2 草薙鎖天は斯く協力者を得る

文字数 3,284文字

 案内された喫茶店は、笑夢のイメージからはおよそかけ離れたものだった。
 照明はやや暗めで、壁やテーブルも暗い色をした木材が用いられている。時折現れるのはガス灯のような間接照明で、大人びたシックな雰囲気が漂っている。マスターと思しき髭を生やした男性が鎮座するカウンター席と、点在するテーブル席とに分かれており、客はちらほらと見かける程度だった。
 笑夢のことだから、もっと若者受けするような場所へ案内されるものだと思っていた。やたら長いメニュー名と格闘するのを半ば覚悟していたのだが、意表を突かれた感じだ。

「いひひー、いいでしょここ。結構穴場なんだよ」

 悪戯が成功した悪ガキのように笑う笑夢は、勝手知ったる様子でテーブル席に着いた。俺もそれに倣い、笑夢の対面に腰掛ける。
 ウエイターが足音もなくやってきて、注文を聞いてくる。俺も笑夢も、コーヒーを頼んだ。俺はともかく、子供っぽい笑夢がコーヒーを頼むというのも、やはり意外だった。
 やがて運ばれてきたそれを、笑夢がブラックのまま飲んでいるというのも、意外。
 三年間も友達をやっていたというのに、知らないことばかりだ。
 ミルクと砂糖を注いだコーヒーに口をつけながら、俺は少し寂しい気持ちを味わっていた。

「? どったの鎖天っち。切なそうな顔して」
「いや。おまえも案外大人なんだな、と思ってな」
「ふっふーん。あだるてぃな笑夢っちに惚れ直してもいいんだぜー?」
「遠慮しとく。それで、今の状況なんだが」
「ほいほい、聞かせてちょうだいな」
「あぁ」

 コーヒーで舌を湿らせながら、俺は話し始めた。
 食事に関しては舞沙から恐ろしいことを言われたが、飲み物なら、少しは大丈夫だろう。味覚は生きているようで、コーヒーの苦味と甘味がしっかりと感じられた。

 ――――俺は、包み隠すことなく全てを詳らかに話してみせた。
 俺が既に死んでいること。
 家族を何者かに殺されたこと。
【蟲】という存在について。
 そして、狂々理舞沙という少女についても。
 取り留めもない話だったが、笑夢は途中で茶化すこともなく、真面目な顔をして聴いていた。

「つまり、クラスのみんなはその【蟲】っていうものに、記憶を喰われちゃってるんだね。鎖天っちに関する記憶を、根こそぎに」
「あぁ、多分そうだ。恐らく、家で死んでいる筈の俺が発見されるのを、少しでも遅らせようって魂胆だろうな。舞沙もそう言っていた」
「ふぅむ。その舞沙っちはどこにいるの? 私も会ってみたいな。会ってお話したい。鎖天っちの味方してくれてるなら、きっといい子なんだろうしさ」
「今は【蟲】を探しにどっか行っちまったよ。……多分、いても見えないと思うぞ。さっきも言ったが、あいつ自身も【蟲】なんだ。【蟲】は一部の、素質のある人間にしか見えないらしいからな」
「むむー、それは残念。……けどさ」
「うん?」
「今の話だと、【蟲】はクラスメート全員の記憶を喰っちゃった訳でしょ? なのにどうして、私は鎖天っちのことを覚えてるんだろ?」
「……それは」

 分からない、というのが正直な回答だ。
 笑夢だけが、たまたま【蟲】の被害を免れた? いや、考えにくい。笑夢以外の全員が、俺のことを忘れていたのだ。笑夢だけが例外になるなんて、都合のいい偶然があり得るだろうか。

「むーん、不思議だねぇ」
「あぁ。……なにか、意味があるのかな」
「それは分かんないけど、鎖天っち」
「? なんだ?」
「えーっとこういう時は、ご愁傷様、でいいんだっけ? 親御さんが殺されて、妹ちゃんまでいなくなって……心中お察しするよ。辛かったよね」
「……急になんだよ、しおらしくなっちまって。似合わねぇぞ、笑夢」
「友達が酷い目に遭ってるんだから、それを可哀想って思うのは当然のことだよ。特に鎖天っち、妹ちゃんのこと大事に思ってたし、ショックだろうなー、って」
「ショック……まぁ、確かにそうだよ。俺は……正直、辛い。一気に家族を奪われて、自分自身も死んじまってて。それを思い返すと、死にたいくらいに辛い。……けど」
「けど?」
「俺が生き返ったのには、きっと意味がある。舞沙が俺を生き返らせてくれたのには、なにか意味があると思うんだ。だから俺は……俺から家族を奪った奴に、復讐する。それが、俺の生きるモチベーションだ」
「復讐って……まさか、犯人を殺しちゃうの?」
「殺してやりたい気持ちはあるけどな……そんなことはしねぇよ。必ず見つけ出して、罪を裁いてもらう。償ってもらう。それが、俺の望みだ。それ以上を望んじまったら、俺は、俺から全てを奪った奴と同類になっちまう」

 それは、嫌だ。
 復讐と言っても、俺が望むのは正規の処罰だ。俺の家族を三人も殺したのだ。極刑は免れまい。法の下、正々堂々と仇を裁けるなら、それで俺は満足だ。いや、満足するべきなのだ。
 俺が自らの手を汚してまで、家族の仇を討ったとして。
 きっと家族は、俺の汚れた手を喜ばないだろう。
 大切な家族に背くような生き方を、俺はできない。

「よかった」

 笑夢が、コーヒーを啜りながら溜息のように言った。

「家族を殺されて、自分も殺されて、妹ちゃんまで殺されて、そこまでされたら、鎖天っちもでも変わっちゃうと思ってた。でも、変わんないね、鎖天っちは。変に真面目で妙に真っ直ぐな、いつもの鎖天っちのままだ。安心したよ」
「……そう、か?」

 いつもの、まま、か。
 自分じゃ、あまりそうは思えない。両親の死体を前にして分かりやすく取り乱したし、妹が死んでいると聞かされて動転もした。いつもの俺なら、あり得ない痴態だっただろう。それを、引き摺っていないと言えば嘘になる。
 多分、今の俺がいつも通りに見えているのは。
 舞沙が、いてくれたからだ。
 出会ったばかりの俺に、道を示してくれたあいつがいたから、俺は、平静を保てる。仮初でも、いつも通りを演じられる。

「鎖天っち。私になにか、手伝えることはあるかな?」

 と。
 こくんっ、とコーヒーを飲み干した笑夢が、身を乗り出して言ってきた。

「て、手伝えること?」
「鎖天っち、家族を殺した犯人を捕まえる気でしょ? 私に手伝えることがあったら、なんでも言ってよ。力になるよ。こう見えて笑夢っち、頼りになるってところを見せてやるぜー?」
「いや、でも……悪ぃよ。ただでさえ怪我させちまって申し訳ないっていうのに」
「そういうのは言いっこなしだよ。友達じゃん、水臭いこと言ってないで、ばんばん頼ってよ。笑夢っちは頼られて伸びる子なんだよ」
「……いい、のか? 本当に」
「うい。なーんでも言ってよ。できる限りは力になるよー」

 ここで、断るという選択肢もあっただろう。
 けど俺は、笑夢の善意に甘えることにした。
 俺が断ったところで、笑夢は望む返事が来るまで、RPGのモブキャラの如く同じ台詞を繰り返しただろうし――――渡りに船だった、というのも否定できない。

 今はまだ大々的な報道は為されていないが、時間の問題だ。その内俺は、表を歩く時には変装が必須となる要注意人物になるだろう。警察から見れば、両親が惨殺されていて息子と娘がいないのだ。俺に疑いの目が向くのは必然だ。
 となると、できなくなることも出てくる。
 犯人を探すにあたって、必要となるものが手に入らなくなる。
 それを、笑夢に担当してもらえるなら、これ以上ありがたいことはない。

「……じゃあ、ひとつ頼みたいんだが」
「おっけーおっけー、ひとつと言わずみっつくらい頼んじゃってもいいんだよ? 笑夢っちはランプをこすると出てくる妖精みたいなキャラを目指してるからね」
「……おまえのキャラはどこへ向かってんだよ……」

 場の空気を、無理矢理にでも明るくしてしまう笑夢に、苦笑混じりの溜息を吐いて。
 俺は笑夢に、ひとつだけ、頼み事をした。
 友達として、巻き込めるのはそこまでだった。
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