花壇
文字数 2,500文字
翌日の午後、葵は買い物に出かけていた。留守番をしていた美緋絽が自分の部屋からふと外を見ると、庭に出て手入れをしているマユミの姿が見えた。折れてしまったのか、垂れ下がった枝や倒れた草花などを始末しているようだった。
美緋絽は急いでリビングに行くと団扇を手にした。昨日マユミが忘れていった団扇だ。団扇を手にマユミの家の門扉の前に立つと気配に気づいてマユミが顔を上げた。
「あらヒロちゃん、こんにちは。どうぞ、入って。」
「あの、これ・・」
美緋絽が団扇をかざして見せると
「あ、私ったら忘れていったのね。わざわざありがとう。」
軍手をはずしながらマユミが近づいてきた。そして門扉を開けると美緋絽を招き入れた。美緋絽は少々後ろめたい気持ちになっていた。それは、団扇を届けたのはただの親切心ではなかったからだ。どちらかというと昨夜のうぐいすの話が頭から離れず、マユミに対する好奇心が一層高まっていたからだ。何かマユミの事を・・プライベートなことを知りたい気持ちでいっぱいだったのだ。とは言え、何を聞けばいいのか、あるいは聞いてもいいのかわからず戸惑う気持ちであることも確かだった。
うながされるままに庭に入り、改めて見渡すと庭にはいくつかの花壇が点在していることに気づいた。今まではよく見ていなかった、ということもあるが、花が花壇の中にあふれんばかりにさいていたので、花壇の輪郭が見えにくかったというのもあるのだろう。
「もう少しやっちゃうからちょっと待っててくれる?」
マユミは縁側に団扇を置くと再び軍手をはめ、伸びて倒れた植物に支柱を立てるとひもで結びはじめた。
「はい、大丈夫です。ちょっとお庭見せてください。」
美緋絽の言葉遣いが神妙だったので、マユミは笑いながら
「今はあんまり見るものもないけどね。」
と手を休めることなく言った。
実際花壇にはあまり花は咲いていなかったけれど、秋の植物なのだろうか細かな花を無数につけたものや、ふくらみかけた蕾をつけているものが見られた。
「宿根のものがこれから咲いてくるところかな。そっちの奥に咲いているのがシュウメイギクで、塀にそって咲いているのがホトトギス。ちょっと地味だけどね。でもよく見るとかわいらしいでしょ?その斑点がホトトギス、ていう鳥の模様に似ているんだって。」
(ホトトギス・・・)
美緋絽はまたうぐいすを思い出していた。
「あとはコスモスかな~。いろんな種類があるのよ。これは・・コスモスといえばみんながこれを思い浮かべるんじゃないかな、と思う一般的なものね。そっちのはキバナコスモス、それからその向こうがチョコレートコスモス。それはなかなかおしゃれな感じでしょ?」
美緋絽はチョコレートコスモスに近づいた。確かに、一般的なピンクのコスモスとは一味違う雰囲気を醸 し出していた。ビロードのように厚みと光沢のある花びらに気品を感じた。
「同じコスモス、て名前がついているけどピンクのコスモスとね、キバナとかチョコレートコスモスは少し違う種類らしいの。あ、そうだチョコレートコスモスの香り、ちょっと嗅いでみて?」
忙しげに作業していた手を止めて、マユミは美緋絽を見ながら意味ありげな顔で言った。美緋絽はそっと顔を花に近づけて匂いを嗅いだ。
「えっ!うそ!」
驚く美緋絽にマユミは満足そうな笑みを浮かべた。
「・・・チョコレートみたい。」
もう一度ゆっくり嗅いでから美緋絽は振り返ってマユミにうれしそうな笑顔を見せた。
「ね、ちょっと感動でしょ?見た目だけの名前じゃなくて香りからもついた名前なのよね。」
そう言いながらマユミはまた作業を再開した。
美緋絽は感心しながらゆっくりと歩を進めた。よく見ると花壇を囲んだ杭の外側に小さなかわいらしい花がひっそりと咲いていたり、大きな木の根元にたくさんの葉の茂る植物がこんもりと植えられていたり、今まで目にとまらなかったところにも、多くの草木が息づいていることに美緋絽は気がついた。そしてそのもっと奥に小さく囲われている花壇があるのが目につき、近づいて行った。
他の花壇とは少し外れたところ、でも日当たりはとても良さそうな場所だった。そしてその花壇には細い金属でできた扇状の支柱がたてられていた。傍らには小さな木製のプレートが刺してあり、ペンキで【FIORE ~思い出の花束~】と書かれていた。
(フ・・フィ?)
アルファベットをどう読むのか分からなかった美緋絽だったが、奥まったところに他の花壇にはない特別に書かれたプレートのことをなぜか聞いてはいけないような気がして言葉を飲み込んだ。
その花壇はすでに十分に耕されていて、ふっくらとやわらかそうな黒い土に太陽の光がたっぷりと当たり、とても暖かそうだった。
「そこはね、さっき種を撒いたばかりなのよ。」
マユミはちらっと美緋絽を見やると今度は手を休めることなく言った。自分がその花壇を凝視していたことに気づかれたと思い、美緋絽はどぎまぎした。
「スイートピーよ。」
美緋絽は名前は聞いたことがあると思ったが、スイートピーがどんな花かは全く思い浮かばなかった。
「スイートピーはね、移植を嫌う花だから直接花壇に種から撒くのよ。スイートピーはつる性だからつるが巻き付けるようにトレリスを立てておくの。」
相変わらず作業を続けながらマユミは淡々と言った。
(トレリスって言うんだ、これ。)
美緋絽はこの花壇が何か特別な雰囲気を醸し出していることを感じていた。プレートが何を意味するのかとても気になったが、やはりそのことを口にすることはできなかった。ただ、【FIORE】というスペルを必死に記憶しようとしていた。
そこへ買い物から帰ってきた葵が顔を出した。
「こんにちは。昨日はどうも。」
マユミは一瞬でいつもの陽気な表情にもどり、
「あら、お帰りなさい。お買いもの?」
と葵に笑顔で話しかけた。
「ええ、せっかくの休みだったからちょっと遠出して駅前まで行って来たの。・・・まぁヒロ、邪魔しちゃだめじゃないの。」
葵は庭の奥にいる美緋絽を見つけて言った。
「忘れ物の団扇を届けてくれたのよね。」
マユミは振り返って美緋絽にウィンクをしてみせた。
美緋絽は急いでリビングに行くと団扇を手にした。昨日マユミが忘れていった団扇だ。団扇を手にマユミの家の門扉の前に立つと気配に気づいてマユミが顔を上げた。
「あらヒロちゃん、こんにちは。どうぞ、入って。」
「あの、これ・・」
美緋絽が団扇をかざして見せると
「あ、私ったら忘れていったのね。わざわざありがとう。」
軍手をはずしながらマユミが近づいてきた。そして門扉を開けると美緋絽を招き入れた。美緋絽は少々後ろめたい気持ちになっていた。それは、団扇を届けたのはただの親切心ではなかったからだ。どちらかというと昨夜のうぐいすの話が頭から離れず、マユミに対する好奇心が一層高まっていたからだ。何かマユミの事を・・プライベートなことを知りたい気持ちでいっぱいだったのだ。とは言え、何を聞けばいいのか、あるいは聞いてもいいのかわからず戸惑う気持ちであることも確かだった。
うながされるままに庭に入り、改めて見渡すと庭にはいくつかの花壇が点在していることに気づいた。今まではよく見ていなかった、ということもあるが、花が花壇の中にあふれんばかりにさいていたので、花壇の輪郭が見えにくかったというのもあるのだろう。
「もう少しやっちゃうからちょっと待っててくれる?」
マユミは縁側に団扇を置くと再び軍手をはめ、伸びて倒れた植物に支柱を立てるとひもで結びはじめた。
「はい、大丈夫です。ちょっとお庭見せてください。」
美緋絽の言葉遣いが神妙だったので、マユミは笑いながら
「今はあんまり見るものもないけどね。」
と手を休めることなく言った。
実際花壇にはあまり花は咲いていなかったけれど、秋の植物なのだろうか細かな花を無数につけたものや、ふくらみかけた蕾をつけているものが見られた。
「宿根のものがこれから咲いてくるところかな。そっちの奥に咲いているのがシュウメイギクで、塀にそって咲いているのがホトトギス。ちょっと地味だけどね。でもよく見るとかわいらしいでしょ?その斑点がホトトギス、ていう鳥の模様に似ているんだって。」
(ホトトギス・・・)
美緋絽はまたうぐいすを思い出していた。
「あとはコスモスかな~。いろんな種類があるのよ。これは・・コスモスといえばみんながこれを思い浮かべるんじゃないかな、と思う一般的なものね。そっちのはキバナコスモス、それからその向こうがチョコレートコスモス。それはなかなかおしゃれな感じでしょ?」
美緋絽はチョコレートコスモスに近づいた。確かに、一般的なピンクのコスモスとは一味違う雰囲気を
「同じコスモス、て名前がついているけどピンクのコスモスとね、キバナとかチョコレートコスモスは少し違う種類らしいの。あ、そうだチョコレートコスモスの香り、ちょっと嗅いでみて?」
忙しげに作業していた手を止めて、マユミは美緋絽を見ながら意味ありげな顔で言った。美緋絽はそっと顔を花に近づけて匂いを嗅いだ。
「えっ!うそ!」
驚く美緋絽にマユミは満足そうな笑みを浮かべた。
「・・・チョコレートみたい。」
もう一度ゆっくり嗅いでから美緋絽は振り返ってマユミにうれしそうな笑顔を見せた。
「ね、ちょっと感動でしょ?見た目だけの名前じゃなくて香りからもついた名前なのよね。」
そう言いながらマユミはまた作業を再開した。
美緋絽は感心しながらゆっくりと歩を進めた。よく見ると花壇を囲んだ杭の外側に小さなかわいらしい花がひっそりと咲いていたり、大きな木の根元にたくさんの葉の茂る植物がこんもりと植えられていたり、今まで目にとまらなかったところにも、多くの草木が息づいていることに美緋絽は気がついた。そしてそのもっと奥に小さく囲われている花壇があるのが目につき、近づいて行った。
他の花壇とは少し外れたところ、でも日当たりはとても良さそうな場所だった。そしてその花壇には細い金属でできた扇状の支柱がたてられていた。傍らには小さな木製のプレートが刺してあり、ペンキで【FIORE ~思い出の花束~】と書かれていた。
(フ・・フィ?)
アルファベットをどう読むのか分からなかった美緋絽だったが、奥まったところに他の花壇にはない特別に書かれたプレートのことをなぜか聞いてはいけないような気がして言葉を飲み込んだ。
その花壇はすでに十分に耕されていて、ふっくらとやわらかそうな黒い土に太陽の光がたっぷりと当たり、とても暖かそうだった。
「そこはね、さっき種を撒いたばかりなのよ。」
マユミはちらっと美緋絽を見やると今度は手を休めることなく言った。自分がその花壇を凝視していたことに気づかれたと思い、美緋絽はどぎまぎした。
「スイートピーよ。」
美緋絽は名前は聞いたことがあると思ったが、スイートピーがどんな花かは全く思い浮かばなかった。
「スイートピーはね、移植を嫌う花だから直接花壇に種から撒くのよ。スイートピーはつる性だからつるが巻き付けるようにトレリスを立てておくの。」
相変わらず作業を続けながらマユミは淡々と言った。
(トレリスって言うんだ、これ。)
美緋絽はこの花壇が何か特別な雰囲気を醸し出していることを感じていた。プレートが何を意味するのかとても気になったが、やはりそのことを口にすることはできなかった。ただ、【FIORE】というスペルを必死に記憶しようとしていた。
そこへ買い物から帰ってきた葵が顔を出した。
「こんにちは。昨日はどうも。」
マユミは一瞬でいつもの陽気な表情にもどり、
「あら、お帰りなさい。お買いもの?」
と葵に笑顔で話しかけた。
「ええ、せっかくの休みだったからちょっと遠出して駅前まで行って来たの。・・・まぁヒロ、邪魔しちゃだめじゃないの。」
葵は庭の奥にいる美緋絽を見つけて言った。
「忘れ物の団扇を届けてくれたのよね。」
マユミは振り返って美緋絽にウィンクをしてみせた。
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