3 草薙鎖天は斯く出立す

文字数 3,838文字

「身を隠す必要があるわね」

 舞沙は、ベッドに腰掛けるような姿勢を取りながら、考え込むようにして言ってきた。
 両親の部屋をあとにし、俺たちは一階の自分の部屋にいた。改めて嗅いでみると、この部屋の中も死臭が充満している。今朝の時点で異変に気づけなかったのは、この異臭の中で長時間眠っていたため、鼻が麻痺してしまっていたからだろう。

「身を隠す……? なんでだ? 舞沙。あんたは俺以外の人間には見えないんだろう?」

 学ランから普段着に着替えながら、俺は疑問を投げかけた。
 ベッドと机と本棚、それと小さなタンスくらいしかない簡素な部屋の中。全身が真っ白な舞沙の姿は、見慣れた光景から浮き上がるように目立っている。何度見ても慣れない異物感。血のように真っ赤な瞳が、俺のことをふと見つめてきた。

「私じゃないわ。あなたのことを言ってるのよ、鎖天」
「俺が? ……確かに学校の奴らには忘れられてたけど、けど、なにも隠れなきゃいけないって訳じゃないだろ?」
「……あなた、頭が平和でいいわね。羨ましいわ」

 呆れたように、舞沙が溜息を吐いた。

「冷静に考えなさい。あなたのおやと、いもうと。この三人が殺されているの。あなただけが生き残ってる……まぁ本当は死んでいるんだけど。そうなったら、外部の人間は間違いなく、あなたを疑うわ」
「あぁ、確かに」

 言われてみれば、状況は俺に対して悉く向かい風だ。
 両親は殺され、妹は消えている。
 家の中に残っているのは、俺だけ。
【蟲】によって生き返った、など、警察の人は信じちゃくれないだろう。俺自身、舞沙が左腕を切り落とすなんて派手なパフォーマンスをしなければ、未だに疑っていたかもしれない。
 本当は一家全員が殺されたのに、それを証明する手立てがないのだ。
 家で唯一生き残ってる俺を疑うのは、当然の筋だ。

「でも、警察に報せない訳にはいかないだろ。俺や舞沙だけじゃ、犯人を探すなんて限界がある。警察にもある程度は動いてもらわないと」
「えぇ、通報するのは私も賛成よ。あなたのりょうしんの死体を、あのまま放置するのは気が引けるしね。けど、通報した後は身を隠した方がいいわ。無闇に疑われるのは、時間のロスよ。私たちは、真犯人を探さなくちゃいけないんだもの」
「そうか。うん、そうだな。舞沙、あんた頭回るなぁ」
「そんなでもないわ。知人が酷い人非人でね、警察に追われるような真似ばかりしてたから、自然とそういうのに詳しくなっただけよ」
「……まさかとは思うけど、そいつが犯人だったりしないよな?」

 髪を掻き上げる舞沙に、俺は思わず尋ねていた。
 さっきから、ちょくちょくとその『知人』が話に出てくるが、酷い人非人と称されたり、人肉食に肯定的だったりと、犯罪の臭いがぷんぷんする。舞沙自身はそういった行為を嫌っている節があるから安心できるが、その知人とやらからは危ない香りがする。
 もしかして、そいつが犯人なんじゃないのか?
 どんな可能性にでも、俺は手を伸ばしたかった。それが、家族の仇に繋がるのなら。

「それは……ない、と思うわ」

 だが、舞沙は少し迷うように考えた後、小さく首を振った。

「あいつに人肉食の趣味はなかった筈よ。可愛い女の子は好きだったけど、その肉を喰ったって話は聞かないわ」
「そう、か。……しかし、なんでそんな奴と知り合いなんだ? 人殺しとか嫌いなんだろ?」
「【蟲】を知覚できる人間だったからね。たまたま私が、生まれて最初に出遭った人間が、あいつだっただけよ。私にこんな変な名前をつけたのも、あいつ。自分だって変な名前のくせにね」
「そうなのか」
「……あなたには縁のない人よ。そうであってほしいわ。私も、できるなら二度と出遭いたくないもの」

 どうやら舞沙は、件の人非人が相当に嫌いらしい。
 話を掻い摘んで聴いていただけの俺も、それには同感だった。警察に追われるようなことばかりして、可愛い女の子が好きで、おまけに【蟲】を操れるなんて、相当の危険人物だ。できれば一生顔を拝みたくないな。

「ところで、用意はできたかしら? あまり長居してると、服に死体の臭いが移っちゃうわよ?」
「あぁ、着替えは終わってるよ。もうちょっと待ってくれ」

 舞沙の話を聴きながら、俺は既に着替えを完了していた。
 妹が選んでくれた、お気に入りのジーンズ。無地の暗い色をしたTシャツを着て、その上に濃い藍色のワイシャツを引っかける。ボタンは留めずに、前を開け放っていくスタイル。妹がよく似合うと言ってくれた服装だ。
 さすがにこの姿なら、道を歩いていて補導されることもあるまい。昼間は一応注意が必要だろうが、ぱっと見で高校生だとは思われない筈だ。
 服に続いて、俺はタンスの中を漁り、随分前に買ったリュックサックを発掘する。前に一度、家族でキャンプに行った際に使用したものだ。コンパクトながらも容量は大きく、俺の服などもすらすら入っていく。

「……? なにをしているの? 鎖天」
「もうこの家には帰ってこれないからな。必要なものは持ち出しとかねぇと」
「……あなた、もう死んでいるのよ? そんなに着替えとか必要ないと思うけど」
「毎日同じ服を着るのは、なんか気分的に嫌なんだよ。それに、俺の服は全部、妹が選んでくれたものだ。謂わば形見だぞ? 持っていかない訳にはいかねぇよ」
「……もしかして鎖天、あなた、しすこん、というやつなのかしら?」
「それは違う。俺は妹を愛しているだけだ。シスコンなんて精神病質と一緒にしないでくれ」

 そう、愛している。今でも変わらずに、ずっと。
 たとえ、もう二度と会えなくても。二度と触れ合えなくても。
 妹を愛するのは、兄の特権だ。
 絶対に、手放しはしない。

「さて。服はだいぶ詰められたな。あとは食糧かな」
「鎖天。だからあなたは死んでいるのよ? 普通の食事は必要としないわ。定期的に【蟲】を供給する必要はあるけれど」
「気分の問題だよ。俺は元来、食わないと調子の悪い人間なんだ」
「食べたものが胃の中で腐って、口から凄まじい臭いの息を吐き出す羽目になるとおうけど」
「げ、マジかよ。……じゃあ仕方ない。食事は我慢するか」

 死体なのに生きているっていうのも、難儀なものだ。
 それと、もうひとつ。
 置いていく訳にはいかないものがある。

「どこへ行くの? 鎖天」

 リュックの口を開けたまま、俺は部屋から出ていく。そのあとを、舞沙がふわふわと浮かびながら追ってきた。
 服の裾をつまんでくるような仕草が、飼い主に追い縋る犬のようだ。尤も、舞沙は俺の服には触れられないので、それはあくまでポーズだけの話だが。
 上目遣いに、心が跳ねる。
 人形みたいな、端正な顔立ちだとは思っていたが、落ち着いて見ると舞沙はかなり可愛らしい容姿をしていた。どことなく、顔形が妹と似ている。くりくりと大きな目などはそっくりだ。

 じわ、と涙で視界が滲んでしまう。
 もう、会えないのか。
 もう、触れ合えないのか。
 妹を失うことが、こんなにも苦しいことだなんて、思わなかった。

「……鎖天?」
「あ、あぁ、悪い。一個だけ、どうしても持ってかなくちゃいけないものがあってな」
「そう。なにかしら?」
「あぁ。こっちだ」

 向かったのは仏間だ。日当たりのいいそこは、たとえ死臭にまみれていようとどこか静謐で、凛とした空気が漂っていた。
 仏壇に手を合わせ、ぽつんと置かれた位牌を手に取る。

「……? それは、なにかしら?」
「位牌だよ、俺の姉ちゃんのな」
「ねえちゃん? あなた、年上のきょうだいもいたの?」
「いたっていうか……いる筈、だったんだよ。姉ちゃんは、草薙智恵(ちえ)は、生まれてすぐに死んじまった。だから、写真も残っちゃいないんだ。生きていたのはほんの一瞬だけど、それでも、俺のかけがえのない家族のひとりだ」
「死んでるのに、もういないのに、かぞくなの?」
「家族っていうのは、死んだ程度で切れる縁じゃないんだよ」

 そうだ。そうじゃないか。
 自分で言って、自分で納得していた。
 生まれたての赤ん坊の時分に死んでしまった姉ちゃんだって、立派な家族なのだ。生きているとか死んでるとか、死んでるとか殺されたとか、そんなのは極論どうでもいい。
 家族は、家族だ。
 どんな時も、俺の胸の中で生き続けてくれる。
 だから、いつまでもうじうじと下を向いてる訳にはいかない。

「これで、荷物は全部だ。待たせたな、舞沙」
「いえ、構わないわ。もう二度と帰ってこれなくなる家だもの。思い残しがないようにするのは大切だわ」
「ありがとう。そんじゃ、行くか――」

 玄関に向かう足。背中にはぱんぱんに膨らんだリュックサック。
 まるで、これから旅にでも出るような格好だ。
 いや、場合によっては旅になり得るのか。
 俺の大切な家族を殺した犯人を、俺は地の果てまでも追い詰める腹積もりだ。どこの誰であろうと関係ない。必ず鉄槌を食らわせてやる。
 靴を履き、家を出る直前、俺は携帯電話を取り出した。一一○。短い番号をタップすると、コールが鳴る暇もなく電話は繋がった。

「――もしもし、警察ですか」

 さよなら、我が家。
 心の中でそう呟いて、俺は扉を開いた。
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