台風(3)

文字数 1,471文字

(そうだ、停電するかもしれないんだ。)

美緋絽は玄関に置かれた非常持ち出しバッグの中から懐中電灯を取り出した。そしてスイッチをつけてみたが、懐中電灯が光を放つことはなかった。
 やっぱり・・と美緋絽は驚くことはなかった。持ち出しバッグを作ってから何年たつだろう。多分1度も見直しをしていない。美緋絽はバッグの中を探って替えの電池を取り出した。くるまれたビニールの包みをはがし指でつまみ出そうとして、ぬるっとした感触に思わず動きが止まった。よく見ると液漏れした電池の表面がテカテカとしている。ふうっとため息をつくと、いつも買い置きをしている2階の物入れに行き、その中から電池を取り出し入れ替えた。懐中電灯は、今度はまばゆいばかりの光を放った。
そのとき、電話が鳴った。葵からだった。

「ヒロ、どう?大丈夫?」

「うん、大丈夫。」

「ママね、やっぱり帰れそうもないの。あっちもこっちも止まっちゃって。それでね、マユミさんに電話したら、困ったことがあったら遠慮しないで電話して、て言ってたから。わかった?」

「わかった。」

「・・・心配だから、本当はマユミさんのところにいてほしいんだけどね。」

葵がうながすように言ったが、美緋絽はそれには答えなかった。なぜここに居たいのか正直美緋絽にもはっきりしなかったのだが、家を空けたくない、という気持ちが消えなかったのだ。

「じゃあ、また電話するからね。気を付けてね。」

気をつけなくてはいけないのはママの方だ、と美緋絽は思った。でも、それを口にすることなく電話を切った。
 時刻は午後7時を回り外はすっかり暗くなり、風も雨も、ますますひどくなるばかりだった。しかし停電になることはなくその点は美緋絽にとっては救いだった。ただ、容赦なく家にたたきつける雨風の音に落ち着かず、ざわざわとしたものが体の中で動き回っていた。停電になる前に夕飯を食べた方が良いのだろうが、なかなか食事をしようという気持ちにはなれなかった。
 7時のニュースは荒れ狂う波と風や増水した川、大混雑の駅の様子をこれでもかと流していた。何かした方がいいと思いながらも何をしたらいいのか思いつかず、ただただ意味もなくテレビを見続ける美緋絽だった。やがてニュースも終わり、特別警戒情報のテロップが画面の端に流れる中、続いて放送されたバラエティ番組を見ていた。
 そして、それは突然だった。一瞬で闇に包まれたリビングで美緋絽はソファーに座ったまま固まっていた。雨風の音だけは相変わらず激しく聞こえていたが何をしたらいいのか全く思いつかなかった。何分ほど座っていたのかよくわからなかったが気がつくとうっすらと汗をかいていた。

(そっか。クーラー止まったんだ。)

湿っぽく生温かい空気が暗闇の中の美緋絽にまとわりついていた。とりあえず携帯電話を取りに行こう、と美緋絽は思った。マユミに連絡するつもりはなかったが、葵から電話があるかもしれない。
 目が慣れてきてうっすらと部屋の様子も見えたが、2階の葵の部屋に行くにはやはり懐中電灯が必要だった。懐中電灯をつけると光がまぶしくて目がくらんだ。2階まで行くと一か所だけ閉めなかった雨戸から外が見えた。家々はみな暗くひっそりとしていたが、少し離れたところにあるマンションの外階段の照明はこうこうと光っていた。美緋絽の家のそばの電柱の街灯もついてはいたが、こちらは薄暗く弱々しかった。そして、電線がちぎれんばかりに揺さぶられている様子に目を奪われた。向かいのマユミの家もやはり真っ暗でシンとしていた。そのとき、階下でドンという物音がした。


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