもが秘密を打ち明けるときのように目をきらきらさせながら言ったの。
 私はガラス越しの庭を見たけどちょうど冬の始めの頃だったから、ほとんど花のない寒々とした感じで。その頃はこんな風に花壇はなくて、庭木の下にちょっとしたものが植わっているだけ。それも葉が落ちているものが多くて、何の植物かあまりわからない感じだった。ここからできるだけ見ていたいものって何だろう、と思ったわ。

『おばさんの花畑、覚えてる?』

突然の質問に私は狼狽した。だって約束したわけじゃなかったけど、あの頃の話はずっと二人の間ではふれない思い出になっていたから。お互い口には出さなくても大切な大切な、そして海の底のように深く冷たい思い出だったから。何十年も経っていきなり何の前ぶれもなく椿子さんが口にしたことに、私はためらったけど勇気を出して答えたわ。

『ええ、もちろん。忘れるはずがないわ。椿子さんと過ごした花畑だもの。』

『この庭もあのお花畑のようにしたいとずっと思ってきたけど、私にはできなかった。』

ゆっくりと寂しそうに言う椿子さんには、あの遠い日の美しかった花畑の景色が見えているようだった。沈黙になるのが怖くて、わたしは急いで言葉を継いだ。

『二人ならできるかもしれないわ。私も日本に戻って来てだいぶ落ち着いてきたから。一緒に作る?花壇。』

『そんな・・・無理よ。それにマユミちゃんの息子さん来年受験じゃない。ちゃんとしっかりご飯作って応援しなきゃ。』

『あの子はマイペースなの。それに自分で考えてヘルプが欲しい時には言う子だから大丈夫よ。』

『だめよ・・マユミちゃんはお母さんなんだから。おうちのこと大事にしなくちゃ。でも・・・でももし、もしもよ、ここに花壇を作るとしたら・・・縁側の前にはメインの花壇。で、アプローチから入ったところは朝日が良く当たるからバラを植えたいな。それから、あの奥の物置のところはとっても日当たりがいいの。だからスイートピーを咲かせるならあそこがいいわ。きっとかわいい花壇になるわね。』

しばらく二人で庭の花壇作りを夢中になってしていたの。そうしたら急に真顔になって、椿子さんが話始めたの。

『今から話すこと、きっとだれも信じないと思うから誰にも言うつもりはないんだけど、マユミちゃんにだけは話そうと思うの。マユミちゃんなら絶対に信じてくれるから。あの、おばさんの花畑を知っているマユミちゃんなら。』

私は椿子さんがどんなことを話し出すのかすごく緊張した。そして私は椿子さんの言葉を漏らさず聞こうと、耳に全神経を集中させた。

『私はあの花畑がまだ田んぼだった頃からおじいさんの家に行っていたけど、ある年の冬休みの始まる前、その年はあまり体調がよくなくて早めにおじいさんの家に行ったの。そうしたら田んぼだったところが畑になっていて、そこに作られた柵に小さな花がポツンポツンと咲いているのを見つけたの。少しだけだったけどかわいらしくてとてもいい香りのする花だった。畑を耕していたおじさんと千陽さんがここをいっぱいのお花畑にするのよ、と話してくれて

〈椿ちゃんはどんな花が好き?〉

と聞かれたの。咄嗟に私はピンクのドレスみたいなお花がいい、と答えた。具体的な花を思い浮かべていたわけじゃなかったけど、ふと家のピアノの上に置かれていたフランス人形の姿を思い出したの。

〈わかった。じゃあ今度、春に来るときに楽しみにしていてね。〉

と千陽さんがまだ何もない土色の畑を見渡しながら力強く言った。』

少しお茶を飲んで息を整えた後、椿子さんは話を続けた。

『春休みに行ったとき、畑には畝がたくさん作られていて、そこにはまだ花が咲いていないたくさんの苗が植えられていた。畝の一部にはチューリップが群れをなして咲いていて、まるで絨毯のようだった。こんな風に咲いている花畑を見たことが無くて、入口で圧倒されて立ち尽くす私に千陽さんが手を引いて連れて行ってくれたのはフラフープほどの大きさを柵で囲っている花壇だった。その中には立てられた支柱に張ったネットに絡まりながら、私の背丈ほどにこんもりとピンクの花が一団となって咲いていた。

〈あ、ドレス・・〉

私が漏らした言葉に

〈よかった!ドレスに見えて〉

と千陽さんはホッとしたように言った。最初は全体をかたまりで見ていたけど、よくよく見るとその一つ一つの花が軽やかに波打つフリルの飾りを纏っていて

〈踊っているみたい〉

て私が言うと

〈ホントね。舞踏会ね。〉

て。

〈これから毎年椿ちゃんの花壇を作るから遊びに来てね〉

と言われて私は嬉しくて夢心地の中、この花の名前【スィートピー】を心に刻んだの。』

『本当に、あの花壇は素敵だったわね。私も毎年あのドレスのようなスィートピーの花壇が大好きだった。大人になって、自分の家の庭にあの花壇を再現しようとして何度か挑戦したけど全然できなくて。私は頑張ってブーケを作るくらいよ。』

『ブーケだってすごいわ!私にはできないことだもの。マユミちゃんは千陽さんたちから教えてもらったことを受け継いで、自分でも勉強して実践してる。』

『そんなことないわ。私はたくさんのことを教えてもらったけど、千陽さんと桂太さんは本当にすごいことをやっていたとずっと思っているの。あの花畑を作ることなんて、私には到底できないから。』

『マユミちゃんはどうしてお庭にお花を植えているの?』

(それは・・・)

私ははっきりとした言葉がすぐには思い浮かばず、椿子さんに納得してもらう理由をさがして口ごもった。

『私ね、マユミちゃん。もし自分が元気だったらマユミちゃんと同じように、この庭を花でいっぱいにしたかった。千陽さんたちが教え伝えてくれたことを自分も受け継ぎたかった。
 その理由はいろいろあって、単にお花が好きだからとか庭仕事をしていたら落ち着いて楽しいと感じるから、みんなが喜んでくれるから、千陽さんみたいなステキな女性になりたいからとか、もっともっと考えたらいろいろあると思う。
 でも一番最初、まだ幼かった私の心に芽生えたのは妖精に会いたかったから。これが一番の理由なの。もしかして・・マユミちゃんもそうなんじゃない?』

振り向いた椿子さんは私の心の奥深くを探るように瞳を覗き込んだ。
 忘れかけていた記憶が染み出てくるのを感じた。葉っぱをめくるときに妖精が隠れているかも・・・確かにあの日、みんなで作業したあの夏の日、私はそんな期待をしながら花がら摘みや草取りをしていたと。
 千陽さんは作業の合間に私たちに

〈大切に育て美しく花をたくさん咲かせると、その花々を求めて花の妖精が来る。そして願い事をかなえてくれる〉

といつも話してくれた。でも、妖精は気まぐれでちょっぴりいたずらっ子だから注意が必要よ、とも。
 私は千陽さんが入院した時、妖精に願いをかけようとした。だからもっともっとお花のお世話をしよう、て思った。花畑へは行けなかったけど、自分の家の庭に咲く花たちのお世話を進んでしたりして。
 それなのに・・・私は千陽さんが亡くなったと聞いたあの時、妖精のことを封印した。だって千陽さんは愛情を込めてお世話をして、あんなにたくさんのお花を咲かせたのに・・・妖精のいたずらならひどすぎる、て思ったから。
 でも、そのとき椿子さんは私の思っていたこととは正反対のことを口にしたの。

『千陽さんが入院したあの夏、私は花畑で妖精に会ったのよ。』



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