4 草薙鎖天は斯く決意す
文字数 4,232文字
さすがに通報してからものの数分で顔が割れる、ということはないだろう。警察は一般人の集まりだ。超能力集団ではない。現場を一瞥しただけでも、殺人事件に慣れた刑事たちとて吐き気を抑えることはできまい。
堂々と表通りを歩き、目的地へと向かっていく。
隣では舞沙が、やはり脚を動かさずにふよふよと浮かんでついてくる。
誰も見向きもしない、路地の入口。
埃っぽいそこへ入っていくと、饐えた臭いが鼻をついた。
「っふぅ。やっと喋れるわね。せっかくふたりでいるのに、ずっと黙っているなんて退屈だったわ」
路地に入って数歩進んだところで、舞沙は背筋を伸ばすようにしながら言った。
訴えるような目で見つめられて、俺は思わず目を逸らした。黙っているように、というのは、俺からの提案だった。ただでさえバックパッカーのような大荷物を持っているのだし、目立つような真似は極力避けたかったのだ。
「私のことを知覚できる人間に出逢えたのは、随分久しぶりだったのに、気軽にお喋りもできないなんて、本当に難儀ね」
「……舞沙。あんた嫌味たらしいぞ。話せなくて寂しかったなら素直にそう言えよ」
「寂しかった訳じゃないわ、退屈だったのよ。寂しさなら、あなたが隣にいてくれるから、特に感じることはないわ」
「……そういう恥ずかしいこと、よく軽く言えるな」
「? はずかしい、かしら?」
「聞いてるこっちからすればな。ったく、歯の浮くような台詞を平気で言うところとか、俺の妹そっくりだよ、あんたは」
「そう。あなたもなかなか大変ないもうとを持っていたようね」
「大変だったよ。愛おしい苦労だったけどな」
言葉を交わしながら、路地裏の奥へと進んでいく。
今さっき初めて会った間柄なのに、舞沙とは不思議と喋りやすかった。舞沙も小気味よく応えてくれるから、会話は自ずと弾んでいった。
或いは、俺は話すことで、気を紛らわせていたのかもしれない。
到底、受け止め切れるものではなかったのだ。両親の惨殺死体。そして妹の不在。殺されたという悲劇の可能性。気を抜けば、涙をぼろぼろこぼして泣き喚きかねない。犯人に必ず復讐すると誓っても、悲しみを封じ込めるには足りなかった。
やがて、路地裏の最奥部へ辿り着く。幾重にも張り巡らされたバリケード。立ち入り禁止を全身全霊で表現している廃ビルが、再び俺たちの前に姿を現した。
「ここを、当面の拠点にしましょう」
くるんっ、と。
舞い踊るように回転しながら、舞沙が言った。
「ここって……思いっ切り廃墟だよな……」
「えぇ。なにか問題でもあるかしら?」
「問題しかねぇだろ……」
げんなりと肩を落としながら俺は応えた。
拠点って……つまり当分のねぐらにするということだ。
野宿も覚悟していたから一応寝袋も持参しているが……それでも、この場所はさすがに予想外だった。
古びた廃墟だけあって、まず端的に汚い。そこら中埃だらけで、まず住環境として向いてないのは外観からでも分かった。
いくら俺がもう死んでるからといって、こんなとこで寝起きしていたら肺をぶっ壊しそうだ。
「もっと他に寝床に適した場所はないのかよ……大量の埃と添い寝は勘弁だぜ」
「掃除すればいいじゃない。私はそういうの気にならないけど、清潔感があるのはいいことだわ」
「簡単に言ってくれるな。廃墟になってもう何年になるか分からない建物だぜ? それに、こんな場所掃除するくらいなら、他にもっとやるべきことがあるだろう?」
「そうは言っても現状、私たちからは動きようがないわ。犯人の目星もついていないのだし……それとも、誰か心当たりがいるのかしら? あなたたちかぞくに、強い恨みを持つ人間とか」
「…………特にいない、けど」
自分で言うのもなんだが、草薙家は至って平凡な一家だった。近所付き合いもそこそこするし、町の行事なんかにもそこそこ参加していた。要するに何事もそこそこにこなしていた、極めて一般的な家族だった。
だからこそ、痛烈に恨まれることもなかったし、逆に懇意にされるようなこともなかった。
「私たちに今できるのは、警察の捜査が進むのを待つことよ。同時に、奴らから身を隠さなくちゃいけないけど」
「……でも、なにもここじゃなくてもいいだろう? もっと居心地のいい場所くらい、探せば見つかるって。それにほら、ここは自殺の名所だっていうし、人がいつ来るか分からないだろ?」
「あぁ、それなら心配ないわ。きっともう、ここで自殺が起きることはない筈よ」
「へ?」
確信的に頷いてみせた舞沙に、俺は思わず疑問符を浮かべていた。
もう自殺は起きないって。
どうしてそんなこと、断言できるんだ?
「この場所で自殺が頻発していたのは、辺りを漂ってた野良の【蟲】の所為よ。宿主の人間を失った【蟲】は、稀に空気中を漂って新たな獲物を探すことがあるの。恐らく、【蟲】たちはここを訪れた人間に寄り憑いて、人間の『生きる気力』を喰っていたのね。生きようって気持ちを削がれた人間は、衝動的にこの廃ビルから飛び降り自殺を繰り返した。まぁ、自殺の名所なんて呼ばれるところではよくあることよ。こんなところに来ること自体、気持ちが落ち込んでいる証拠でしょうしね」
「……【蟲】って、そんなことまでしちまうのか」
「えぇ。気力、生命力、肉体の若々しさ。【蟲】は人間の生の全てを餌とするわ。人を死に追いやるなんて、【蟲】にとっては日常のいちピースよ」
忌々しいことだけどね。
舞沙は、吐き捨てるようにそう付け加えた。
「でもさっき、ここにいた【蟲】は全て私が喰い尽くしたわ。だから、ここを訪れても突発的に自殺するようなことはない。その内、自殺の名所なんて不名誉な渾名も聞かれなくなるわよ。それに、渾名が生きている内は人が寧ろ近づかないでしょうしね。姿を隠す場所としてはもってこいだわ」
「……そう、か」
ダメだ、反対材料が見つからない。
舞沙の中で、ねぐらとなるのはここだともう決まっているらしい。確かにここなら、身を隠すには最適だろう。生活する上においてどうかは置いといて。
仕方ない、諦めることにしよう。
今は、臥薪嘗胆の時だ。
どうせ一度は死んだ身なのだ。多少の不自由には目を瞑ろうじゃないか。
「……分かった。拠点はここにしよう」
「随分気が重そうね。いいのよ? 他の拠点を探したって。あてがあるなら、の話だけど」
「分かってるよ。他にいい潜伏場所の心当たりなんてねぇし。ここで我慢するっつってんの。無論、掃除とかはするけどな。割と徹底的に」
「綺麗好きなのかしら?」
「汚いのが嫌いなだけだ」
幸い、念のため持ってきた財布の中には幾許か現金が入っている。一〇〇均で掃除用のグッズ一式を買うくらいは大丈夫だろう。どうせ食事の要らない身なのだ。金を惜しむ理由もない。
せめて眠るのに不自由ないくらいには片付けてやろうではないか。
「そう。なら決まりね。私たちの拠点はこの廃ビル。別れた時の待ち合わせ場所もここにしましょう。分かりやすくていいわ」
「あぁ。舞沙は、これからどうするんだ? 俺はすぐに買い物に行って、ここの掃除をするつもりだが」
「あなたに【蟲】を供給しなければならないのだし、これからはより一層多くの【蟲】が必要になるわ。そういう訳だから、私は今から【蟲】探しに出かけるわ。夜までには戻るつもりよ」
「【蟲】探しか。俺になにか手伝えればいいんだが……」
「……【蟲】は、大抵人間の死体から吸い出すことになるわよ? だから、私がするのは死体探し。野良の【蟲】がいれば、それでもいいんだけど、そうそういるものでもないしね。それを承知の上なら、ついてくる? 私は構わないわよ?」
「……謹んで、遠慮させてもらう」
死体なんて、自分の両親のそれを見ただけでもういっぱいいっぱいだ。
これ以上見たくない。
たとえそれが、俺や舞沙が生きる上で必要であっても。
死体は……もう御免だ。
「そうね、それが健全で賢明よ。私だって、必要じゃなければ好き好んでやりたくはない作業だしね。……さて、どこかで亡くなった人がいればいいのだけど」
「……なんか、嫌だな。そういうの」
それによって生かされてる分際で、言えたものではないだろうけど。
誰かの死の上でしか、生きられないというのは。
犠牲がなければ生きられないというのは、心が、チクチクと痛む。
「そうね。まったくの同感よ」
舞沙は、疲れたような声で言った。
「他人の死体がなければ生きられないなんて……本当、最悪よね。私ももう、何度死にたいと思ったか、数え切れないわ。――――けど、鎖天。あなたには、見知らぬ人の屍を踏みつけにしてでも、叶えたい願いがあるんでしょう?」
「……あぁ」
そうだ、俺には果たさなくちゃいけない使命がある。
両親の、そして妹の仇を討つという、使命が。
そのためなら、他人の死体を冒涜することさえ、厭わない。
この願いが成就するまで、意地でも命を繋げてやる。
他者を糧とすることを、だから、俺は拒絶する訳にはいかない。
「心配しなくても、人を殺したりはしないわ」
くすくすと笑いながら、舞沙は言った。
「私は死体が嫌いだし、殺人も嫌いなの。いくら【蟲】が必要だからって、殺して奪ったりはしないわ。自殺や老衰、病死した人間を、上手いこと探さないとね。鎖天、近くに病院や、老人医療施設なんてないかしら?」
「あぁ、あるよ。今教える」
舞沙が笑ったのは、俺が深刻な顔をしていたからだろう。
和ませようと、気負わないようにと、また気を遣わせている。分かってる。こいつが、舞沙が人殺しなんてしないことくらい、分かっている。こんな時にさえ俺を気遣ってくれる優しいこいつが、人を殺すなんてあり得ないだろう。
沈んだ心に、微かに火が灯る。
いつまでも、引き摺っている訳にはいかない。
切り替えろ。目的だけを見据えろ。
落ち込んでいる暇はない。
俺は、俺のやるべきことをやれ。
誰にも譲れないこの復讐を、なんとしても果たすんだ。
この廃ビルは、スタート地点。
必ず復讐を果たすためにも、俺は前だけを見ると決めたのだった。
堂々と表通りを歩き、目的地へと向かっていく。
隣では舞沙が、やはり脚を動かさずにふよふよと浮かんでついてくる。
誰も見向きもしない、路地の入口。
埃っぽいそこへ入っていくと、饐えた臭いが鼻をついた。
「っふぅ。やっと喋れるわね。せっかくふたりでいるのに、ずっと黙っているなんて退屈だったわ」
路地に入って数歩進んだところで、舞沙は背筋を伸ばすようにしながら言った。
訴えるような目で見つめられて、俺は思わず目を逸らした。黙っているように、というのは、俺からの提案だった。ただでさえバックパッカーのような大荷物を持っているのだし、目立つような真似は極力避けたかったのだ。
「私のことを知覚できる人間に出逢えたのは、随分久しぶりだったのに、気軽にお喋りもできないなんて、本当に難儀ね」
「……舞沙。あんた嫌味たらしいぞ。話せなくて寂しかったなら素直にそう言えよ」
「寂しかった訳じゃないわ、退屈だったのよ。寂しさなら、あなたが隣にいてくれるから、特に感じることはないわ」
「……そういう恥ずかしいこと、よく軽く言えるな」
「? はずかしい、かしら?」
「聞いてるこっちからすればな。ったく、歯の浮くような台詞を平気で言うところとか、俺の妹そっくりだよ、あんたは」
「そう。あなたもなかなか大変ないもうとを持っていたようね」
「大変だったよ。愛おしい苦労だったけどな」
言葉を交わしながら、路地裏の奥へと進んでいく。
今さっき初めて会った間柄なのに、舞沙とは不思議と喋りやすかった。舞沙も小気味よく応えてくれるから、会話は自ずと弾んでいった。
或いは、俺は話すことで、気を紛らわせていたのかもしれない。
到底、受け止め切れるものではなかったのだ。両親の惨殺死体。そして妹の不在。殺されたという悲劇の可能性。気を抜けば、涙をぼろぼろこぼして泣き喚きかねない。犯人に必ず復讐すると誓っても、悲しみを封じ込めるには足りなかった。
やがて、路地裏の最奥部へ辿り着く。幾重にも張り巡らされたバリケード。立ち入り禁止を全身全霊で表現している廃ビルが、再び俺たちの前に姿を現した。
「ここを、当面の拠点にしましょう」
くるんっ、と。
舞い踊るように回転しながら、舞沙が言った。
「ここって……思いっ切り廃墟だよな……」
「えぇ。なにか問題でもあるかしら?」
「問題しかねぇだろ……」
げんなりと肩を落としながら俺は応えた。
拠点って……つまり当分のねぐらにするということだ。
野宿も覚悟していたから一応寝袋も持参しているが……それでも、この場所はさすがに予想外だった。
古びた廃墟だけあって、まず端的に汚い。そこら中埃だらけで、まず住環境として向いてないのは外観からでも分かった。
いくら俺がもう死んでるからといって、こんなとこで寝起きしていたら肺をぶっ壊しそうだ。
「もっと他に寝床に適した場所はないのかよ……大量の埃と添い寝は勘弁だぜ」
「掃除すればいいじゃない。私はそういうの気にならないけど、清潔感があるのはいいことだわ」
「簡単に言ってくれるな。廃墟になってもう何年になるか分からない建物だぜ? それに、こんな場所掃除するくらいなら、他にもっとやるべきことがあるだろう?」
「そうは言っても現状、私たちからは動きようがないわ。犯人の目星もついていないのだし……それとも、誰か心当たりがいるのかしら? あなたたちかぞくに、強い恨みを持つ人間とか」
「…………特にいない、けど」
自分で言うのもなんだが、草薙家は至って平凡な一家だった。近所付き合いもそこそこするし、町の行事なんかにもそこそこ参加していた。要するに何事もそこそこにこなしていた、極めて一般的な家族だった。
だからこそ、痛烈に恨まれることもなかったし、逆に懇意にされるようなこともなかった。
「私たちに今できるのは、警察の捜査が進むのを待つことよ。同時に、奴らから身を隠さなくちゃいけないけど」
「……でも、なにもここじゃなくてもいいだろう? もっと居心地のいい場所くらい、探せば見つかるって。それにほら、ここは自殺の名所だっていうし、人がいつ来るか分からないだろ?」
「あぁ、それなら心配ないわ。きっともう、ここで自殺が起きることはない筈よ」
「へ?」
確信的に頷いてみせた舞沙に、俺は思わず疑問符を浮かべていた。
もう自殺は起きないって。
どうしてそんなこと、断言できるんだ?
「この場所で自殺が頻発していたのは、辺りを漂ってた野良の【蟲】の所為よ。宿主の人間を失った【蟲】は、稀に空気中を漂って新たな獲物を探すことがあるの。恐らく、【蟲】たちはここを訪れた人間に寄り憑いて、人間の『生きる気力』を喰っていたのね。生きようって気持ちを削がれた人間は、衝動的にこの廃ビルから飛び降り自殺を繰り返した。まぁ、自殺の名所なんて呼ばれるところではよくあることよ。こんなところに来ること自体、気持ちが落ち込んでいる証拠でしょうしね」
「……【蟲】って、そんなことまでしちまうのか」
「えぇ。気力、生命力、肉体の若々しさ。【蟲】は人間の生の全てを餌とするわ。人を死に追いやるなんて、【蟲】にとっては日常のいちピースよ」
忌々しいことだけどね。
舞沙は、吐き捨てるようにそう付け加えた。
「でもさっき、ここにいた【蟲】は全て私が喰い尽くしたわ。だから、ここを訪れても突発的に自殺するようなことはない。その内、自殺の名所なんて不名誉な渾名も聞かれなくなるわよ。それに、渾名が生きている内は人が寧ろ近づかないでしょうしね。姿を隠す場所としてはもってこいだわ」
「……そう、か」
ダメだ、反対材料が見つからない。
舞沙の中で、ねぐらとなるのはここだともう決まっているらしい。確かにここなら、身を隠すには最適だろう。生活する上においてどうかは置いといて。
仕方ない、諦めることにしよう。
今は、臥薪嘗胆の時だ。
どうせ一度は死んだ身なのだ。多少の不自由には目を瞑ろうじゃないか。
「……分かった。拠点はここにしよう」
「随分気が重そうね。いいのよ? 他の拠点を探したって。あてがあるなら、の話だけど」
「分かってるよ。他にいい潜伏場所の心当たりなんてねぇし。ここで我慢するっつってんの。無論、掃除とかはするけどな。割と徹底的に」
「綺麗好きなのかしら?」
「汚いのが嫌いなだけだ」
幸い、念のため持ってきた財布の中には幾許か現金が入っている。一〇〇均で掃除用のグッズ一式を買うくらいは大丈夫だろう。どうせ食事の要らない身なのだ。金を惜しむ理由もない。
せめて眠るのに不自由ないくらいには片付けてやろうではないか。
「そう。なら決まりね。私たちの拠点はこの廃ビル。別れた時の待ち合わせ場所もここにしましょう。分かりやすくていいわ」
「あぁ。舞沙は、これからどうするんだ? 俺はすぐに買い物に行って、ここの掃除をするつもりだが」
「あなたに【蟲】を供給しなければならないのだし、これからはより一層多くの【蟲】が必要になるわ。そういう訳だから、私は今から【蟲】探しに出かけるわ。夜までには戻るつもりよ」
「【蟲】探しか。俺になにか手伝えればいいんだが……」
「……【蟲】は、大抵人間の死体から吸い出すことになるわよ? だから、私がするのは死体探し。野良の【蟲】がいれば、それでもいいんだけど、そうそういるものでもないしね。それを承知の上なら、ついてくる? 私は構わないわよ?」
「……謹んで、遠慮させてもらう」
死体なんて、自分の両親のそれを見ただけでもういっぱいいっぱいだ。
これ以上見たくない。
たとえそれが、俺や舞沙が生きる上で必要であっても。
死体は……もう御免だ。
「そうね、それが健全で賢明よ。私だって、必要じゃなければ好き好んでやりたくはない作業だしね。……さて、どこかで亡くなった人がいればいいのだけど」
「……なんか、嫌だな。そういうの」
それによって生かされてる分際で、言えたものではないだろうけど。
誰かの死の上でしか、生きられないというのは。
犠牲がなければ生きられないというのは、心が、チクチクと痛む。
「そうね。まったくの同感よ」
舞沙は、疲れたような声で言った。
「他人の死体がなければ生きられないなんて……本当、最悪よね。私ももう、何度死にたいと思ったか、数え切れないわ。――――けど、鎖天。あなたには、見知らぬ人の屍を踏みつけにしてでも、叶えたい願いがあるんでしょう?」
「……あぁ」
そうだ、俺には果たさなくちゃいけない使命がある。
両親の、そして妹の仇を討つという、使命が。
そのためなら、他人の死体を冒涜することさえ、厭わない。
この願いが成就するまで、意地でも命を繋げてやる。
他者を糧とすることを、だから、俺は拒絶する訳にはいかない。
「心配しなくても、人を殺したりはしないわ」
くすくすと笑いながら、舞沙は言った。
「私は死体が嫌いだし、殺人も嫌いなの。いくら【蟲】が必要だからって、殺して奪ったりはしないわ。自殺や老衰、病死した人間を、上手いこと探さないとね。鎖天、近くに病院や、老人医療施設なんてないかしら?」
「あぁ、あるよ。今教える」
舞沙が笑ったのは、俺が深刻な顔をしていたからだろう。
和ませようと、気負わないようにと、また気を遣わせている。分かってる。こいつが、舞沙が人殺しなんてしないことくらい、分かっている。こんな時にさえ俺を気遣ってくれる優しいこいつが、人を殺すなんてあり得ないだろう。
沈んだ心に、微かに火が灯る。
いつまでも、引き摺っている訳にはいかない。
切り替えろ。目的だけを見据えろ。
落ち込んでいる暇はない。
俺は、俺のやるべきことをやれ。
誰にも譲れないこの復讐を、なんとしても果たすんだ。
この廃ビルは、スタート地点。
必ず復讐を果たすためにも、俺は前だけを見ると決めたのだった。