古家の住人(3)
文字数 1,852文字
向かいの新しい住人は葵の期待通りだった。入居する前に家と庭の手入れを3カ月ほどかけて行い、特に庭は本人も来て作業をしていたくらい力を入れていたのでみちがえるようになった。雑草が生い茂り、ジャングルのように伸び放題だった木もきちんと手入れをされると陰気な古家だった頃の面影はなく、どこか懐かしい感じのする落ち着いた家になった。
葵は花壇の植え付けや水やりに来たその女性とよくあいさつを交わしていたが、美緋絽はいつも家の中で何気ないその会話を耳にしていただけだった。
「ねぇヒロ、お向かいの方、比良さんていうんだけどね、とっても素敵な人よ。ガーデニングとかパッチワークとかが趣味みたい。おうちの中も玄関からチラッと見ただけだけど、なんか欧米の古民家みたいな雰囲気で。住む人が変わるとあんなに変わるのね、家って。」
ウキウキした様子で話す母親を美緋絽はシラけた気分で見ていた。
(何ウカれてるのかしら。)
出会って間もない隣人をほめそやす様子に、なぜか美緋絽は嫌悪感を抱いた。
でも確かに向かいの家は見ていて気持ちが和む家だった。以前のうっとうしい空気はみじんもなく、植えられた花々が咲き始めると無条件で見とれてしまう、そんな空間だった。特に計算されているわけでもなく無造作に植えられているようなのに、そこにはなぜか整然とした空気が漂っていた。美緋絽の部屋は二階ということもあって窓からはその庭がよく見えた。花の名前などほとんど知らない美緋絽だったが、オレンジ色の花がマリーゴールドだということはわかった。
(確か小学校の2年生のときに学校で種から植えた花だ。でも、水さえもろくにやらなかったから、家に持ち帰った夏休みにすぐに枯らしてしまったっけ。)
そのマリーゴールドが重たげに頭を垂れ、はじけんばかりに咲き誇っているのを見てあのときと同じ種類の花なのかと不思議な感じがした。
彼女は働き者だった。特に晴れている日は外で動いている姿がよく見られた。ゴミ出しや洗濯干しなどの毎日の家事のほかに花壇の水やり、花がら摘みや剪定などの庭の手入れ、車を洗ったり窓やサッシを拭いたりアプローチやカーポートを掃いたり・・・とにかく外でする仕事をよくしていた。その合間に縁側でお茶を飲んだり手芸をしたりしていた。彼女が家の中にいるのは食事と寝ているときくらいなんじゃないか、と思うほどだった。だから彼女は日に焼けて健康そうだった。そして庭を覗き込んで話しかけてくる人といつもお日様のような笑顔で話し込んでいた。
(でも、だからって何がわかるというの?花を植えてきれいにしているから、笑顔で話すから、だから何?素敵な人だってなんでわかるわけ?)
母親がうれしそうに話す姿が目に浮かんできて美緋絽のみけんに思わずシワが寄った。
そのときチャイムが鳴った。
ピンポン ピンポン
(いませんけどぉ)
心の中でつぶやきながらスナック菓子を口にほうり込んだその時、ふと庭に人影がした。
(え?)
気がつくとリビングの掃き出し窓の前ににっこりとほほ笑む向かいの家の女性が立っていた。キョトンとして固まっている美緋絽にはおかまいなく
「ごめんね。驚かせちゃった?さっきちらっと見たときパジャマっぽかったから、きっとピンポン押しても出てこないだろうな、て思って。」
(何?何この人!)
いまだに言葉が出てこない美緋絽のことなど気にする様子もなく彼女は話続けた。
「一人でしょ?私ね、これからお茶するんだけど、よかったら一緒にどうかなと思って。昨日マドレーヌを焼いたの。子どもの頃ね、よく母が焼いてくれたのよ。母のレシピは絶品なのよ。」
「あの・・・わたし今はちょっと。宅配便もくるので・・・あの、母に受け取るように言われていますから。」
美緋絽はやっとのことで口を開いた。
「宅急便?ああそれならうちから見えるから大丈夫よ。それにね、本当においしいのよ。特にうちの縁側で食べるとね。今日は四季咲きのバラが咲いたし。いい香りよ。」
そこまで一気にしゃべったかと思うと、急にしゃべるのをやめて同意を促すようにじっと美緋絽の瞳をみつめてにっこりと笑った。美緋絽が一瞬躊躇した次の瞬間
「じゃあ着替えて戸締りしたら来てね。紅茶淹れとくから。」
くるりと向きをかえると軽い足取りで彼女は門扉から出て行った。
(なにあれ。)
あっけにとられた、という感じだったが不思議と悪い気分ではなかった。自分の意志に反して約束をした形になってしまった、と思った美緋絽は知らん顔もできず自分の部屋へ戻って着替えをした。
葵は花壇の植え付けや水やりに来たその女性とよくあいさつを交わしていたが、美緋絽はいつも家の中で何気ないその会話を耳にしていただけだった。
「ねぇヒロ、お向かいの方、比良さんていうんだけどね、とっても素敵な人よ。ガーデニングとかパッチワークとかが趣味みたい。おうちの中も玄関からチラッと見ただけだけど、なんか欧米の古民家みたいな雰囲気で。住む人が変わるとあんなに変わるのね、家って。」
ウキウキした様子で話す母親を美緋絽はシラけた気分で見ていた。
(何ウカれてるのかしら。)
出会って間もない隣人をほめそやす様子に、なぜか美緋絽は嫌悪感を抱いた。
でも確かに向かいの家は見ていて気持ちが和む家だった。以前のうっとうしい空気はみじんもなく、植えられた花々が咲き始めると無条件で見とれてしまう、そんな空間だった。特に計算されているわけでもなく無造作に植えられているようなのに、そこにはなぜか整然とした空気が漂っていた。美緋絽の部屋は二階ということもあって窓からはその庭がよく見えた。花の名前などほとんど知らない美緋絽だったが、オレンジ色の花がマリーゴールドだということはわかった。
(確か小学校の2年生のときに学校で種から植えた花だ。でも、水さえもろくにやらなかったから、家に持ち帰った夏休みにすぐに枯らしてしまったっけ。)
そのマリーゴールドが重たげに頭を垂れ、はじけんばかりに咲き誇っているのを見てあのときと同じ種類の花なのかと不思議な感じがした。
彼女は働き者だった。特に晴れている日は外で動いている姿がよく見られた。ゴミ出しや洗濯干しなどの毎日の家事のほかに花壇の水やり、花がら摘みや剪定などの庭の手入れ、車を洗ったり窓やサッシを拭いたりアプローチやカーポートを掃いたり・・・とにかく外でする仕事をよくしていた。その合間に縁側でお茶を飲んだり手芸をしたりしていた。彼女が家の中にいるのは食事と寝ているときくらいなんじゃないか、と思うほどだった。だから彼女は日に焼けて健康そうだった。そして庭を覗き込んで話しかけてくる人といつもお日様のような笑顔で話し込んでいた。
(でも、だからって何がわかるというの?花を植えてきれいにしているから、笑顔で話すから、だから何?素敵な人だってなんでわかるわけ?)
母親がうれしそうに話す姿が目に浮かんできて美緋絽のみけんに思わずシワが寄った。
そのときチャイムが鳴った。
ピンポン ピンポン
(いませんけどぉ)
心の中でつぶやきながらスナック菓子を口にほうり込んだその時、ふと庭に人影がした。
(え?)
気がつくとリビングの掃き出し窓の前ににっこりとほほ笑む向かいの家の女性が立っていた。キョトンとして固まっている美緋絽にはおかまいなく
「ごめんね。驚かせちゃった?さっきちらっと見たときパジャマっぽかったから、きっとピンポン押しても出てこないだろうな、て思って。」
(何?何この人!)
いまだに言葉が出てこない美緋絽のことなど気にする様子もなく彼女は話続けた。
「一人でしょ?私ね、これからお茶するんだけど、よかったら一緒にどうかなと思って。昨日マドレーヌを焼いたの。子どもの頃ね、よく母が焼いてくれたのよ。母のレシピは絶品なのよ。」
「あの・・・わたし今はちょっと。宅配便もくるので・・・あの、母に受け取るように言われていますから。」
美緋絽はやっとのことで口を開いた。
「宅急便?ああそれならうちから見えるから大丈夫よ。それにね、本当においしいのよ。特にうちの縁側で食べるとね。今日は四季咲きのバラが咲いたし。いい香りよ。」
そこまで一気にしゃべったかと思うと、急にしゃべるのをやめて同意を促すようにじっと美緋絽の瞳をみつめてにっこりと笑った。美緋絽が一瞬躊躇した次の瞬間
「じゃあ着替えて戸締りしたら来てね。紅茶淹れとくから。」
くるりと向きをかえると軽い足取りで彼女は門扉から出て行った。
(なにあれ。)
あっけにとられた、という感じだったが不思議と悪い気分ではなかった。自分の意志に反して約束をした形になってしまった、と思った美緋絽は知らん顔もできず自分の部屋へ戻って着替えをした。
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