椿子(3)
文字数 2,077文字
「ある時電話で話していたとき、椿子さんは
『あきらめることにする』
と言ったわ。私は一瞬どうしていいかわからず椿子さんをなぐさめるつもりで
『子どもがいない人だってたくさんいるから』
て言ったの。でも、それはひどい言葉だったと今ならわかる。私はまだ子どもで、何もわかっていなかったくせにわかった気になってひどい言葉を椿子さんに投げつけていたと思う。
『ありがとう』
と小さな声で言った後、椿子さんはゆっくりはっきり
『結婚しない。』
と続けた。慌てたわ、私。どうして?そんなこと言わないで。せっかく手術して元気になったんだから、なんてまくし立てるようにいろんな言葉で椿子さんを・・そう、攻め続けたんだわ。そんな私にイラつくわけでも怒るわけでもなく
『ありがとう、マユミちゃんはやさしいね。』
と。受話器の向こうで椿子さんが寂しげに応えていたことに私は気づくこともなくて。」
マユミは悔しそうな表情をしながら唇を震わせた。
「それからも時々手紙や電話でなんてことはないやり取りが続いて。でも樹さんの話をしない椿子さんに私もあえて恋愛の話題は避けていた。若い女の子が一番盛り上がる話題だけどね。その頃実は私、主人と知り合ってお付き合いをしていたんだけどそんな話はしなかった。できなかったの。
それから地方の大学に行っていた私が東京での就職が決まって3月に戻って来たときに、椿子さんが会おう、て誘ってくれたの。久しぶりに会えるうれしさもあったけど、どんな話をしようかと実はずっと考えていた。悩んだ末に椿子さんに聞かれたことだけ話そう、なんて思いながら待ち合わせの駅まで行ったんだけど、椿子さんの姿が視界に入った途端、そんな私の悩みはいっぺんに吹き飛んじゃった!だって椿子さんは背の高い若い男の人と一緒だったんだもの。
私はすぐにその人が樹さんだってわかったわ。二人が並んで立っているのを見て涙が出そうなくらい感激して。そして何より椿子さんはふっくらとして血色が良くて、ひと目で元気なことがわかった。樹さんは私たちを海の見える公園まで車で送ってくれて、夕方迎えに来る約束をして別れたの。その後は・・もうわかるでしょ?楽しい一日だったわ!お互いこの何年かのことを全部一気にぶちまけた感じよ。その中で椿子さんは樹さんから『手術をしてもしなくても結婚しようと思っていた』と言われたことを教えてくれた。
樹さんは体が弱かった椿子さんのことも分かった上で結婚したの。そのあと送られてきた椿子さんの手紙からは、ご主人だけでなく家族みんなが自分のことを大事にしてくれてとても感謝している、と幸せいっぱいな感じがよく伝わってきてね。私、本当にうれしかった。
椿子さんとの交流は、私が結婚しても続いた。息子が生まれたときには美しいベビードレスが送られてきて、レースがあしらわれた白いドレスは、初めて椿子さんと会ったあの日が思い出されてなつかしかった。あのベビードレスは今でも大切にしまってあるわ。その後私たち家族が主人の仕事で海外へ赴任したときも、エアメールで絆は深まっていった。」
ずっと伏目がちに話をしていたマユミだったが、何かを反芻しているようにふいに黙り込んだ。そして少しの間の後、美緋絽の方に向き直って気持ちを静めるようにゆっくりと深呼吸をしてから続きを話し始めた。
「ヒロちゃんたちが越してきてしばらくした頃に椿子さんがこの家に居たのは体調が思わしくなかったからなの。実は一度赤ちゃんを産む決心をして・・・最初はもちろん主治医の先生に反対されたんだけど、椿子さんの気持ちは変わらなくて。樹さんも真剣に椿子さんと話をして決めた事だったから樹さんのご両親も応援してくれてね。
でも・・・3カ月で赤ちゃんはおなかの中で亡くなってしまったの。そのことがあって体にも心にも大きなダメージを受けて、椿子さんは体調を崩してしまったの。だけどこの家にずっと居たわけじゃなくて、ひどく体調が思わしくないときにだけ来ていたのよ。樹さんの家は評判のいい医院だったからいつも患者さんがいっぱいでね。医院は家族みんなでやっていたから、きっと椿子さんは自分の世話で迷惑をかけたくないと思っていたんだと思う。
行ったり来たりしていたけど、だんだんこの家に長くいるようになってね。そんなときよ、椿子さんから電話がかかってきたのは。それまでもかかってきたことはあったけど、その日は少し様子が違っていた。
『マユミちゃん、私、見つけたの!』
開口一番、すごく興奮した感じで椿子さんが言ったの。もちろん私には何のことかわからなかった。
『とうとうみつけたのよ!まさか、こんなことがあるなんて・・・ああ信じられない!』
ホント、そのときは椿子さんがどうかしちゃったのかと思ったのよ私。それで恐る恐る
『椿子さん・・今どこ?おうちにいるの?大丈夫?』
て言ったら
『ごめんなさい、驚かせて。でも、本当のことなのよ!ああ、マユミちゃんにどう話したら伝わるのかしら!この気持ち!』
電話では要領を得なくて、それで次の週におうちに伺う約束をしたの。
『あきらめることにする』
と言ったわ。私は一瞬どうしていいかわからず椿子さんをなぐさめるつもりで
『子どもがいない人だってたくさんいるから』
て言ったの。でも、それはひどい言葉だったと今ならわかる。私はまだ子どもで、何もわかっていなかったくせにわかった気になってひどい言葉を椿子さんに投げつけていたと思う。
『ありがとう』
と小さな声で言った後、椿子さんはゆっくりはっきり
『結婚しない。』
と続けた。慌てたわ、私。どうして?そんなこと言わないで。せっかく手術して元気になったんだから、なんてまくし立てるようにいろんな言葉で椿子さんを・・そう、攻め続けたんだわ。そんな私にイラつくわけでも怒るわけでもなく
『ありがとう、マユミちゃんはやさしいね。』
と。受話器の向こうで椿子さんが寂しげに応えていたことに私は気づくこともなくて。」
マユミは悔しそうな表情をしながら唇を震わせた。
「それからも時々手紙や電話でなんてことはないやり取りが続いて。でも樹さんの話をしない椿子さんに私もあえて恋愛の話題は避けていた。若い女の子が一番盛り上がる話題だけどね。その頃実は私、主人と知り合ってお付き合いをしていたんだけどそんな話はしなかった。できなかったの。
それから地方の大学に行っていた私が東京での就職が決まって3月に戻って来たときに、椿子さんが会おう、て誘ってくれたの。久しぶりに会えるうれしさもあったけど、どんな話をしようかと実はずっと考えていた。悩んだ末に椿子さんに聞かれたことだけ話そう、なんて思いながら待ち合わせの駅まで行ったんだけど、椿子さんの姿が視界に入った途端、そんな私の悩みはいっぺんに吹き飛んじゃった!だって椿子さんは背の高い若い男の人と一緒だったんだもの。
私はすぐにその人が樹さんだってわかったわ。二人が並んで立っているのを見て涙が出そうなくらい感激して。そして何より椿子さんはふっくらとして血色が良くて、ひと目で元気なことがわかった。樹さんは私たちを海の見える公園まで車で送ってくれて、夕方迎えに来る約束をして別れたの。その後は・・もうわかるでしょ?楽しい一日だったわ!お互いこの何年かのことを全部一気にぶちまけた感じよ。その中で椿子さんは樹さんから『手術をしてもしなくても結婚しようと思っていた』と言われたことを教えてくれた。
樹さんは体が弱かった椿子さんのことも分かった上で結婚したの。そのあと送られてきた椿子さんの手紙からは、ご主人だけでなく家族みんなが自分のことを大事にしてくれてとても感謝している、と幸せいっぱいな感じがよく伝わってきてね。私、本当にうれしかった。
椿子さんとの交流は、私が結婚しても続いた。息子が生まれたときには美しいベビードレスが送られてきて、レースがあしらわれた白いドレスは、初めて椿子さんと会ったあの日が思い出されてなつかしかった。あのベビードレスは今でも大切にしまってあるわ。その後私たち家族が主人の仕事で海外へ赴任したときも、エアメールで絆は深まっていった。」
ずっと伏目がちに話をしていたマユミだったが、何かを反芻しているようにふいに黙り込んだ。そして少しの間の後、美緋絽の方に向き直って気持ちを静めるようにゆっくりと深呼吸をしてから続きを話し始めた。
「ヒロちゃんたちが越してきてしばらくした頃に椿子さんがこの家に居たのは体調が思わしくなかったからなの。実は一度赤ちゃんを産む決心をして・・・最初はもちろん主治医の先生に反対されたんだけど、椿子さんの気持ちは変わらなくて。樹さんも真剣に椿子さんと話をして決めた事だったから樹さんのご両親も応援してくれてね。
でも・・・3カ月で赤ちゃんはおなかの中で亡くなってしまったの。そのことがあって体にも心にも大きなダメージを受けて、椿子さんは体調を崩してしまったの。だけどこの家にずっと居たわけじゃなくて、ひどく体調が思わしくないときにだけ来ていたのよ。樹さんの家は評判のいい医院だったからいつも患者さんがいっぱいでね。医院は家族みんなでやっていたから、きっと椿子さんは自分の世話で迷惑をかけたくないと思っていたんだと思う。
行ったり来たりしていたけど、だんだんこの家に長くいるようになってね。そんなときよ、椿子さんから電話がかかってきたのは。それまでもかかってきたことはあったけど、その日は少し様子が違っていた。
『マユミちゃん、私、見つけたの!』
開口一番、すごく興奮した感じで椿子さんが言ったの。もちろん私には何のことかわからなかった。
『とうとうみつけたのよ!まさか、こんなことがあるなんて・・・ああ信じられない!』
ホント、そのときは椿子さんがどうかしちゃったのかと思ったのよ私。それで恐る恐る
『椿子さん・・今どこ?おうちにいるの?大丈夫?』
て言ったら
『ごめんなさい、驚かせて。でも、本当のことなのよ!ああ、マユミちゃんにどう話したら伝わるのかしら!この気持ち!』
電話では要領を得なくて、それで次の週におうちに伺う約束をしたの。
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