3 草薙鎖天は斯く級友と笑う

文字数 5,008文字

 市立籠網(かごあみ)高校の評判を近所の人に聞いてみれば、きっと誰もが口を閉ざすだろう。
 それは別に、俺の通う高校が口に出すのもおぞましいほどに悪名高い場所だから、ではない。寧ろ、特に言うべき点が見当たらないからこそ、誰もが閉口せざるを得ないのだ。
 別段有名な進学校でもなく、かといって不良たちのたむろする悪の巣窟でもない。
 強いて言うなら、特徴がないことが特徴、とでも表現するしかない学び舎――――それが市立籠網高校である。

 斯く言う俺も、自宅から一番近いから、というテキトーな理由でここへの進学を決めたし、恐らく、生徒の大半がそうなんじゃなかろうか。わざわざ電車を乗り継いでまで通いたいとは思わない、良くも悪くも地域密着型の学校。家から歩いて三〇分ほどのそこへ、俺は日直の登校時刻ギリギリで滑り込んだ。
 外観も、直方体の建物に時計がひとつかかっている、学校と聞いてイメージするまんまの没個性的なものだ。その二階にある職員室へ顔を出し、クラスの名簿を教室まで持っていく。面倒だが、だいたい月一くらいのシフトで回ってくるその業務を、俺は滞りなく終えることに成功した。
 三年B組の教室へ入ると、中は既に同級生たちで賑わっていた。教壇にクラス名簿を置いて、教室の隅にある自分の机へと向かう。

 そこには、待ちくたびれたようにひらひらと手を振る級友の姿があった。

「おーっす、草薙。日直ご苦労さん」
「はろー鎖天っち。今日も元気にシスコンってるかーい?」

 俺の机に頬杖をつきながら、友人の菊畑(きくはた)枝垂(しだれ)氏村(うじむら)笑夢(えむ)が挨拶をしてきた。
 いや、枝垂のはまだ挨拶として機能しているだろう。だが、笑夢のそれは挑発だ。俺に対する挑戦だと受け取った。

「おはよう、枝垂。笑夢、次にそれを言ったら殴るぞ」
「きゃー、朝っぱらから物騒だよこの人。助けて枝垂っちー」

 棒読みも甚だしいな。
 無人島でヘリコプターでも見つけたように両腕をぶんぶんと振る笑夢は、名前の通りへらへらと笑っている。まぁ、この一連の流れが俺とこいつの挨拶みたいなところもあるし、本気で殴ろうとも思っていない。鞄を脇に置き、椅子に深々と腰掛ける。

「毎度氏村も勇気があるよなぁ。俺だったらおっかなくて、草薙相手に妹いじりをする度胸なんかねーわ」
「おい、どういう意味だよ枝垂。俺は別にそんな怖くはねぇぞ?」
「鏡見て言えよなー。まぁそうでなくても、本人が気づいてないレベルのシスコンを、わざわざいじろうとは思わねーよ。超理論の反撃食らうからな」
「だから、何度も言わせんな。俺はシスコンじゃない。俺と環の間にあるのは、ごくありふれた兄妹愛だ。変な邪推をしてくんじゃねぇよ」
「はいはーい、シスコン容疑者は以上のように証言しておりますがー」
「笑夢てめぇ、本気で殴られたいのか」
「きゃははっ。殴られんのは嫌だよー。名前は笑夢でも、私にその気はないからねー」

 ひらひらと手を振り、笑顔で言ってくる笑夢。
 本当、ひとりで賑やかな奴だ。このクラスの中でも、こいつはムードメーカーなところがある。ともすれば受験などでピリピリしかねない高三の教室を、こいつの笑顔は軽々と明るくしてしまう。

「でも鎖天っち。朝は妹ちゃんのハグ&キスで目覚めるんでしょ?」
「あぁ」
「学校に来る時は、いってきますのちゅーを交わすんでしょ?」
「うん」
「帰ったら、おかえりなさいのハグを極(き)めるんでしょ?」
「そうだな」
「寝る時は、おやすみのキッスで締めるんでしょ?」
「その通りだ」
「うん、全方位三六〇度どこからどう見てもシスコンじゃん」
「違ぇって。俺はシスコンじゃない。普通の兄妹愛だ」
「いやいやー、無理があるって鎖天っちー」

 けらけら笑いながら、俺の主張を一蹴する笑夢。
 そう簡単に笑い飛ばされては敵わない。俺は断じてシスコンではないのだ。眉間に皺を寄せ、鋭い目付きを作りながら俺は言う。

「いいか笑夢。シスコンっていうのはな、姉や妹なしではいられない、どっぷりと依存しちまった奴の蔑称だ。確かに俺は妹のことが大好きだ。愛してる。世界で最も尊い存在は妹であると断言できる。だがな、妹なしじゃいられないかって言われると、それは違う。妹のキスなしでも朝は起きられるし、妹とのハグなしでも一日は迎えられる。妹の温もりなしでも家に帰れるし、妹の優しさなしでも一日を終えられる。俺にとって妹は、日々の生活に彩りをくれる太陽だ。けど実際の太陽とは違う。それがたとえなくなったとしても、俺は問題なく生きていける。よって俺はシスコンではない。分かったか」
「うーわー、よく分かんない独自理論とかますますシスコンの極みっぽい……」

 熱弁を振るった俺を、笑夢が引いた目で見ていた。
 黙って話を聴いていた枝垂も、同様に引いている。なにか、宇宙人でも見てしまったような表情だ。心外である。ただの一般論を言っただけなのに。

「妹なしでも生きていけるって……草薙、おまえ、妹ちゃんが去年修学旅行でいなかった三日間、死人みたいな顔してたじゃねーか」
「あれは不思議と具合が悪かっただけだ」
「妹ちゃんと喧嘩したー、って日は、今にも死にそうな顔してるよね」
「それも不思議と気分が落ち込んでただけだ」
「鎖天っちー。認めちゃいなよー、楽になるよー? ゆーあーシスコン。おーけー?」
「もっと真面目に英語勉強しろ。発音がなってねぇ」

 俺も人のことは言えないが、笑夢はこのクラスでダントツレベルの馬鹿なのだ。今の下手くそな英語のスペルを書けるかどうか、それさえ怪しい有様だ。

「とにかく、俺はシスコンじゃない。あり得ない。絶対に認めないからな」
「往生際が悪いなぁ、鎖天っち。鎖天っち並みのシスコンなんて、今日日希少種だよ? いいじゃん、妹ちゃんを大事に思ってるって証なんだから。寧ろ声高に、僕はシスコンでーすっ、て叫んじゃいなYo」
「おまえらが俺をいじりたいだけだろ。いいことみたいに言ってんじゃねぇ、殴るぞ」
「えー、殴られるのは嫌だー」

 拳を握り締めてみせると、笑夢は渋々といった調子で引き下がった。
 まったく、俺がシスコンだなんて、酷い誤解だ。
 俺はただ、妹が大事なだけだ。環を大切に思っているだけだ。

「まっ、いいや。今日も今日とて鎖天っちは通常運転、いつも通りの鎖天っちだねー」
笑夢は俺への追及を諦め、清々しい笑みを浮かべる。
「変わんねーのはいいことだよ。いつも通り万歳だ。こんないつも通りも、もうすぐ終わっちまうんだからな」

 枝垂もそれに続き、笑顔を見せる。だが、その笑いには奥に憂いがあり、どこか寂しさを滲ませていた。

 もうすぐ、終わり。

 そうだ、俺たちはもう高校三年生。あと半年もすればまともに学校には来なくなるし、それから少し経てば受験の真っ只中に放り込まれてしまう。
 なにも考えることなく、呑気に朝の時間を楽しめるのも、あと少しの間だけだ。

「鎖天っちはどっかの大学受けるんだっけ。志望校は決まったの?」
「まだだな。なるべく近いところがいいんだが、そうなると私立ばっかりになっちまうからな。学費がネックだ。奨学金受けられるほどの頭もないしな。枝垂は就職だっけか?」
「そう言ってたけど、絶賛悩み中だ。親が大学くらい出とけってうるさいんだよな。ご時世的に仕方ないかもだけど。氏村はどーなんだよ?」
「私は馬鹿だから、進学も就職も難しいかなー。けど、大学出とかないと余計に厳しそうだし……これは笑夢っち、秘められた本気を出して一発合格を狙うしかないのかなー」
「物の見事に三者三様だな」
「まーこの学校に通ってるって時点で、色々お察しだからなー」
「それは確かに」

 釣られて俺まで笑ってしまう。
 だが、同時に寂しくもあった。
 クラス全体が朗らかで仲が良く、アットホームなのがこのクラスの特長だ。結構居心地はいいし、この環境がいきなり変わるなんてこと、想像したことがない。
 笑夢や枝垂とは特に、一年生の頃からの付き合いだし、離れ離れになるのは辛い。シスコンといじってはくるものの、気の置けない関係性を築けたのは願ってもない幸運だった。

「まぁ、卒業したって連絡は取り合えるし、言うほど寂しくはないのかもな」
「かもなー。便利な世の中になったもんだ」
「んー、でも分かんないよ? 環境が変わったら、付き合う友達も変わっちゃうしねー。あーあ、鎖天っちのシスコンをいじれるのも、あと半年かー。今の内にいじくっとかないと」
「だから、俺はシスコンじゃないって言ってんだろうが」
「あ痛っ!」

 しつこくシスコン呼ばわりしてくる笑夢の頭を、拳骨で一発。予告はしていた。無視したこいつが悪い。
 笑夢はつむじの辺りを押さえながら、それでも楽しげに笑っている。やっぱり名前の通り、Mっ気があるんじゃなかろうか。或いは制裁とじゃれあいの区別もつかないアホなのか。

「痛たたー……むー、暴力反対だよ鎖天っち。私が馬鹿になったらどう責任取ってくれるのさ」
「元から馬鹿なんだから変わらないだろ」
「あ、責任取れって言っても、結婚しろって意味じゃないからね? 残念ながら鎖天っちみたいな凶悪な人相をした男性は、笑夢っちのストライクゾーンから外れているのです」
「うるせぇ、大きなお世話だ」

 大体、俺はそこまで悪人面じゃねぇよ。
 実際、環はかっこいいと言ってくれるしな。
 妹からの評価が贔屓目ありのものだとしても、まぁ容姿は普通くらいだろうと思ってる。
 多少、ほんの少し目つきが悪いのは否定できないけど。

「おまえらふたりは大学に行ったらモテそうだよな。羨ましい限りだぜ。結局俺ら三人とも、三年間浮いた話のひとつも出なかったからな。まったく、つまらない青春だったぜ」
「そう言う枝垂っちはどうなの? 鎖天っちより顔はいいし、女の子受けはよさそうだけど」
「悪かったな女子受けの悪い顔で」
「いやー、俺は前から言ってる通り、職場恋愛で年上の事務のお姉さんと結婚するって夢があるから」
「出たよ、枝垂の年上好き」
「オフィスラブかー。夢があるねー、夢うっきうきだねー」
「年上っつっても三、四歳程度だぞ? 熟女趣味はないんだ、ほんの少し年上のお姉さんがいいんだからな? 勘違いすんじゃねーぞ」

 なんのフォローなんだか、枝垂は口酸っぱく言ってくる。正直、俺は年上好きの趣向はないから、なにが違うのかさっぱりである。

 ――――あぁ、楽しいな。

 何気ない会話。意味もない言葉の応酬。なにも考えずに頭を空っぽにできるこんな時間が、俺は好きだった。
 学校には勉強に来ているのではなく、友達に会いに来ているようなものだ。きっと、大抵の奴がそうであるように。
 あと半年で終わってしまうのが、惜しいくらいだ。
 三人揃って同じ大学に行く、という案があるにはあるが、恐らく実行不可能だろう。三人とも家の方向はバラバラだし、近い大学にも差異がある。こうして気の合う友達になれたこと自体、奇跡みたいなものだ。
 まぁ、しょげても仕方ないことだ。
 どうせ別れ別れになっても、トークアプリや電話で繋がり合える。
 いつでもまた、こんな馬鹿話に花を咲かせられる。
 そう思うと、しんみりした心が少し明るくなったように思えた。

 ――――と、教室の扉を勢いよく開ける音が響いた。
 入ってきたのは、白衣を着た中年の男性教師だ。一応このクラスの担任なのだが、名前は忘れてしまった。高校なのだし、向こうだって俺らの名前なんてろくすっぽ覚えちゃいないだろう。だからおあいこだ。

「ほれ、先公が来たぞ草薙。出番出番」
「日直のお仕事がんばだよー、鎖天っち」
「へいへい。――――起立」

 力ない俺の号令で、クラス中がのろのろと立ち上がる。
 笑夢も枝垂も、自分の席へと身体をずらし、緩慢に立ち上がった。そのまま勢い任せで頭を下げる。

「礼」

 非常にだらだらとした、敬意もへったくれもない礼。
 教師はそれを気にした風もなく、つまらなさそうに朝のHRを始めるのだった。
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